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S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

8月12日

2005年08月13日 | インターネット雑記
ボイスレコーダー~残された声の記録~ジャンボ機墜落20年目の真実

20年前の8月12日の夕刻、わたしは銀座で鰻を食べていました。
デートをしていて、その相手が「鰻が食べたい」と言ったからです。
その鰻屋のカウンター近くでついていたテレビが123便の行方不明を報じ、お店の人がボリュームを上げました。
テーブル席からそのテレビを眺め、震撼する思いの中で、そのニュースを聞いていた覚えがあります。
翌日、わたしは1人で、姉が住むオーストラリアに向かう飛行機に乗ることになっていました。

昨日、8月12日、
わたしは JIROの独断的日記ココログ版「日航123便はあの30分が全てではないのだ。」 を、何度も読んでいました。
リンクされている、123便のボイスレコーダーを聞くことのできるサイトに改めて飛び、黙って聞き続けました。
このブログに記載されている「◆少なくとも次の本を読まれたい。」の本を、タイトルしか知らないことに恥じるような思いでいました。

夕刻からの、TBSの放送。
息子は、機長のご子息の遺体の身元確認のシーンに大きく反応していました。
息子は6歳のときに、自分の友達の葬儀に出席しています。
その友達の両親の望みにより、棺の中に献花をし、遺体というものを直接見て、また頬にふれた。
息子は、遺体というものを知っています。
あの、死というものの「冷たさ」。
それが「腕だけ」という状況で、「腕」から父親をさがそうとする機長のご子息。
「この腕にさわらせてください」「息子だからさわればわかる」という、この機長のご子息のシーンに、息子は黙って、しかし大きく反応していることがわかりました。
わたしは黙って、彼の肩を抱きました。
あの日いっしょにあの最初の報道を見た夫が、「息子の父親」として、そばにいました。

8月13日。
ネットを接続して、最初に開いたページは JIROの独断的日記ココログ版「ボイス・レコーダー」(TBS)視聴後、雑感。 でした。
わたしの番組の感想は、このブログで記載されていることに加えることはありません。
唯一、加えることができるのは、最後のシーンで「山本学」が出てきたことです。
ブラウン管で久しぶりに見た「山本学」でしたが、この役は彼でなければ、という実感がありました。
番組自体が大切に作られたものだと、そんなメッセージをキャスティングから受け取ったような気がしました。

思いを広げ、情報を与えてくれた JIROの独断的日記ココログ版 に感謝を込めてトラックバックです。
紹介されている「◆少なくとも次の本を読まれたい。」という本を、少しずつ読んでいこうと思っています。
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はじめまして。 (JIRO)
2005-08-14 22:24:34
satomies様、はじめまして。



「JIROの独断的日記ココログ版」を書いている、JIROです。



このたびは、拙文を取り上げていただき、ありがとうございました。



satomiesさんが仰るように、TBS「ボイスレコーダー」で、山本学氏を起用したことは、大変に作り手の丁寧を感じました。



あのような短いカットでも、重要な台詞を、適切な役者さんが、適切に演じると、非常に印象的であることに気がつきました。



普段は、ドラマを余り見ることもなく、その製作について深く考えることはないのですが、satomiesさんのblogを拝読して、



大変、良いことに気づかせていただきました。



今、遺族会の文集「茜雲」を読んでいます。あまりにも悲しいので、blogに書くかどうかわかりませんが、



また、お気が向いたときに、駄文をお読みいただければ幸いです。



それでは、失礼申し上げます。乱文、ご容赦のほど。
返信する
こんにちは (satomies)
2005-08-14 23:12:32
ご訪問と、コメントをありがとうございました。

「読者」が「筆者」からコメントをもらうということは、なかなかの光栄だなとうれしく思っています。

「JIROの独断的日記ココログ版」は、どういうきっかけで見つけたのか忘れてしまったのですが、RSSに登録して常読させていただいています。



わたしは姉がオーストラリアに住んでいて、メールで日常のやり取りなどをしているのですが。

先日、ロンドンでテロがあった折りに、姉の学生時代からの友人がロンドン在住で、通勤にテロがあった駅を使っているのだけれど、その後連絡が取れないので不安だと。

そんなやり取りをしたことがあって。

日本はどう考えているのか、というやり取りの中で、「このブログはおもしろいよ」と7月11日の記事のアドレスを渡したりしました。



さて、「山本学」ですが。

わたしはものすごく印象に残ったのですよ、あのシーンが。

あの片平なぎさの号泣シーンが、それまでの悲しみの慰められたことの象徴ならば、山本学のシーンは、「そういう遺族が多数存在した」ということの象徴的なシーンでなくてはならない。

たった1人のたったあれだけのシーンで背景としてのそれを象徴させるということは、とても難しい。

それが見事に表現されていたのを強烈に認識したんですよね。

他の人に替えられない、他の人がどうしても思い浮かばないんですよ、あのシーンが「できる」人が。

「信頼を感じさせる笑顔」で話されるからこその、あのシーンだったなあと。

単なるストーリー展開としての「ドラマ仕立て」ではなく、制作側の「表現」に関しての情熱のようなものを、あのキャスティングでわたしは感じたんですよね。

共感いただいて、うれしく思っています。



今後も「読者」として、追いかけさせていただきます。

コメントや、TB等の機会がありましたら、よろしくおつきあいくださいませ。
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