おはし日記

弁当を中心に、日々のことを、綴っていきたいと思います(*^^*)

父が遺したもの

2021-01-02 23:42:25 | 日記
父が亡くなって1年
父は建具店を営んでいた。
私が小さい頃は、大工さんが家を建て、父のような建具屋がその中の戸などの建具を作り、取り付けをして一軒の家を建てるという工程が普通だったが、今は工務店さんが一切を取り仕切って家を建てているので父のような仕事は需要が減っていった。ちょうど年も取り店をたたむ時期とそのような仕事の流れが重なり、それプラスして体を悪くしたのも重なりちょっとした直しの仕事をたまに引き受ける程度の仕事の仕方が数年続いたのを記憶している。
 
父は、暇になった時間で茶箱を作り、親類やお世話になった方にもらっていただいていたのを覚えている。
私には、「俺の手の跡だ」と言っていた。その言葉だけは鮮明に覚えている。約20年ほど前のことだろうか。
 
父が亡くなり、木や道具などの整理をする中で何かを作ろうとしていた途中と思われる木工細工が見つかった。
正直、すごいと思った。こんなに器用だったとは、生きている間には気づかなかった。
 
写真のように額がついていたわけではなく、細工模様だけがつくってある状態のものを見つけたので、父の仕事仲間の方にお願いして額をつけていただいた。
 
 
                                       








職人気質の父でちょっと難しい人だったが、亡くなった今、こんな素敵なものを遺していってくれて私は嬉しい。ありがとう。
 
 
ご覧いただきありがとうございました
 
では、またね


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新しい年

2021-01-02 00:17:53 | 日記
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
我が家のおせちです。
エビの甘辛煮、クルミ入り田作り、栗きんとん、なますは私の手作り
あとは市販品で簡単ですが新年のお祝いに。
 
 
 
 
昨年は、父母が相次いで亡くなり別れの年となりました。
年末には、19年我が家のアイドルだった愛犬も2人の後を追うように亡くなりました。
 
 
今読んでいる本、若くして妻を亡くした夫とむすめの成長の小説
重松清の「ステップ」の中からの抜粋です
 
 悲しみや寂しさを早く消し去りたいと思っていたのは、いつ頃までだっただろう。
いまは違う。悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、
付き合っていくものなのだと---誰かが、というものではなく僕たちが生きてきた日々が、
教えてくれた。
 悲しみを胸にいだいたまま生きていくのは、決して悲しいことではない。
そのひとがいないという寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった
瞬間よりも、ほんとうは幸せなのかもしれない。
 
ものすごくうなずける一節です。
 
もう一つ心に残った一節
 
 数えきれないほどの今日を昨日に変えていって、いま、僕たちはここにいる。
 
今日を昨日に変えることは生きていくということ。
当たり前のことなんだけど、すっと腑に落ちて納得する一文に出会った感じです。
 
重松清さんの本はどの本も涙なしには読めません。
その涙する行為を求めているのが今の私なんでしょうね。
 
ご覧いただきありがとうございました
では、またね
 
    


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