アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記288・友の再婚に思う「老後の孤独」

2024年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
  大学時代の友人N が再婚した。私と同い年だから70歳の再婚だ。お相手は11歳下。
 1回目の結婚に失敗し、精神的に大きな打撃を受けていたから、再婚には驚き、そして心から“良かった”と思った。

 さらに驚いたのは、二人が知り合ったきっかけが、会員制の「マッチングアプリ」だということだ。学生時代の飄々としたNからは想像できない「(再)婚活」をしていたのだ。

 それだけ、「老後の孤独」は、深刻だということだろう。

 Nは「結婚を機に酒をやめた。少しでも長く一緒に過ごしたいから」と言っている。愛する人がいるということは、いくつになっても、人をやさしくするものなのか。

 そんな思いの中で10日、NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」(主演・岸井ゆきの)を見た。

 「家族は“沼”」だとホスピスの医師が言う。足を取られて身動きできなくなるという意味だ。永年夫の暴言・威圧に苦しめられながら看病を続けてきた妻が、夫の臨終間際、耳元でささやく。「早く逝ってください」

 家族の「愛」は「憎しみ」に容易に転化する。これも現実だろう。

 土曜ドラマに引き続き、ETV特集「漁師と妻とピアノ」を見た。

 フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」を聴いて感動し、52歳にしてピアノを始めたのり漁師の話だ。パチンコ三昧だった生活がピアノで一変した。コンクールで入賞するまでになった。その背景には亡き父への思慕があった。そんな夫をピアノ教師の妻は静かに見守り寄り添った(写真)。

 夫婦とはいいものだ、寄り添う人がいるということほど幸せなことはない、と思った。これもまた人生。

 N のようにいくつになっても「伴侶」を求め続けるか。それとも「孤独」を受け入れて「自由」に人生を全うするか。後者で腹をくくりきれない自分がいる。ただ言えることは、「孤独」は「孤立」であってはならないということだ。

 N の新しいパートナーもピアノの教師だ。「ピアノが趣味になった」とNは言っている。

<今週のことば>

 最相葉月さん(ノンフィクションライター) ケアとは今以上に傷つけないこと

「阪神大震災以降、「心のケア」の活動を取材してきました。その基本は「相手を今以上に傷つけないこと」です。
 支援する側は「自分は傷つける者」だと考えた上で行動したほうがいいと思います。
 人間は誰かを傷つけ、自分自身も傷つく―。当たり前のことなのに、特に災害時は、認識するのが難しくなるようです」(10日付京都新聞夕刊、リレー連載「思いつないで 能登半島地震」から抜粋)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記287・アイヌの文化・思想に今こそ学びたい

2024年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム
  3日のETV特集は「二風谷に生まれて―アイヌ家族100年の物語」だった。内容については別途振り返ろう。ここでは感想のみ(敬称略)。

 北海道平取町のアイヌの先住地に、和人(日本人)の政府がダムを造った。神聖な場所(チノミシリ)を切り崩して(1973年)。それと闘った、祖父・貝澤正、父・耕一、そして太一の3世代の軌跡だ。

 今のアイヌの若者たちはアイヌ民族ゆえの差別はほとんど感じたことがないという。日本人も差別をしている実感はないだろう。漫画「ゴールデンカムイ」などでアイヌに対する理解も広がっているといわれる。

 はたしてそれは本当か。

 耕一は言う。「30年たっても変わっていない。単一民族思想は今も(日本に)残っている」

 正(1992年他界)は神聖な森を残すために借金をして土地を買い、木を植えた。耕一はそれを3倍に広げた(約90㌶)。

 耕一は言う。「木は根が絡み合って大地を支える。だから雑木林がいい。木はゆっくり育つ。人間は急ぎ過ぎるんだよ」

 二風谷(にぶたに)はアイヌ語で「ニプタイ」、「木の生い茂るところ」という意味だ。

 日本の侵略・植民地支配は、朝鮮半島、台湾、沖縄そして北海道のアイヌだ。アイヌに対する加害の歴史と現在に、それなりに関心は持ってきたが、向き合ってくることがきわめて不十分だったと、今さらながら思う。

