照・テル・ぼうず

つれづれ日記

2010年大晦日

2011-01-01 | 日記
大晦日といえば年越しそば。私がいつからそれを担当するようになったか定かではないけれど、随分前(若いとき)からしているような気がする。よく作ったのは鳥なんそば・・・要するに鶏肉と玉ねぎ入りの日本そばであった。私の麺類好きは物心ついたときからで、それが今もそのまま三食麺類でもオッケイというほど。ちなみに私が三歳時の初恋の相手がうどん屋の息子であり、将来はうどん屋に嫁いで毎食うどんを食べるつもりであった・・・というくらいなのだから。
  それと麺類といえば、我が生まれ故郷の本町二丁目に祖父母と、私、妹の4人でよく入ったうどん屋、“岡徳”。それはそれは古い建物で今にもつぶれそうで、今も忘れられないのがそこの名物おばちゃん。そのおばちゃんのしゃべりかたがなんとも言えず面白くて、きいちゃんはよく真似をしていた。“肉うどん”とひねり出すような言い方で注文を通すときの物まねがきいちゃんの得意とするところであった。そしてそこのうどんがとても美味しかった。肉うどんも好きだったけど、なんといっても“しっぽく”といわれるかやくうどん・そば・にゅう麺がその店の名物であった。
  2011年に年越しするときのそばはそのときの“しっぽくそば”を思い出しながら作ってみた。湯葉と穴子、かまぼこ、ほうれん草はなかったのでまるで同じというわけにはいかなかったが、出し巻き玉子、さやえんどう、しいたけ、たけのこ、鶏肉、えび、青ねぎを入れてみました。岡徳ではお稲荷さん2個入りと一緒に食していたが、我が家ではかやくご飯つきにしてみました。具は、鶏肉、しいたけ、ごぼう、にんじん、油揚げ、昆布、こんにゃく。
日本酒をワイングラスで飲みながら、年越しそばをこの外地で旦那と二人食した。かくして、照ちゃんと今生の別れを惜しんだ2010年が暮れたのでした。

元禄スーパーヒーローの日

2010-12-14 | 日記
  12月13日は祖父母の結婚記念日。そしてその翌日、12月14日は四十七士の討ち入りの日。年末にはきまったように、“忠臣蔵”を見ていた。今年は誰が大石内蔵助で吉良上野介役を演じるのか、また四十七士が誰なのかが気になるところであった。もちろん同じあらすじなのだがこの配役と演出によって盛り上がり方がちがうんだなあ・・・。私の一番のお気に入りだったのは1985年日本テレビで年末に放映された森繁 久彌演じるところの吉良上野介である。(ちなみにそのときの大石は里見浩太郎。)この吉良のどこが良かったかというと、今までの吉良とは違って単に首を切られるのではなく、とにかく最後まで命乞いをしてなんとも人間くさくて醜く、憎らしいというところだと思う。森繁はやっぱりうまい!

  ご存知のようにこれは江戸時代で元禄のときのあだ討ちもの。つまり万人が好む正義が勝ち悪(もしくは権威)が滅びるという物語である。始まりは播州赤穂のお殿様、浅野内匠頭が江戸城内の松の廊下において吉良上野介に切りかかったいわゆる人情松の廊下といわれる刃傷事件。浅野匠頭の切腹、その後浅野家はお家断絶。それによって君主に忠臣を尽くすべく、家老上席の大石内蔵助を中心にした四十七士たちがが仇討ちをするまでの物語。このあだ討ちを遂行するまでの四十七士たちのいろんな苦労話しをみていると、思わず頑張れと応援したくなるものであった。そしてあだ討ちを果たしたときは最高潮に達し、どんなに嬉しい気持ちになったことか。

  でもよく考えれば、辛抱のないお坊ちゃま君主のせいで、自分たちの生活が失われたわけだからいい迷惑というものなんだけど、これを武士世界の忠臣という美しい部分として取り上げて物語になっているのも悪くはない。江戸幕府によって押さえつけられていた人々の暮らし、その鬱憤を晴らすかのような日本のスーパーヒーロー、四十七士たち。彼らのあだ討ちを年末に家族みんなで揃って見ることで、この一年が無事終わるんだと実感していたあの頃を懐かしく思い出す。

スーパーウーマン

2010-11-23 | 日記

日本を離れて久しい主人はドライブしているときにきまって口ずさむのが唱歌・・・ふるさと、みかんの花咲く丘、に始まって尽きることなく歌い続ける。先日シカゴの日本の食材のショッピングに出かけたときもいつもと同じように調子よく歌っていた。その中で、“垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ焚き火だ落ち畑・・・”と歌い始め、“しもやけおててがもうかゆい。”と聞いたとき私の手が急にかゆいような気がした。

