Nonsection Radical

撮影と本の空間

何を報道するか

2009年09月25日 | Weblog
某月某日
新聞やラジオでは(テレビは見ないから知らない)どうもわからないのが、なんとかダムの中止問題だ。
ダム建設を中止するとなったら地元では反対運動が起きているという。
その理由が知らされていない。
ここまで作ったのだから最後まで・・・とか、
移転等で生活環境が破壊されたのに、いまさら中止とは・・・とか、
そういう話は聞こえてくるが、それが反対の理由には思えないのだ。
だってダムを作ったら湖底に沈んでしまうという事で移転させられた人にとっては、ダムが出来ようが出来まいが移転先に生きていくしか方法はないのだろう。
新たな生活を送っていく事にダムの有無はすでに関係なくなっているのではないのか?
しかし報道ではそういう事しか伝えていない。
それで報道していると自覚しているのか?
問題が伝わっていないと思わないのか?
それともおかしいと思うのはsatoboだけなのか・・・?

satoboが思うのには、半世紀もさんざん振り回されたあげくに中止となっても、半世紀前の生活に戻れるわけでもなく、地域の人間関係は破壊され、都会の関係者は「はい、さようなら」ではどうにも憤りが収まらない、という感情があるのではないか。
ましてや地域整備を途中でほっぽり出し、荒れ野のようにしたまま捨てられる不安も感じるし。
つまり「お上」に対しての怒りや不安が反対運動になっているのではないかなぁと想像しているのだが、そういう報道は知らない。
知らないのはsatoboだけなのか?
それともダムは本当に必要なのだが、それを作らないという政策に反対しているのか?

もしダムが必要でなく、反対の理由が感情的なものであるのなら、民主党や大臣の前原には「責任」はないけど、現在の政権担当者として地域にお詫びするのが筋であろう。
そして新しい生活に不便がないように地域を整備し、ダムだけを作らないで撤退するのが道筋ではないか?
ビックリしたのは当初の予算の倍になった(公共事業ではよくある事)「ダム」建設費の3/4ぐらい使っても、実はまだダム本体の建設は開始されていないという事。
その予算はどこから出てくるのでしょう。
予算を追加するという事なら、やはりダムは予算オーバーということで中止するほうがいいのではないか?

ついでに不思議に思う事
高速道路無料化の是非を報道で知るが、以前に言われていた事がまったく話題にならない。
それは消却できた高速道路は順次無料化していくという高速道路を作る時に決めた「決め事」の事。
途中でそれは反古にされたのだが、すべての高速道路を無料化(作ったばかりの道路もあるだろう)の予算うんぬんで頭を悩ますより、初めに戻って、決められた期間が過ぎた高速道路は無料にするという事を復活させた方がスッキリするのではないのか?
そうすれば「受益者負担」の問題も解決するし、消却が終わっている道路は国民の資産として税金で整備するだけという理由も成り立つだろう。
どうしてそこまでさかのぼらないのか不思議に思うのだ。
報道機関がそういう記事や提言をしてはいけないプレスコードでもあるのか?
コメント (2)
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徳川さん

2009年09月24日 | Weblog
某月某日
今夕の朝日新聞の連載に徳川さんが出ていた。
徳川さんは昔カメラマンだったのだ。
そのころはホンダのバイクのカタログを撮影していて、satoboも末席でお手伝いしたのだけど、細かいことを言わないおおらかな人で仕事がしやすかった(笑)。
きっとあまりそういう仕事は好きではなかったのだろう。

あるとき、冗談まじりに「徳川さんて徳川家の方なんですか?」と聞いた事がある。
もちろん「違うよ」と否定していたのだが、その後何年かしてテレビに徳川家の当主として出演していた。
だまされた~と思ったが、当時はそんな質問ばかりでウンザリしていたのだろうとご同情申し上げた。

そののち徳川慶喜ゆかりの地を撮影したり、珈琲焙煎をしたりの人生は新聞に掲載されている通りなのだろう。
なにか古い想い出でドキがムネムネした記事であった。

追記 これは面白い!
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コメント (3)
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8x10写真展ってなに?

2009年09月23日 | Weblog
某月某日
問われましたので下のコメントで写真展の点数などつけましたが、点数には意味などありません。
ボチボチ各所で今回の写真展の感想などが出て来ています。
もっと会場で撮影者に面と向かってご意見をぶつけてみるのも面白いと思うのですが、遠慮があるように思います。
感想をうかがっていると浮かぶ疑問というのがあります。
8x10写真に「こうあらねば、こうあるべきだ」という基準があるのでしょうか?
8x10写真だから精密描写で独特の質があるべきなのでしょうか?
それが特質なのでしょうか?
また8x10写真展はこうあらねばという基準があるのでしょうか?