 そして、世界が戦争と環境破壊に包まれている今、日本が戦争国家への道を猛進している今こそ、日本人はアイヌの文化と思想に学ぶべきだと痛感する。

<今週のことば>

 宇梶剛士さん(俳優)   アイヌらしいことは、人間らしいことだ

「アイヌ民族はいろんなものを神に見立てて「カムイ」と敬い、大切にする。森羅万象を粗末にすることは、未来を粗末にすることだという教えがあるからだ。人の間に階層がなく、皆で生きている感じがする。アイヌらしいことは、人間らしいことだと思う。

 俺は先人からアイヌの温かさや人なつこさ、不屈やリスペクトの精神を与えられた。そういうことを大切に、人生を歩んでいくのは豊かで楽しいじゃないか」(3日付京都新聞夕刊。ETV特集とは無関係の記事)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記286・がん患者が医療を変える

2024年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
 27日のETV特集は「患者が医療を変える」。日本肺がん患者連絡会理事長の長谷川一男氏の活動を追った。

 長谷川さんは2010年に「ステージ4、余命10ヶ月」を宣告された。当時39歳。まだ幼かった子どもたちの成長が見たいと、自ら抗がん剤、治療法を勉強し、少しでもより良い薬、治療法を求め続けた。

 3年後に腹膜に転移。それでも歩みは止めなかった。2015年に患者会(「ワンステップ」)を立ち上げた。多くのサバーバー・家族が集い、語り合い、探求し続けてきた。会員は全国で6000人にのぼる。

 外国の製薬会社にも出向いて治験を要請した。長谷川さんたちの活動は医師や製薬会社も注目し、昨年の世界肺がん学会で長谷川さんは報告に立った(写真)。

 まさに、がん患者(たち)が、新薬の開発、新しい治療法に道を開き、医療を変えてきているのだ。そして長谷川さん自身、「余命10ヶ月」宣告から13年たった今も、元気で活動し続けている。

 長谷川さんの活動を物心両面で支えてきたのは、お連れ合いをはじめとする家族だ。患者会に集う人々の話からも、がん患者(サバイバー)にとって、家族がいかにかけがえのない存在かが分かる。

 自らの手で道を切り開いている長谷川さんたちにくらべて、私は医者の指示のままに、名前も知らない(覚えていない)抗がん剤を飲み、副反応が怖くて途中でやめて、それっきり。恥ずかしい限りだ。

 治療・医療の主役は患者だ。患者の「生きる勇気」(長谷川さん)が「余命宣告」を打ち破り、医療を前に進める。がんとどう向き合い、どうつきあっていくか。改めて考えてみようと思う。

<今週のことば>

 平野啓一郎氏(小説家)   それでも私は死刑制度に反対している

「被告に死刑が言い渡された。これだけ多くの人が殺された事件で遺族が最高刑を望むのは当然だろう。ただし、最高刑が終身刑の国もある。「被害者は、みんな死刑を求めるはずだ」という認識から出発して良いのか。

 極めて理不尽な暴力で36人が犠牲になった。それでも私は死刑制度に反対している。人を殺すことを禁じている社会の原則は、絶対的な規範であるべきで、その逸脱者である被告と同じように、憎しみが極まった時には、人を殺すこともやむを得ない、という発想に立つべきではない」(27日付京都新聞)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記285・これでいいのか日本共産党のジェンダー感覚

2024年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム
 「共産党は「ジェンダー平等」を党綱領に掲げており、田村(智子)氏の(委員長)起用はそれに沿うものでもある」。琉球新報は20日の社説でこう評価した。果たしてそうだろうか。

 志位和夫議長は党大会最終日(18日)、「新しい中央委員会を代表して」おこなった「閉会あいさつ」でこう述べた。

「新しい体制をつくるさいに、特別の力を注いだことは、ジェンダー平等を綱領に掲げる党として、女性幹部を積極的に起用し、その比重を高めることであります。その結果、中央委員会のうち女性役員数は、第28回党大会の61人から7人増えて68人となり、女性役員の占める率は27・6%から31・6%へと4・0㌽高まり、人数・率ともに党史上最高を更新しました(拍手)
 日常的に全国的な指導責任を果たす機関である常任幹部会は、女性の比率は30・8%から32・0%に引き上がり、これも党史上最高を更新しました。(拍手)」(19日付しんぶん赤旗。(拍手)は赤旗独特の表記方法で、会場から拍手つまり同感の意思表示があったことを示す)

