Nonsection Radical

撮影と本の空間

正しい年寄りのあり方

2017年01月30日 | Weblog
先日の中途半端な”若者評”なんだけど、ああいう風に書いても別に批判しているわけでもない。
そういう若者たちと仲良くしてもらって働かせてもらっている。
ただそういう風に感じられるというメモ書きだ。
そういうメモ書きが時間が過ぎることによって何かの(それこそ)メモとして生かされることもあると思うのだ。
メモとはそういうものだから。

メモの内容のように感じられる若者たちに対して、どう感じるかというと何も感じないし、何もしない。
実際にはすでに”主導権”は若者の手に渡っているのだし、年寄りがどうこう言うべきものでもない。
しかしながら、世間では簡単にそうは言えない状況があり、年寄り対策を、あるいは若者対策をいかにするかを主導権がないはずの年寄り中心に主導権を握って行なっている。
そんなことをするから”シラケ”ちゃうんだよな。
ちなみにシラケ世代とは1950年代から60年代前半生まれとされている。
個人的実感としては50年代生まれと60年前後生まれ、62年以降生まれでは全然思考が異なっていると感じるのだけど。
どちらにしてもすでにみんなオッサンオバハン、ジイさんバアさん世代なわけで、安倍首相にしても現役として活動する時期をすでに過ぎており、”老後”を考えるべき時期に来ている”はず”なのだが、そんな世代が現実には今現在をああだこうだといじっているから先がないのだ。
というより、そういう世代が自らの”老後のために今現在をどうこうしようとしているというべきなのかも。
そういうことは日本だけでもなく、「同盟国」アメリカでも起きているわけで、まあまあ若いオバマからジイさんのトランプになって、そういう世代(70代のジイさんバアさん)が自らの”今後”を考えて動くから自然と「保守的」になり、輝かしい青春時代(年寄りにとっての)を取り戻そうとしている(ようにしか思えない)。
そんなくだらないことをする暇があったら、自分の墓の心配でもしていればいいと思うのだけどね。
だから自分は若者に対して何も思わないし、何もしないようにしている。
好々爺であればいいと思う。
そりゃあたまには若いジョシにちょっかいを出してみたいとも思うし、サタデーナイトにフィーバーしてみたいとも思うが、それがメインの生活など送ろうとは思わない。
それは自分にも過去あった若い時代にするべきことなのだから。
年寄りは年寄りらしく大人しく(時々こっそりとハメを外しても)しているべきなのである。




鎌倉小町通り商店街 4
神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目
撮影 2016年12月29日 木曜日 13時20分
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