satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

こういう時代だからこそ

2018年06月08日 | Weblog
最近satoboって”過激”なことって言わないじゃないですか。
丸くなったとか”転向”したとか思われるでしょうが、あながち間違ってはいないけれど、そればかりではない。
だいたい何かを”主張”するというのは聞き入れることができなくなるもので、そういう状態というのは”守り”が弱いわけで、それがわかっているので主張と言いながら実は守りに入っているということも多々あるわけです。
それが人の言動から見えた場合に、人の不倫見て我が不倫直せの格言通り自分にも当てはめて考えられるかと。

最近自分の仕事先で、無駄話以外の話題にたまたまなったときに、それぞれの人の”個性”に触れることができて、無言の重さというものがよくわかったんです。
satoboは若くもないのでそれなりに人間の振る舞いについてそれなりの時間観察してきたので、青いなぁとか丸いなぁとかそれなりだなぁとか多少はわかるものだから、まあそんなものでしょうと思えるのだけれど、若い世代と老いた世代の感じ方の違いによる”対立”とかを目にすると、これは良い機会だと観察に努めるようになったんですね。
個人史と共に時代史というものがあると個人的には思っているので、そういう場面に出くわすと、自分のデータベースと対比してフムフムと勉強するのですが、どちらの考えにも一理はあっては二理はない栗よりうまい十三里状態で当然膠着するわけで、その状態にこそ時代+個性が現れるものだなぁと魅入られるんですね。
”参戦”すれば観察がおろそかになるので黙ってカワイイジョシの顔なんかをボンヤリ眺めている”ふり”なんかしているんですけど、実はどのように煽ったら動き出すのかと楽しみに思っていたりしてます。

今の時代って対立が表立っているんだけど、相手を凹ましても黙りはしても何も変わりはしない。
そうやって生きてきたことにはなにがしかの理由があるわけで、それを否定しても対立がさらに深まるだけ。
かといって何もしないでいるわけにはいかない時代なんだろうね。
では何をするかというのを試行錯誤しているのすよね、それぞれがそれぞれの方法で。
そこに身にあった思考というものがあればいいのだけれど、誰かの考えを借りてきたようなものを持ち出してくると話が架空のものになってしまい同意を得られない。
だいたいがそういうものは時代に合わない使い古された安易なものなので、まともに取り合う必要もないのだけれど、当人が”ギャップ”を感じない限り変わりようがない。
まるで我が事のように痛みいるわけです、個人的には。

自身としてはもう終わっていると思っているので、草葉の陰でひっそりと暮らしていこうと思っているのですけど、そういうことの参考になるなと思っているが伊能忠敬なんです。
さっさと隠居して好きなことをして暮らす。
それがいいのか悪いのかは後になればわかる。
そういう暮らしがいいのではないのかと思っているんですよ。
何もしないわけじゃない。
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