 女性役員の割合が、中央委員会が「31・6%」、常任幹部会が「32・0%」。これが「党史上最高」だと言って誇れる数字だろうか。女性役員は男性の3分の1にも満たないのだ。

 志位氏が触れなかった他の指導機関の女性比率はさらに深刻な実態だ。

 〇党4役(議長、委員長、書記局長、副委員長)…9人中2人(22・2%
 〇幹部会(常任幹部会の母体)…61人中16人(26・2%
 〇書記局(幹部会が任命する日常党務の中心)…18人中5人(27・8%
(19日付しんぶん赤旗に掲載され新人事より計算。写真は赤旗に掲載された党4役)

 こうした実態を志位氏も手放しで誇示しているわけではない。先に続けて、「もとよりこの到達に満足することは許されません」と述べている。だが注目されるのはその続きだ。

「さらに女性役員の比率を引き上げるために、中央でも、地方でも、女性が、男性とともに、その力をのびのびと発揮できる条件と環境をつくるために、お互いに努力をしていこうではありませんか。(拍手)」(同)

 女性役員の比率が低いのは、「中央も地方も」「女性が力をのびのびと発揮できる条件と環境」ができていないからだ、と認めているのだ。

 共産党は戦前・戦中、女性が男性の活動を公私にわたって支える(奉仕する)のが当然とされた苦い歴史を持つ。しかし、敗戦から79年、新綱領決定からも63年になる。それでもいまだに、このような状況であると党大会で述べざるをえない。これが「拍手」に値するだろうか。

 共産党のジェンダー感覚、ジェンダー実態は数十年遅れていると言わざるをえない。
 「女性が力をのびのびと発揮できる条件と環境」ができていない党の現状は、選挙での相次ぐ敗北や党勢の大きな落ち込みとけっして無関係ではない。

 共産党は次の党大会までに、党4役をはじめあらゆる機関の女性役員の比率を、少なくとも「50%」に引き上げるべきだろう。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記284・映画「PERFECT DAYS」な生き方

2024年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム
  昨年のカンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞を獲得した「PERFECT DAYS」。日本で撮影された映画だが監督はドイツのビム・ベンダース。役所は企画段階から参画していた。

 都内のトイレ清掃会社に勤める平山(役所)のなにげない日常が繰り返し描かれる。何か事件が起きるわけではない。しかし、心を打つ映画だった。平山と自分との共通点が多いからだろうか。

 高齢(60~70代)男性の一人暮らし。この歳で仕事に励む(励まねば生活できない)。職場では若い同僚の尻拭いもする。読書と音楽が毎日の楽しみ(平山は洋楽だが私は歌謡曲)。がんを患った離婚男(平山ではないが重要な役=三浦友和)。そして、家族との関係で心を痛める―。

 「影(陰)は重なると濃くなる」―ラストの平山と男(三浦)の会話と行動が、この映画の柱の1つだ。その言葉も身に染みる。

 最も心を打たれたのは、平山の笑顔だ。仕事の中で、車の中で。いろんなことがあって、それを全部包み込んで、それでも笑顔をつくる。その強さに打たれた。役所の演技力が光る。

 当初、脚本を読んだ役所は、平山を喜怒哀楽を表さない男として演じようとした。「だが、監督から「ここはちょっとほほ笑もうか」などと演出が入り、完成した作品を見て、「さすがだな」とうならされた」(12月22日付京都新聞夕刊)という。

 ベンダース監督はやはりあの笑顔に意味を込め、役所もそれを見事に表現したんだな、と合点する。

 最近読んだ本で、生命科学者の中村桂子氏がこう言っている。

「大事なのは競争ではなく自分が好きなこと、大事と思うことを思いきりやることではないでしょうか。…皆がそのように生きている社会は、今よりずっと暮らしやすく、笑顔がたくさんになるに違いありません。そして笑顔こそ、暮らしやすい社会を生んでいく鍵だと私は思っています」(『老いを愛づる』中公新書ラクレ2022年)

