Nonsection Radical

撮影と本の空間

キューバの葉巻工場

2011年03月07日 | Weblog
朝起きるとラジオでNHKニュースを聴く(ラジオ受信料払っていないけど、どうしよう?)。
そして台所へ行くとテレビがあるのでNHKから「モノミンタ」の番組にチャンネルを変える。
NHKはラジオもテレビも同じニュースをするが、ラジオで内容は理解出来るので、別に映像を見る必要はない。
テレビ映像などその程度のものでしかない。
で、モノミンタの番組にするのはなぜか?
今の世相が見えるからだ。
新聞の記事を紹介し、モノミンタがだるそうにどうでもいい受け答えをし、電波芸者(死語)ではなく、「コメンテーター」が正論を吐く。
これらの発言が、実は世論だと思うのだ。
モノミンタは視聴者の半歩前を行くとか、コメンテーターは視聴者に多方面の考えを提供するとか、そんな考えは全くなく、視聴者はこう考えているだろうという「思い」を口にするのだ。
この「思い」は思いであって、視聴者の「意見」などという崇高なものは相手にしていない。
だからモノミンタの声は天の声であり、人の声である。
そういうように番組を見ている。
satoboのように頑固で偏屈でアカだと、とかく自分の意見がどのように世間と違っているのかわからなくなるので、こうして毎朝正しい考えを頭に入れて社会生活を送るようにしているのだ。
そうでもしないと、毎朝うっとおしい顔して電車に揺られるどう見ても融通の利かなさそうな人達が、どのような事を思っているのかわからないしね。

しかしテレビ局というのは、自社に「報道」という部門を抱えているのに、新聞を壁に貼ってそれを紹介するという他人のふんどしで相撲を取るというか、愛人のパンティーを頭にかぶるベルスコーニのような事をよくやるものだ。
おまけにその新聞を「読む」というテレビらしくない事までする。
その新聞を読むという行為を見て、「ここはキューバの葉巻工場かよ」と毒づくのが毎朝の日課になっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする