大学時代の友人N が再婚した。私と同い年だから70歳の再婚だ。お相手は11歳下。
1回目の結婚に失敗し、精神的に大きな打撃を受けていたから、再婚には驚き、そして心から“良かった”と思った。
さらに驚いたのは、二人が知り合ったきっかけが、会員制の「マッチングアプリ」だということだ。学生時代の飄々としたNからは想像できない「(再)婚活」をしていたのだ。
それだけ、「老後の孤独」は、深刻だということだろう。
Nは「結婚を機に酒をやめた。少しでも長く一緒に過ごしたいから」と言っている。愛する人がいるということは、いくつになっても、人をやさしくするものなのか。
そんな思いの中で10日、NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」(主演・岸井ゆきの)を見た。
「家族は“沼”」だとホスピスの医師が言う。足を取られて身動きできなくなるという意味だ。永年夫の暴言・威圧に苦しめられながら看病を続けてきた妻が、夫の臨終間際、耳元でささやく。「早く逝ってください」
家族の「愛」は「憎しみ」に容易に転化する。これも現実だろう。
土曜ドラマに引き続き、ETV特集「漁師と妻とピアノ」を見た。
フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」を聴いて感動し、52歳にしてピアノを始めたのり漁師の話だ。パチンコ三昧だった生活がピアノで一変した。コンクールで入賞するまでになった。その背景には亡き父への思慕があった。そんな夫をピアノ教師の妻は静かに見守り寄り添った(写真)。
夫婦とはいいものだ、寄り添う人がいるということほど幸せなことはない、と思った。これもまた人生。
N のようにいくつになっても「伴侶」を求め続けるか。それとも「孤独」を受け入れて「自由」に人生を全うするか。後者で腹をくくりきれない自分がいる。ただ言えることは、「孤独」は「孤立」であってはならないということだ。
N の新しいパートナーもピアノの教師だ。「ピアノが趣味になった」とNは言っている。
<今週のことば>
最相葉月さん(ノンフィクションライター) ケアとは今以上に傷つけないこと
「阪神大震災以降、「心のケア」の活動を取材してきました。その基本は「相手を今以上に傷つけないこと」です。
支援する側は「自分は傷つける者」だと考えた上で行動したほうがいいと思います。
人間は誰かを傷つけ、自分自身も傷つく―。当たり前のことなのに、特に災害時は、認識するのが難しくなるようです」(10日付京都新聞夕刊、リレー連載「思いつないで 能登半島地震」から抜粋)