 平山の笑顔はまさに「自分が好きなこと、大事と思うことを思いきり」やっている人間の笑顔だ。
 そんな生き方をしたい。あの笑顔に、老後(終末期)の生き方のヒントがあると思った。

 だがしかし、能登、ガザ、ウクライナ、世界の難民、貧困に苦しむ人々・子どもたちを思うと、笑顔で生きていいのか、とも思う。

 世界の過酷な現実から目をそらさず、自分の責任を自覚して、それでもなお、笑顔で生きる―そんな人間になりたい。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記283・「キャンサーギフト」を楽しもう

2024年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム
  昨年11月29日に亡くなった山田太一氏を偲んで、12月29日深夜、NHKスペシャルドラマ「今朝の秋」(1987年)が再放送された。

 笠智衆、杉村春子、杉浦直樹ら、いまや歴史上の人物ともいえる名優たちの熱演に引き込まれた。山田太一53歳の時の作品だ。

 30余年前に別れた80代の夫婦(笠・杉村)が、50代の息子(杉浦)のがん闘病を契機に、再び心を通わせ始める。息子も離婚の瀬戸際だったが、ひととき「家族」みんなで和気あいあいと食卓を囲む。息子は「家族っていいもんだという錯覚を起こしそうだ」と笑顔で。母親は「錯覚ってことはないでしょ、こうしてみんな集まっているんだから」。間もなく息子は息を引き取った。

 まさに「キャンサーギフト」だ。当時そんな言葉はなかったが、山田太一が描いたのは紛れもない「キャンサーギフト」だ。

 この言葉は、写真家の杣田美野里さんのラジオインタビュー(2021年10月15日)と著書(『キャンサーギフト 礼文の花降る丘へ』北海道新聞社2021年8月)で知った。礼文島の草花の写真と短歌とエッセイで綴られた素晴らしい本だ。杣田さんは5年前から肺がんの闘病生活を送っていた。杣田さんはこう書いている。

「キャンサーギフトという言葉があります。「がんになったからこそ受け取れるもの」という意味です」

 インタビューの直後、杣田さんは放送を聴かれることもなく、21年10月5日に永眠された。

 大腸がん手術の1カ月後に杣田さんの話を聴き、本に出会うことができたのは幸運だった。

 その杣田さんのインタビューが、昨年12月15日、「ラジオ深夜便」で再放送された。
 杣田さんの明るい声とともに、紹介された歌があらためて胸に響いた。

 (うつつ)とは死を意識して輝くと
 母の愛した言葉の一つ

 「宇宙は優しいよ」と石一つ
 多感な心に置きし人あり

 秋の花 静かに咲けり
 実を結ぶ
 ただそれだけにただひたすらに

 咲きながら一世(ひとよ)のおわりに降るものを
 キャンサーギフトとわたしは呼ぼう

 再放送を聴いて、杣田さんの別に本に収められている一首も印象に残った。

 永遠永遠(とわとわ)
 咲き継いでゆけアツモリソウ
 人の歴史は置き去りにして

 レブンアツモリソウは杣田さんが最も愛した花だ(写真、『キャンサーギフト 礼文の花降る丘へ』より)

 「今朝の秋」の「家族」と似たキャンサーギフトを、私も受け取っている。
 その「贈り物」に感謝し、楽しみながら、永遠の世界に思いをはせよう。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記282・<今年最後のことば>「真実を語り続ける」

2023年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム
   

☆ガザの子どもたちの願い(29日のNHKニュースより)  

 写真左の少年 「故郷の北部に帰りたい。家も学校のすべて恋しい」
 写真中の少女 「おなかいっぱいごはんを食べたい。毎日少ししか食べられないから」
 写真右の少女 「一日も早く戦争が終わり、ここに暮らすみんなが幸せになってほしい」

☆隠岐さや香さん(科学史家) 「後戻りできない転換点か」

<私の連載は今回が最後である。本来なら穏やかな気持ちで締めくくりたかった。だが今は一つの問いに心がとらわれている。私たちは後戻りできない方向に進む時代の転換点にいるのではないか。
 数年後、あれは杞憂だったと笑えることを祈っている。>(21日付京都新聞「論考2023」=共同)

