HIROの のはらうた

2012/7/31からブログを始めました。

14/7/6 平和行進の日

2014-07-06 | 世の中のこと
平和行進に参加しようと家を出たのに、
間に合わず、引き返した情けないヤツでした

平和を願って、茨木のり子さんの詩を。

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように 

茨木のり子さんが生きておられたら、集団的自衛権の容認の「閣議決定」にたいしてどのような意見をのべられたか、詩を書かれたか…

今を生きる土井大助さんは、怒りに満ちた詩(7/4新聞から)を。

そんなに戦争が

そんなに戦争がしたいのか!
何としても自衛隊に戦争をやらせたいのか?
戦争というものは 人間同士の殺傷という
老若男女を問わず人間の生命を容赦しない。

21世紀の人類の希望は戦争のない世界!
前世紀の「大東亜戦争」なるものが
どんなに偽りと悲惨にみ満ちていたか
外に内にどれだけの不義と無惨を刻んだか?
平和を至上の誓いとする日本国憲法こそ
日本再生の一縷の人道を世界に示した誇りだった!

だが、戦争指導犯罪者を「靖国の神」と崇め
はては「集団的自衛権」まで持ち出して
首相は自衛隊の戦争出動機会を執念深く狙う
そんなにも戦争がしたいのか!

サイパンや沖縄はじめ全国の空爆悲劇を忘れたのか
若い学徒らの遺言「きけわだつみのこえ」は?
「集団的自衛権」までにもしがみついて
戦争への道にもぐり込むこの国の未来像は
軽口宰相にとっていかなるものか?

保守でも革新でもいい、戦争時代を知る
自民党などの先輩政治家たちよ
戦争を知らずにそれを渇望する宰相に
生涯の政治生命かけて問い直す気はないか?
内外千万を数える戦争犠牲者に お互い
まともな顔を向けられる人生を結びたいものだ!


子ども達の未来が平和でありますように…