暗示型戦略の達人といったら、長嶋監督をおいていないと私は考えています。あんまり上手なので、拙著『成功を確信させる暗示型戦略』ばかりでなく、近著『部下の心をリードするリーダーの暗示学』でも、事例として取り上げてしまいました。このブログでも書いていますが、かなり前のことなので、読んでいる人が少ないと思い、また書きました。ただ、困ったことがあります。私は子供のころ大の長嶋ファンだったのですが、人間の頭のなかには、理性と感情が同時に住むことはできないのです。それで、長嶋さんの戦略を分析していくうちに、私は長嶋さんのファンでいられなくなったようなのですよ。ちょっと寂しいな、つまらないなと思ってます。
「1996年の秋」
1996年のシーズン、長嶋巨人は最悪のスタートを切りました。「ロケット・スタート」をきると宣言したのに、四月は五位に終わり、散々な結果でした。その後も調子が出ません。
7月6日の時点で、首位広島とは11.5ゲームも離されていました。こんな大差を逆転した例は、それ以前には二度しかありませんでした。
しかし、長嶋監督はあきらめずにネバー・ギブアップを叫んでいました。夏場になれば、よその球団の投手陣がへばるのに対して、巨人は豊富な投手陣が効いてくると確信していたからです。
そして、7月9日の対広島戦で猛打を爆発させて打ち勝ってから、状況が一変しました。それからは、松井の打棒は輝きを増し、投手陣も先発組と救援陣が共々がんばり、ついに8月20日には首位に躍り出たのです。
しかし、その後一ヶ月は、巨人、中日、広島と三すくみ状態が続きました。こうして、いよいよ9月20日から、対中日3連戦とそれに続く対広島戦2連戦の直接対決カード5連戦を迎えることになりました。
その前日の9月19日、ジャイアンツ球場での練習後、奇妙な光景が展開されました。
「暗示を仕掛けた長嶋監督」
選手、首脳陣、合わせて三十人ばかりが、芝生の上で車座になり、そこに長嶋監督が静かに歩み寄って腰を下ろし、話しはじめました。
「いいか、11.5ゲームも離された時は、もう追いつかないと思っただろう。だが、それを驚異的な追い上げでここまで来た。第一ハードルは越えた。明日からの5連戦の第2ハードルを越えれば、もう少しだ。そうすれば、第3の最後のハードルまで行ける。とにかく、自分たちの力を信じてやりなさい。信じて、そして勝つんだ(1)」
監督の熱弁は10分も続きました。監督は訓示を終えて立ち上がる間際にもう一度連呼しました。
「絶対勝つぞ。勝つんだぞ。絶対に勝つぞ」
「20日の試合」
翌20日の試合は、後に語り草となる試合になりました。
巨人は、8回表まで2対4とリーダーされていましたが、8回裏に清水の代打ソロで1点差に追い詰め、9回裏に吉村の起死回生の代打ソロホームランで、ついに追いついたのです。
延長10回表には、二死満塁のピンチを救援の川口が抑えると、その裏、代打後藤がサヨナラ犠牲フライを打ち、勝利をもぎ取りました。
この試合は、神がかり的な選手起用の試合でした。
この年、巨人は11.5ゲーム差をひっくり返す「メイクドラマ」を成就させたのです。
「長嶋暗示の解説」
中日戦の前日に選手に与えた暗示――これこそ、長嶋監督の一世一代の暗示だと私は思っています。
第1ハードル、第2ハードル、第3ハードル、と示した監督の言葉は、まぎれもなくプロセス暗示です。ここでおもしろいのは、いずれのハードルも「障害克服型」の課題提示であることです。
障害克服型の課題は、メンバーが意欲をもっているときは非常に有効なのだと、先日申し上げましたね。
ところで、特に興味深いのが、第1ハードル――11.5ゲームという大きなハードル――です。「第1ハードルは越えた」と過去形になっていますね。監督は、ハードルをクリアしてから提示しているわけです。
これは、過去の実績、成功例の活用です。それをあえて、プロセスの導入部に提示しているのです。なにやら、“後だしじゃんけん”のようでもあります。
選手の頭の中にはすでに実績として定着しており、自信にもなっています。そこでプロセスの冒頭にそれをもってきて、「こんなすごいハードルをクリアできた君たちなら、第2、第3のハードルだってイケル」と暗示しているのです。