☆あさのあつこさん(作家) 「民主主義を根付かせようとしてこなかった」

<沖縄について、沖縄で起きているこの国の大切なことについて、国民がそれ以上知ろうとしないこと、無関心でいることが、代執行を進める政府を支えている。

 民意が尊重されない国は、どれほど恐ろしいものか。私たちはそのことを実感できていない。鈍感に育てられてしまったのではないかとさえ考えてしまう。個人や地方、小さな声が国に伝わり、いかされていくのが民主主義の根幹です。この国に民主主義が根付いてこなかった。私も含めて大人たちは根付かせようとしてこなかった。その責任は重い。

 沖縄に一緒にでかけた中学生の孫にこれだけは伝えました。自分の暮らしや幸せを守ろうと思ったら、自分は何が嫌いか、自分は何を望んでいるのか、ということを自分の言葉で言えるようになろうね、と。

 反対と声をあげることは怖い。でも、家族でも、近所の友だちでもいい。身近な人と「これはどうなっているだろう」と話すだけで無関係でなくなる。無関係でなくなれば関心を持つことができ、真実が見えてくると思います。>(28日付朝日新聞デジタル)

☆徐京植(ソ・ギョンシク)さん(在日朝鮮人作家) 「真実を語り続ける」

<最後に、エドワード・サイードの言葉を思い出しておきたい。(なぜ1967年以降、政治的実践の方向に進んだのか、という問いに対して)「パレスチナ闘争が正義について問いかけるものだったからです。それは、ほとんど勝算がないにもかかわらず真実を語り続けようとする意志の問題でした」(『ペンと剣』

 私たちも、勝算があろうとなかろうと「真実」を語り続けなければならない。厳しい時代が刻々と迫っている。だが、勇気を失わず、顔を上げて、「真実」を語り続けよう。サイードだけではない。世界の隅々に、浅薄さや卑俗さとは無縁の、真実を語り続ける人々が存在する。その人々こそが私たちの友である。>(7月7日付ハンギョレ新聞、同紙に18年間続けた連載コラムの最終回の最後の言葉。ソ・ギョンシクさんは12月18日永眠されました)

ことしも拙ブログをお読みいただき、ありがとうございました。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記281・映画「もっと真ん中に」に励まされた

2023年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
 23日、ドキュメント映画「もっと真ん中に」(2019年)の上映と、登場人物のリ・シネさん、監督のオ・ソヨンさんのトークイベントが京都市内であった(写真右がリさん、左がオさん)。

 リさんは東大阪市・鶴橋在住。在特会・桜井誠と「保守速報」(ネットサイト運営者)のヘイトスピーチに対して裁判を起こし、大阪高裁で在日コリアンに対する差別と女性に対する差別の「複合差別」を認定する司法初の判決を勝ち取った(2017年6月)。判決は最高裁で確定した(同年11月)。

 「複合差別」の重大な意味を改めて考えさせられた。苦労の多い裁判を闘い続け画期的な判決(判例)を勝ち取ったリさんの勇気、リさんを支えた仲間たちの温かさに感動した。

 それ以上に心揺さぶられたのは、リさんの人間性だ。口では言えない苦労があっただろうけれど、いつも笑顔とユーモアを忘れない。それは上映後のトークにも表れた。裁判のたびに着ていくチマ・チョゴリ(韓服)を替えた。リさんは自分では言わなかったが、そこに民族の誇りをみた。

 トークの後の質疑で、「差別に無関心な日本人が多いのはなぜだと思うか」と質問した。リさんは学校の歴史教育の欠陥を指摘した上でこう言った。

「でも人間は絶対、差別のない世の中をつくることができる。みんなでつくっていきたい」

 この楽天性、人間への信頼があったから、裁判を闘い抜き画期的な判決を勝ち取れたのだろう、と合点した。

 オ監督はトークで、「撮影を始めたとき(2014年)はほとんど日本語が分からなかったけれど、それがかえって良かった」と言った。なぜ?「日本で文字が読めなかった在日1世や2世と同じ思いをすることができたから」
 こういう感性の人だから、こんな素晴らしい映画をつくることができたのだろう、とまた合点した。

 映画のタイトル「もっと真ん中で」とはどういう意味かも質問した。
 オ監督は、韓国語では「真ん中」には「韓服」という意味もある、リさんが毎回違う「韓服」を着るのは彼女の明るさと強さを示しものだから、と説明した。