作った本人が言うのですが、東京8x10組合連合会を作った理由は逆にそういう「バイテン写真のジョーシキ」を無視してもいいんじゃないかという事からです。
まず一番無視したのは、8x10カメラはシロートが使うようなものでない、という点からです。
それはsatoboが初心者だから。
そして8x10カメラはアオリなどのテクニックを駆使するものだ、という点です。
テクニックのない者は大版カメラなど宝の持ち腐れだという考えは一理はあっては二里はない、栗よりうまい十三里だと思うのです。
また8x10カメラは自然などの雄大な景色を写すべきだ、という点。
写真なんか何撮ってもイイじゃん。
そんなジョーシキ関係ないもん。
というわけで、誰が考えても不真面目な遊びである事を宣言するために長ったらしいふざけた名称にしたわけです。

だいたい8x10カメラで写真を撮ってメシを喰っている人がどれだけいるんだ。
ほとんどの人はお蔵入りか「趣味」でしか撮影してないじゃないか。
ましてや都市風景を撮影している人などわずかしかいない。
だったら職業がプロだろうがなんだろうがベースは同じじゃないか。
仕事じゃない(になり得ない)8x10撮影の会。
仕事で8x10を使って撮影している人などこの会には入ってこない。
だから何をやっても自由なのだ。
8x10カメラにさえ理由はない。
理由にするために8x10カメラを選んだだけ。
会を何でくくるかというので8x10カメラを選んだだけ。
フォーマットがどうのとか実は関係ない。
だから何を撮っても、それをどのように発表しても自由。
子供に絵を描かせるのに、クレヨンを持たせるか、絵の具を持たせるかの違いでしかない。
最大の目的は、8x10カメラで撮影したいろいろな街の景色をsatoboに見せてくれる事なのだ(笑)。
それゆえバラエティに富んでいる方が楽しめるのです。

写真展というカタチにしても、ショーバイで開くわけじゃないのだから、自由でイイのです。
表現にあった展示であるほうが面白いし。
そのへんは他の美術の方が先を行っている。
問題は表現だと思う。
それは何が写っているかとかの問題じゃない。
よくsatoboは「おもしろい」という言い方をするけど、それは「興味ある=クイントリックスじゃないやインタレスティング」という事。
そういう表現が好きなんだねぇ。

感想を読んだ感想は、みんなまだ常識的な常識で写真を見ようとしている、ということ。
また撮影している方も、常識的常識で撮影しようとしている。
そういうのはウマい写真を撮る人に任せておいて、もっと違う視点から写真を撮ったら違う表現が現れてくるのでは期待しているのです。

8x10写真はこうでなくっちゃと言われる方は、こうでなくっちゃ写真を見せてくださいとリクエストも忘れません。
それを見て、「そうか。やっぱりこうでなくっちゃ」とsatoboは簡単に宗旨替えするかもしれませんし。
コメント (13)
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山崎ハコと呼ばれて

2009年09月22日 | Weblog
某月某日
今日は写真展会場には出向かず家でゴロゴロしたり読書したり台所仕事をしたりしたが、どうも風邪が長引いているようなダルい感じがする。
会場には風邪薬を飲んで行っているので症状は出ていないが、内面では頭がボッとして記憶があまりないのだ。
なにか変な事を口走っているようだが、狐が憑いているのだろう。
すっかり体力がなくなり山崎ハコと呼ばれるかもしれない状態。
それでも会社にちょっと出たりしたのだが、satoboにとってのネットアイドル(死語)リサちゃんの路上ライブを見に新宿に出かける元気はなかった。
リアルリサちゃんを見たらオジさんもハッスルしたかもしれないが・・・
仕方ないので、だまされごっこを聞いてふて寝した。
明日は店番頑張るから。



コメント (5)
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捜索不能

2009年09月21日 | Weblog
某月某日
本日写真展会場に50'sさんとbw02yokoさんがお越しにあらせられたのだが、田舎者のsatoboが都会の憩い「麻布十番」で見つけた秘密の物件にご案内した。
ちょっと得意げに先導したのだが、現場についてyokoさんが一言「ここは何度も通っているから知っている」。
このおば様いえ御麗人、日本全国津々浦々、山本リンダのように歩き回っているのではないかと思うほど、「そこは知っている」とのたまう。
このような人がご高齢にあらせられ、徘徊などという現象(現在も似たようなものだが)にあそばされた場合、捜索は不可能だ。
なにしろ心当たりのある場所が日本中になるのだから。
こういう場合、どのように対処すれば良いのだろうと考えると、また眠れなくなってしまうのであった。
コメント (3)
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