選手たちだって、ここまでやってきたという自信がありますから、続いて提示された第2ハードル、第3ハードルの障害だって克服できるぞと、一気に盛り上がったんでしょう。
この、一連の障害を含んだ暗示を出したタイミング、まさに絶妙でした。
引用:(1)週刊ベースボール 1996年10月7日号、32頁
「1996年の秋」
1996年のシーズン、長嶋巨人は最悪のスタートを切りました。「ロケット・スタート」をきると宣言したのに、四月は五位に終わり、散々な結果でした。その後も調子が出ません。
7月6日の時点で、首位広島とは11.5ゲームも離されていました。こんな大差を逆転した例は、それ以前には二度しかありませんでした。
しかし、長嶋監督はあきらめずにネバー・ギブアップを叫んでいました。夏場になれば、よその球団の投手陣がへばるのに対して、巨人は豊富な投手陣が効いてくると確信していたからです。
そして、7月9日の対広島戦で猛打を爆発させて打ち勝ってから、状況が一変しました。それからは、松井の打棒は輝きを増し、投手陣も先発組と救援陣が共々がんばり、ついに8月20日には首位に躍り出たのです。
しかし、その後一ヶ月は、巨人、中日、広島と三すくみ状態が続きました。こうして、いよいよ9月20日から、対中日3連戦とそれに続く対広島戦2連戦の直接対決カード5連戦を迎えることになりました。
その前日の9月19日、ジャイアンツ球場での練習後、奇妙な光景が展開されました。
「暗示を仕掛けた長嶋監督」
選手、首脳陣、合わせて三十人ばかりが、芝生の上で車座になり、そこに長嶋監督が静かに歩み寄って腰を下ろし、話しはじめました。
「いいか、11.5ゲームも離された時は、もう追いつかないと思っただろう。だが、それを驚異的な追い上げでここまで来た。第一ハードルは越えた。明日からの5連戦の第2ハードルを越えれば、もう少しだ。そうすれば、第3の最後のハードルまで行ける。とにかく、自分たちの力を信じてやりなさい。信じて、そして勝つんだ(1)」
監督の熱弁は10分も続きました。監督は訓示を終えて立ち上がる間際にもう一度連呼しました。
「絶対勝つぞ。勝つんだぞ。絶対に勝つぞ」
「20日の試合」
翌20日の試合は、後に語り草となる試合になりました。
巨人は、8回表まで2対4とリーダーされていましたが、8回裏に清水の代打ソロで1点差に追い詰め、9回裏に吉村の起死回生の代打ソロホームランで、ついに追いついたのです。
延長10回表には、二死満塁のピンチを救援の川口が抑えると、その裏、代打後藤がサヨナラ犠牲フライを打ち、勝利をもぎ取りました。
この試合は、神がかり的な選手起用の試合でした。
この年、巨人は11.5ゲーム差をひっくり返す「メイクドラマ」を成就させたのです。
「長嶋暗示の解説」
中日戦の前日に選手に与えた暗示――これこそ、長嶋監督の一世一代の暗示だと私は思っています。
第1ハードル、第2ハードル、第3ハードル、と示した監督の言葉は、まぎれもなくプロセス暗示です。ここでおもしろいのは、いずれのハードルも「障害克服型」の課題提示であることです。
障害克服型の課題は、メンバーが意欲をもっているときは非常に有効なのだと、先日申し上げましたね。
ところで、特に興味深いのが、第1ハードル――11.5ゲームという大きなハードル――です。「第1ハードルは越えた」と過去形になっていますね。監督は、ハードルをクリアしてから提示しているわけです。
これは、過去の実績、成功例の活用です。それをあえて、プロセスの導入部に提示しているのです。なにやら、“後だしじゃんけん”のようでもあります。
選手の頭の中にはすでに実績として定着しており、自信にもなっています。そこでプロセスの冒頭にそれをもってきて、「こんなすごいハードルをクリアできた君たちなら、第2、第3のハードルだってイケル」と暗示しているのです。
選手たちだって、ここまでやってきたという自信がありますから、続いて提示された第2ハードル、第3ハードルの障害だって克服できるぞと、一気に盛り上がったんでしょう。
この、一連の障害を含んだ暗示を出したタイミング、まさに絶妙でした。
引用:(1)週刊ベースボール 1996年10月7日号、32頁