葬儀のマナー本ってのがある。往々にして内容は適当で実践的じゃないんだが、なんでなのかって理由を話しておきたいと思う。
そもそも、マナーってのは地域性や特定の集団で共有されるもので、過度に一般化することは出来ないもんだ。その集団には集団の固有のマナー・様式がある。
一番分かりやすいのは国のレベルが違うと、マナー・様式は異なる。エチケットとか言い換えてもいいけど基本はこうしましょうって事よりも「禁」の塊だ。
こういう時に、こう言う事をしてはいけません。すなわち「するべからず」と「~は禁ずる」って事だ。そういうのを避けると、こうするのが一番無難ってのが出来てくる。
すなわち、マナーってのが、その場、その集団では、何を禁止されていて、どうして禁止されているのかを理解してないと「マナー」なんてのは解釈できない。
解釈するって、自分で言って・・割と言い表現だと思った。マナーってのは解釈するものな気がする。解釈して行動する様式。
そんでもって、解釈する内容は往々にして言外の事も多いので、結局は実践経験に基づいてないと、突っ込みどころが満載になる。
礼法とか作法ってのも、決ってはいるけれど・・どう取り扱うかが実践にまかされているの同じなんだよなぁ。
現場の人間、実際に行っている人間にマナーを聞いて書いてるわけじゃないので、そりゃ現実とはかけ離れたものになる。マナー本ってそういう事さ。
そうそう、机上と現実の問題が離れ離れになった問題は身近にもあった。書類上は後見人ってのが親族以外で、死亡届の届出人になれるんだが、やっぱりというか予想通り、役所がゴネるわけだ、「照明資料をだしてください」「本当にこの人が現在後見人の証明が無いので・・」と
裁判所で発行した、証明する書類があるはずで、それを持ってきて下さい、コピーはダメです、改ざんの恐れがあるので。。」で、なんて言う書類ですかと聞くと「名称までは分からない」とかちんぷんかんぷんの答えなのです。
法律や規定では、後見人が死亡届を出せるってなってますけど・・実際やると大変よ、役所がなかなか受理してくれないから、だったら親族に頭さげて書いてもらったほうがよっぽど楽なんです。
そういう風に、現実と机上の話が乖離するなんてのは珍しくないから・・やっぱりちゃんとフィールドワークというか、せめて一次情報にあたる手間は惜しんじゃいけない。