Nonsection Radical

撮影と本の空間

静かな時間が

2012年02月28日 | Weblog
帰宅して寝るまでの数時間で気分を落ち着かせて安らかな眠りにつく。
それだけが望みである。
一日の憂さを酒で晴らすわけでもなく(少々飲みますが)、人の悪口を言うわけでもなく(少しは言うけど。それも辛辣に)、ただ気持ちを落ち着かせて眠りたいだけだ。
気持ちを落ち着かせるには、ひたすら時間が過ぎるのをボッと過ごすしない。
それを邪魔するヤツらがいる。
老母は遅くまで起きている事に、早く寝ろと口うるさく何度も言う。
人が抱えているものなど気が向かないのは承知しているのでどうこう言う気はないが、その一言が余計な事になるという事に気がつかない。
家人は何十年も一緒に暮らしてきて、やっと放置プレーが一番効果的だと気がついた。
その結果、単身不倫にも異議を唱えなかった。

最近、さらにニャンコがやたらと鳴き、鰹節をくれろ、猫じゃらしで遊べ、やはり早く寝ろと「命令」する。
それを夜の数時間の間に繰り返されるので、落ち着く暇もない。

他の人は安静時間を必要としていないのか?
神経を研ぎすまして仕事をした興奮を治める必要もないのか?
競艇中継を見たいがために、人がパソコンを使って「業務」をしている周りをソワソワしながら動き回り、態度で早く仕事を止めて競艇中継を見せろというのにイラつく心を落ち着かせる必要はないのか?
何度も何度も同じ話ばかり繰り返す老親にウンザリした気持ちを落ち着かせる必要はないのか?
ぞんざいに座席にドカッと座り、自分がデブなくせに人を肘で押しのけようとするツカエナイ中年サラリーマンの身分不相応な仕草に起きる殺意を静める必要はないのか?
つんざくようなJR西日本のバカでかい車内放送に頭痛がするのを鎮める必要はないのか?

じっと我慢した心を静める静かな時間が寝る前に欲しいだけなのだ。




大阪市福島区野田3丁目1から
コメント
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