というのも小学生の頃の私は 冬になればきまってしもやけで手がはれ上がり紫色になり、最後のほうには手がくずれるような痛ましい状態になった。そのことを私の体が覚えていて なんとなく反応したのである。その頃の担任の先生は、“Kさんはしもやけだから、雑巾がけをしなくてもいいから”と学級のみんなの前で言ってくれていたほどだ。手だけではなく足もしもやけでいつもの靴より1サイズは大きいものでないと入らないくらい腫れ上がった。そんなにひどかったしもやけが成長していくにしたがっていつの間にかしなくなった。

私たちが小さい頃祖母は 冬ともなれば替えの下着一式をコタツに入れて暖めておいてくれた。だから着替えるときに寒さを感じない・・・今から思えばなんて過保護。そうなんです、私たち二姉妹は超過保護に育ったのでした。祖母は至れり尽くせりしてくれる人で何不自由なく育ったので、何かがなかったりして困ったりなどというようなことがなかったような気がします。祖母の家事はいつも完璧であったような気がします。洗濯したものはほとんどがアイロンをかけられていました。面白いのは祖父の夏のコットンの下着(パンツとシャツの両方)には薄い糊をし、アイロンがかけられていました。それが当然だと思っていたので、私も結婚当初は同じようにしました。でもこれがなかなかどうして時間を食ってしまうので 家事に追われて何もできないと泣いたことがありました。それで、そこまでする必要ないからと主人にいわれて今はしなくなったのです。今振り返ってみると祖母が家事のことで文句を言ったり、いやな顔をしたのを見たことがないのです。スーパーウーマンだったのかな、私たちのおばあちゃんは?



ちゃんばらと東映映画とブルー色

2010-11-17 | 日記
前述のさとみーなの投稿でばれてしまいました、あたしのちびりエピソード。あの時の記憶は鮮明に蘇るものです。正直なあたしはちちの言うがままその場で思いを遂げ、そのあとあったかくはなったものの急激にお尻が冷たくなったのを思い出します。映画館の椅子は確か深緑色のベルベットで、今でも深緑色のベルベットを見るたび後ろめたさを少し感じます。それとあの時見ていた映画の画面がやたらと青かったのを思い出します。青い画面と言えば、東映映画。東映映画と言えば、今はVシネマがメジャーでミナミの帝王やナニワ金融道などは好きです。いづれも金貸しを題材にしたもので若干下世話ではありますが、最後ハッピーエンドに終わるのは水戸黄門っぽいなと思います。やはり日本人は勧善懲悪もんが好きなのだなって思います。

受け継がれているもの

2010-11-13 | 日記
今日はきよれったのお誕生日。xx歳のお誕生日おめでとう。ますます磨きをかけて美しい人となってください。

そしてそのお誕生日にチャチャを披露するということで特別な日だね。私には全くダンスの才はないけれど、ひであき父から受け継がれたものなんだよね。だから今日はお父さんのためにもがんばってくださいね。

そういえば、生前に父が“ダンスが上手な女性(ひと)と踊ってると、真綿を抱いているようだ”・・・といったことがありました。それに付け加えていったのが、“お前はあかんけど、きよれったにはその才がある。”・・・このことをきよれったに言ったことあったかな?県下でタンゴ部門の1,2位を争っていた父からのお褒めの言葉なので、これはすごいよ!

そりゃそうと、最近になってやたら黒澤明の映画にのめり込んでいる私です。これはきよれったとともにやはり父から受けついているものです。若いころは“ちゃんばら”なんて野蛮で大嫌いと吹聴していましたが、黒澤ものをみるといやいやどうして・・・奥が深い。人生をうつしだしているではありませんか。それにこれは世界に通じる芸術です、しかも時代を超えて。

あまり父とのいい思い出はないのだけれど、幼いきよれったと私の二人を連れてたぶん築映にちゃんばら映画を見に行った覚えがある。もちろん内容はまるで覚えていない。というのもその映画に興味がなかったし、幼すぎて覚えていないということもあるのだろうけど、それより強烈なことがあって忘れられずにいる。きよれったが“おとうちゃん、おしっこに行きたい。”と言ったら、“いまええとこやから、そこへやっとけ。”・・・そしてしばらくしてきよれったが、“おとうちゃんお尻さむくなってきた。”そこで、父が“そうか。”といって、きよれったを違う席に移した。・・・非常識極まりない話で、こんなこと映画館の人に知れたら叱られる様なはなしですが、時効ゆえ許してたもれ。今となってはかけがえのない父との思い出話です。

今回はスペシャルにみつこってぃ母がお誕生日にいてくれてますますよかったね。いいお誕生日を旦那様と、母の3人でお祝いしてください。