京都にあるライカギャラリーに行ってみた。
マグナムの写真家10人が撮影した「京都」の写真展だ。
マグナムの写真家とのくくりなので、すべてがライカを使っているわけではない。
マーチン・パーのように2013年に撮影したカラーもあるが、1950,60年代のモノクロが多い。
プリントをジックリ観るが、どれもピントが甘く、粒状性が悪く、解像感がなく、どうしようもないものばかりだ。
とは、ならない。
当時としては最高の性能の機材を使ってはいるだろうが、そんなことは問題ではない。
彼らは写真を撮っているのだ。
その写真は楽しく、美しい。
これが写真なのだというものばかりだ。
そこんとこがわかっていないのか、写真なんか観ないのか、テストチャートしか撮影した事がないのか、写真の評価を「写り」で語る昨今だ。
それをあらわすように2階の会場には人はおらず、1階のカメラショールームにしかたむろしない。
おかげでゆっくりと作品を眺める事が出来た。
この写真は好き、この写真はどうもとか考えながら、京都の”瞬間”を楽しんだ。
”参考”にするために観ているのではないので、楽しめばいいのだ。
「あ~面白かったぁ」とギャラリーを出たが、もちろんショールームには立ち寄らなかった。
尼崎駅前
兵庫県尼崎市潮江1丁目
撮影 2014年5月1日 木曜日 11時10分
マグナムの写真家10人が撮影した「京都」の写真展だ。
マグナムの写真家とのくくりなので、すべてがライカを使っているわけではない。
マーチン・パーのように2013年に撮影したカラーもあるが、1950,60年代のモノクロが多い。
プリントをジックリ観るが、どれもピントが甘く、粒状性が悪く、解像感がなく、どうしようもないものばかりだ。
とは、ならない。
当時としては最高の性能の機材を使ってはいるだろうが、そんなことは問題ではない。
彼らは写真を撮っているのだ。
その写真は楽しく、美しい。
これが写真なのだというものばかりだ。
そこんとこがわかっていないのか、写真なんか観ないのか、テストチャートしか撮影した事がないのか、写真の評価を「写り」で語る昨今だ。
それをあらわすように2階の会場には人はおらず、1階のカメラショールームにしかたむろしない。
おかげでゆっくりと作品を眺める事が出来た。
この写真は好き、この写真はどうもとか考えながら、京都の”瞬間”を楽しんだ。
”参考”にするために観ているのではないので、楽しめばいいのだ。
「あ~面白かったぁ」とギャラリーを出たが、もちろんショールームには立ち寄らなかった。
尼崎駅前
兵庫県尼崎市潮江1丁目
撮影 2014年5月1日 木曜日 11時10分