 リさんがこう補足した。

「“お前ら道の真ん中を歩くな、端を歩け”というのが在特会のヘイトスピーチだった。それに対抗して御堂筋の真ん中をパレードしたこともある。そのことはオ監督は知らなかった。「真ん中」は偶然の一致だった」

 そういえばそんなヘイトスピーチがあったな、と言われて気付いた。

 土曜の午後だったが会場は満員だった。大きな拍手と笑顔に包まれ、朝鮮学校無償化の闘いなど連帯のスピーチもあり、力をもらえた時間だった。

 だが、と思う。あの会場に「日本人」は何人いたのだろう。
 映画「アリラン ラプソディ」でも思ったが、この映画も日本人こそが見るべきだ。在日コリアンの人たちが「真ん中」を歩ける社会をつくるのは日本人の責任なのだから。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記280・ドラマ「大奥」と歴史認識

2023年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
  12日、NHKドラマ「大奥」(原作・よしながふみ、脚本・森下佳子)が最終回だった。春と秋の2部構成。いずれも力作だった。特に女性俳優陣の熱演が光った。

 原作漫画、民放でのドラマ化も話題だったようだが、いずれも見ていない。徳川幕府の将軍は代々女性だった、という奇想天外な発想がしっくりこなくて敬遠していたところがあった。が、いい意味で予想を裏切られた。

 「男社会」への痛烈な批判が主題であることは間違いない。

 最終回、江戸城明け渡しの勝海舟と西郷隆盛の上野寛永寺での会談。あまりにも有名だが、ドラマではこの場に和宮(14代将軍家茂の妻、岸井ゆきの役)が男装で登場する。「代々女が将軍の徳川などつぶさなければ西欧列国にさげすまれる」という西郷に、和宮が言う。「これだけは覚えといて。この素晴らしい江戸の町をつくってきたのは女たちや」。同時に江戸庶民の女性たちの映像が流れる―圧巻のシーンで、ドラマのテーマが凝縮されているように思えた(写真)。

 だが、このドラマで考えさせられたのは「ジェンダー」だけではない。歴史認識の問題、その危うさだ。

 われわれの歴史認識は学校教育(教科書と学習指導要領)によって教え込まれる。その学校教育は、明治以降、国家権力の統制下におかれていることは言うまでもない。明治政府は薩長の藩閥権力だ。
 
 長州閥の政治は驚くべきことに今日まで続いている。安倍晋三はその権化だった。国会の所信表明で吉田松陰を賛美したこともある。その安倍の「国葬」で菅義偉が山県有朋を引用したのは笑えない現実だ。

 学校教育と共に軽視できないのが司馬遼太郎の一連の小説だ(私も『竜馬がゆく』など夢中で読んだ)。薩摩、長州出身の人物(「政治家」)に焦点を当てた「司馬史観」が日本人の近代史認識に与えている影響は小さくない。

 われわれの歴史認識は、こうした薩長藩閥の明治政府以降の国家権力によってつくられてきている。徳川将軍は歴代女性だったというのはフィクションだとしても(おそらく)、「正しい」と思い込んでいる歴史(とりわけ近現代史)のどこまでが真実なのだろうか?

 学校で教えられる「歴史」は国家権力のフィルター(検定・検閲)を通されたものだということを改めて肝に命じ、歴史の真実を追求し続ける必要がある、と思わせるドラマだった。

 余談だが、半世紀以上も前、フジテレビ系で「大奥」というドラマがあった。思春期の夜、ドキドキしながら見た記憶がある。今思えば封建制度の江戸幕府をそのまま描いたものだ。同名ながら今日の「大奥」とは似て非なるもの。それを考えれば、時代は紆余曲折しながらも、前に進んでいるのかな、とも思う。

<今週のことば>

 林カツ子さん(89歳の夜間中学生)  やっと上を向いて生きられる

< 夜間中学に通う様々な年代や出身の生徒が参加する「近畿夜間中学校連合運動会」が4年ぶりに開かれた。…89歳で最高齢の天満中夜間学級の林カツ子さんは、運動会の1週間後が90歳の誕生日。「もうすぐ90歳だが、気持ちは15歳」と意気込み、円盤を指定エリアに投げ入れる競技や紅白玉入れに参加した。

