松井秀喜選手の活躍は本当に素晴らしいですね。人のことなのに、なんだか自分の目の前がぱーっと明るくなった感じがしますもの。
本人としては、アメリカに来てから、不本意のことが多かったんじゃないですか。
「アメリカに来て、まだ何もやっていない」とずっと言っていたそうですから。
しかも、ここ3年くらいは、ケガに泣かされどおしで、思うように野球ができなかったのでしょうからね。
それだから、言うことが泣かせます。
「膝が痛いとか、打てないとか、そういうことはあったけど、決して苦しくはないよね。やっぱり、プレー、試合ができれば決して苦しくない」
ほんとに、素晴らしいことを言うし、考えている人ですね。
松井選手は、ヤンキースの最初の年にワールド・シリーズに出場しましたが、このときチームは敗れています。
また、05年のプレーオフ地区シリーズでは、最後のバッターになっています。これがとても悔しかったのだそうです。
ところが、彼は「悔しさをパワーとして次に活かす」というのです。
「逆にそういうことができる人じゃないと、悔しい思いを神様はさせないんじゃないかな」
人間、いつもそういう気持ちでいないといけないなと、つくづく思わされました。それにしても晴れやかな気持ちになりますねえ。
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さて、このブログは「リーダーの人間行動学」とタイトルを改めて、また頑張っていくつもりです。
そして、公式サイトも、L研ブックストアのサイトも、この路線中心にだんだんとシフトさせていくつもりです。
今日は、以前このブログで取上げた松井選手の高校時代のエピソードにちなんだ私の実話を、松井選手の活躍にちなんでまた取上げることにします。
松井秀喜選手が高校時代に甲子園に出場したときのことです。
対戦相手の監督は松井の高校生ばなれした打撃に恐れをなして、なんと5打席全部敬遠するよう投手に指示をしてしまったのです。
当時のスポーツ紙紙面では大騒ぎだったんですよ。
多くの野球ファン、特に高校野球ファンは憤慨しました。「高校野球らしくない」「正々堂々戦え」とかですね。
そのころのことですが、仕事仲間の男が、私に話しかけてきました。
「ルールに従って野球をやっているんだ。敬遠して何が悪いんだ。当然のことだろう。それをいちいち怒っているやつはバカみたいだ」
彼はあきれたような顔をして、舌打ちをしました。
この人、私の見たところ2種でした。2種の詳しい説明は『行動分析の手引』をL研ブックストアで買ってお読みください。結構、こういう人は世の中にいるんですよ。頭のよい人なんですがね、理屈好きなんです。
彼があまりにも真顔で主張するのを見て、私はおかしくなってしまいました。
だいたい私は「自分が所有している問題」でない限り、頭を使わない主義なんです。「自分の所有する問題」というのは、自分にかかわる問題とか利害がある問題という意味です。
要するに、私は「まあどっちでもいいや」と思っているわけ。それで、ついからかってやりたくなって、彼に言いました。
「たしかに君の言うことは理屈だ。ルールに違反していないんだから、それも作戦のうちだろう」
彼は私の言葉に大きくうなずきました。私はそこでこうつづけたのです。
「でもね、世の中には、君のように冷静な人ばかりじゃないんだよなあ」
彼はオヤッというような顔をしました。
「だいたい世の中というのは、感情的な人の意見がとおっちゃうのよ。その方が圧倒的に数が多いからね。だから、冷静な意見をいう人はよってたかって痛めつけられるの。きっとそういう人は、これからの時代は生きていくのがたいへんだろうね。気の毒なことだけど。世の中から追い出されてしまうかもねえ」
彼は私のことをある程度信頼していましたので、私のこのご託宣に顔は青ざめました。
それから彼は言葉少なになりました。彼の人生はこれから、暗く重苦しいものになるでしょう。
最後はちょっとドラマチックに書きすぎたかな。ははは。
私もずいぶん意地が悪い。純真な人をいじめちゃいけません。でもあまり頑固な人を見ると、ついやっちゃうんですよ。
自分が所有していない問題に、いちいち首を突っ込んで考え込んだり意見を言うのは、私は面倒くさくてたまらないんですよ。たぶん、私の頭はそれほどキャパシティが大きくないのでしょう。頭の省エネ人生を標榜しております。
最後になりましたが、『行動分析の手引』をよろしく。人生の荒波を克服するには、松井選手の活躍に感銘することと、『行動分析の手引』を読むことだと、私は思っています。
本人としては、アメリカに来てから、不本意のことが多かったんじゃないですか。
「アメリカに来て、まだ何もやっていない」とずっと言っていたそうですから。
しかも、ここ3年くらいは、ケガに泣かされどおしで、思うように野球ができなかったのでしょうからね。
それだから、言うことが泣かせます。
「膝が痛いとか、打てないとか、そういうことはあったけど、決して苦しくはないよね。やっぱり、プレー、試合ができれば決して苦しくない」
ほんとに、素晴らしいことを言うし、考えている人ですね。
松井選手は、ヤンキースの最初の年にワールド・シリーズに出場しましたが、このときチームは敗れています。
また、05年のプレーオフ地区シリーズでは、最後のバッターになっています。これがとても悔しかったのだそうです。
ところが、彼は「悔しさをパワーとして次に活かす」というのです。
「逆にそういうことができる人じゃないと、悔しい思いを神様はさせないんじゃないかな」
人間、いつもそういう気持ちでいないといけないなと、つくづく思わされました。それにしても晴れやかな気持ちになりますねえ。
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さて、このブログは「リーダーの人間行動学」とタイトルを改めて、また頑張っていくつもりです。
そして、公式サイトも、L研ブックストアのサイトも、この路線中心にだんだんとシフトさせていくつもりです。
今日は、以前このブログで取上げた松井選手の高校時代のエピソードにちなんだ私の実話を、松井選手の活躍にちなんでまた取上げることにします。
松井秀喜選手が高校時代に甲子園に出場したときのことです。
対戦相手の監督は松井の高校生ばなれした打撃に恐れをなして、なんと5打席全部敬遠するよう投手に指示をしてしまったのです。
当時のスポーツ紙紙面では大騒ぎだったんですよ。
多くの野球ファン、特に高校野球ファンは憤慨しました。「高校野球らしくない」「正々堂々戦え」とかですね。
そのころのことですが、仕事仲間の男が、私に話しかけてきました。
「ルールに従って野球をやっているんだ。敬遠して何が悪いんだ。当然のことだろう。それをいちいち怒っているやつはバカみたいだ」
彼はあきれたような顔をして、舌打ちをしました。
この人、私の見たところ2種でした。2種の詳しい説明は『行動分析の手引』をL研ブックストアで買ってお読みください。結構、こういう人は世の中にいるんですよ。頭のよい人なんですがね、理屈好きなんです。
彼があまりにも真顔で主張するのを見て、私はおかしくなってしまいました。
だいたい私は「自分が所有している問題」でない限り、頭を使わない主義なんです。「自分の所有する問題」というのは、自分にかかわる問題とか利害がある問題という意味です。
要するに、私は「まあどっちでもいいや」と思っているわけ。それで、ついからかってやりたくなって、彼に言いました。
「たしかに君の言うことは理屈だ。ルールに違反していないんだから、それも作戦のうちだろう」
彼は私の言葉に大きくうなずきました。私はそこでこうつづけたのです。
「でもね、世の中には、君のように冷静な人ばかりじゃないんだよなあ」
彼はオヤッというような顔をしました。
「だいたい世の中というのは、感情的な人の意見がとおっちゃうのよ。その方が圧倒的に数が多いからね。だから、冷静な意見をいう人はよってたかって痛めつけられるの。きっとそういう人は、これからの時代は生きていくのがたいへんだろうね。気の毒なことだけど。世の中から追い出されてしまうかもねえ」
彼は私のことをある程度信頼していましたので、私のこのご託宣に顔は青ざめました。
それから彼は言葉少なになりました。彼の人生はこれから、暗く重苦しいものになるでしょう。
最後はちょっとドラマチックに書きすぎたかな。ははは。
私もずいぶん意地が悪い。純真な人をいじめちゃいけません。でもあまり頑固な人を見ると、ついやっちゃうんですよ。
自分が所有していない問題に、いちいち首を突っ込んで考え込んだり意見を言うのは、私は面倒くさくてたまらないんですよ。たぶん、私の頭はそれほどキャパシティが大きくないのでしょう。頭の省エネ人生を標榜しております。
最後になりましたが、『行動分析の手引』をよろしく。人生の荒波を克服するには、松井選手の活躍に感銘することと、『行動分析の手引』を読むことだと、私は思っています。