 戦時中に栄養失調で弱視になり、小学校を途中で断念した。大人になって家庭を築き平穏に暮らしていても、漢字をほとんど読めないことがいつも気がかりだった。「字が書けないことを周りに知られたくなくて、ずっと下を向いて生きてきた」という。

 去年、夜間中学が今もあることを知り、せめて手紙ぐらい書けるようになりたいと入学。今は社会や数学の授業が楽しみだという。「90歳になって、また勉強ができる。やっと上を向いて生きられる気がします」>(15日付朝日新聞デジタル、丘文奈記者)
 人間って、素晴らしい。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記279・「金権・戦犯・売国の自民党」と日本共産党

2023年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム
  自民のパー券キックバック裏金問題はやはり大きな問題になってきた。まだまだ広がるだろう。これは派閥の問題ではない。自民党の本質問題だ。「派閥問題」に矮小化しようとしている自民の逃げを許してはならない。

 「金権・戦犯・売国の自民党」―今回のことでこの言葉を思い出した。日本共産党が1970年代初めに自民党政治を規定した言葉だ。当時政策委員長だった上田耕一郎氏(不破哲三氏の実兄)の発案だったと思う。

 「金権」とは、今回のことでも浮き彫りになった裏金・賄賂など金に汚い体質だ。背景には大企業(財界)との癒着がある。ロッキード事件やリクルート事件はリアルタイムで目にしたが、自民党は結党(1955年)の前から前身の自由党・佐藤栄作(岸信介の実弟)がかかわった造船疑獄事件(1954年)はじめ、骨がらみの金権体質だ。

 「戦犯」は、侵略戦争・植民地支配の中心にいた者たちが敗戦後も政治を動かしてきた体質だ。その代表は、巣鴨プリズム(A級戦犯容疑)からアメリカの冷戦戦略によって釈放され首相にまで上り詰めた岸信介(安倍晋三の祖父)。そして、天皇裕仁だ。自民の「戦犯」体質は天皇制と一体不可分だ。

 「売国」とは、日米安保条約(1951年)でアメリカに主権を売り渡したこと。「60年安保」で対米従属をさらに強めたのが岸信介だったことは偶然ではない。その被害・犠牲を集中的に受けて今日に至っているのが沖縄(琉球)であることは言うまでもない。

 「金権」「戦犯」「売国」は自民党の本質であり、結党(前身の自由党・民主党)から今日まで何も変わっていない。「金権・戦犯・売国の自民党」とはまったく言い得て妙だ。

 そう規定された自民党は変わっていないが、規定した共産党の方が変わった。

 70年代には「金権・戦犯・売国」と正面からたたかう姿勢があった。しかしその後、「天皇制廃止」を将来の彼方に追いやり、天皇が出席する国会開会式にも出席して頭を下げるようになった(2016年~)。「赤旗」に元号表記も復活させた(17年4月~)。
「日米安保条約廃棄」は政策から取り下げてはいないが、国政選挙で訴えることはなくなった。軍事費膨張を「人を殺す予算」と批判した政策委員長(藤野保史氏=当時)を更迭することさえした(2016年6月)。

 こうした変質は志位和夫氏が委員長に就任してから顕著だ。

 共産党は「金権」とはまだ対決姿勢を保っているようだが、「戦犯」「売国」、すなわち天皇制と日米安保条約に対する自らの姿勢・変質を自己点検しなければならない。

 はっきりしていることは、「金権・戦犯・売国の自民党」と正面からたたかって政権の座から引きずり下ろさない限り、この「国」に未来はないということだ。

<今週のことば>

 岡 真理氏(早稲田大教授)   ガザで起きているのは植民地戦争

「今、ガザで起きていること、それは、植民地支配という歴史的暴力からの解放を求める被植民者たちの抵抗と、それを殲滅せんとする植民地国家が、その本性をもはや隠すこともせずに繰り出す剝き出しの暴力のあいだの植民地戦争である。…植民地主義は終わっていない。ガザの子どもたちの死者6150人(2023年11月28日現在)という数に絶句しながら、私たちは言わなければならない。これを終わらせると」(「世界」2024年1月号所収「この人倫の奈落において ガザのジェノサイド」)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする