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うどん食べ歩きブログ
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うさみ亭マツバヤ - 素晴らしきかな、きつねうどん。 素晴らしきかな、大阪のうどん。 -

2017年09月05日 | 大阪府大阪市(きつねうどん・おじやうどん・関西讃岐・小田巻蒸し)

ご当地うどんを食べ歩くようになってから、いつも思っていました。

大阪のうどんと真正面から向き合った事が無いな・・・と。

自分が住んでいる土地のうどんに向き合っていないなんて・・・とても悲しい事です。

そこで私は、大阪のうどんも愛して行こうと思い、

まず初めに、大阪府藤井寺市の加寿屋さんで大阪の郷土食「かすうどん」を食べに行きました。

加寿屋さんへ訪ねた時の記事はこちらです。

その時に「かすうどん」の出汁の素晴らしさに魅せられました。

そして今回、「きつねうどん」の原点を知りたいと思い、出かける事にしたのです。

この日、私は大阪市の南堀江で用事を済ませ、四ツ橋筋を北に向かって歩きました。

その道中、以前から気になっていた場所の事を思い出し、急遽、そちらへ向かいました。

大阪市西区新町の「新町南公園」です。

こちらの公園には↓↓このような石碑があります。

「ここに砂場ありき」

公園だから砂場があるという案内ではありません。

実際、こちらの公園に砂場はありません。

では、この石碑の指す「砂場」はどういうものなのか?

答えは石碑の裏に刻まれていました。

裏面には「本邦麺類店発祥の地 大阪築城史跡 本町砂場」と刻まれています。

天正11年(1583年)大阪築城の資材置場が、大阪の町にいくつか設けられていて、

この石碑のある西区新町では、お城を造る為に必要な砂が置かれていた事から、

「砂場」と呼ばれるようになったのです。

「砂場」と呼ばれていた当時、この町はお城造りに関わる者たちで賑わっており、

商店街のようなものが出来ました。

その中で、日本で初の麺類店が誕生したのです。(諸説あり)

天正12年(1584年)頃の砂場には、「津国屋」、「いづみや」という2軒の麺類店がありました。

この2軒のお店では、当時、蕎麦はもちろんのこと、うどんも提供されていたという説があります。

故にこの場所は、大阪のそば・うどん店発祥の地とも言えるでしょう。

ちなみに、お蕎麦の三大系統(更科・藪・砂場)の中にある、

「砂場(す奈場)蕎麦」の起源もこの地なのです。

時代が豊臣から徳川時代となった時、2軒のお店のひとつ「いづみや」が江戸へ移ったのです。

現在、砂場蕎麦は東京都荒川区の「砂場総本家(南千住砂場)」と、

虎ノ門の「巴町砂場」の2店舗を中心に、日本の以東で展開されています。

もうひとつのお店「津国屋」は、時代が明治の時に廃業したそうです。

残念ながら現在の大阪・・・いや、日本の以西では、砂場蕎麦を提供しているお店は存在しません。

「砂場蕎麦」は商標登録されており、商標権者が西日本での砂場蕎麦の販売を許可されていないからです。

「砂場」の話をさせて頂きましたが、皆様はお気づきでしょうか?

天正12年(1584年)頃に、砂場でうどんが提供されていたという説が事実だとしたら、

大阪のうどんの歴史は433年にも及ぶという事です。

大阪人がうどん好きなのは、こうした歴史の柱があるからなのです。

「砂場」を後にした私は、今回の目的である「きつねうどん」の原点を知る為に、

「きつねうどん」発祥のお店と言われている「うさみ亭マツバヤ」さんを訪ねる事にしました。

「きつねうどん」の起源について、実は諸説あるようです。

江戸時代から存在していたという説や、明治のはじめに存在していたという説もあるようです。

ただ、「きつねうどん」と銘打ったのは、松葉家さんで間違いありません。

でも、販売当初は「きつねうどん」ではなく、「こんこんうどん」というメニュー名だったそうです。

マツバヤ(松葉家)さんが発祥店と周知されるようになったのは、

平成10年(1998年)に出版された、

マツバヤ二代目店主 宇佐美辰一氏著「きつねうどん口伝」という書物の中で、

「松葉家が明治26年(1893年)に開店したとき、初代が考えたうどん・・・。」と、

書かれている事から、マツバヤさんが発祥店と周知されるようになったのではないかと私は思います。

その「うさみ亭マツバヤ」さんに到着しました。

徳島県出身の松葉家初代、宇佐美要太郎氏は、

大阪は松屋町の「たこ竹」さんというお店で奉公されていたそうです。

要太郎氏が奉公していた当時、「たこ竹」さんでは寿司屋さんとうどん屋さんを営まれていたそうで、

要太郎氏は寿司屋さんではなく、うどん屋さんの方で奉公されていたのです。

その「たこ竹」さんがうどん屋さんを廃業したことから、

要太郎氏は独立して「本舗松葉家」を創業されました。

それが現在の「うさみ亭マツバヤ」さんに繋がります。

尚、「たこ竹」さんは現在も松屋町で営業されており、老舗のお寿司屋さんとして有名です。

松葉家さんの創業当時、奉公していた「たこ竹」の店主から、「新しいものをやったらどや?」と言われ、

その言葉を受けて要太郎氏は、お寿司に油揚げが合うならば(稲荷寿司の事)、

うどんにも油揚げが合うだろうと考え、商品化したのが、「きつねうどん」の始まりです。

販売当初は、素うどんと油揚げを、別盛で出されていました。

それをお客さんが、油揚げをうどんに載せて食べるようになったのです。

そこで別盛をやめ、現在と同じ、最初から油揚げをうどんに載せるスタイルになりました。

稲荷寿司から考えられた「きつねうどん」。

稲荷寿司の起源は稲荷神にあり、その稲荷神の使いが狐で、好物は油揚げです。

稲荷神は商売繁昌の神でもあるので、「きつねうどん」には、商売繁昌の願いも込められているのでしょう。

あと、信太の森(大阪府和泉市)の、葛の葉という女狐の伝説が由来で、

「稲荷寿し」を「信太寿司」と呼んだり、「きつねうどん」を「信太うどん」と呼んだりもします。

ちなみに、葛の葉の女狐は、安倍清明の母親と言い伝えられています。

私は営業開始と同時に入店し、4人掛けのテーブル席に座りました。

そして「きつねうどん」を注文しました。

創業当初、小麦粉は兵庫県、醤油は小豆島、砂糖は徳島県、鰹節は高知県、油揚げは京都、

瀬戸内や近畿の新鮮な食材をふんだんに使って、松葉家さんは「きつねうどん」を提供されていました。

当時の流通事情を考えると、大阪という土地は非常に恵まれており、瀬戸内の新鮮な食材などが、

容易に仕入れる事が出来たのです。

また、「きつねうどん」は当時、栄養のつく庶民の味として、大阪人から受け入れられ、

多くのうどん屋さんに広がりました。

注文した「きつねうどん」が運ばれて来ました。

現在、仕入先は一部変わってはいますが、創業当時と同じ食材を使い、味を継承されているそうです。

↓↓老舗とは思えない、可愛らしい丼です。(●´ω`●)

出汁から早速いただきました。

鰹節、宗田節、鯖節、昆布などを使った出汁は、節の風味がとても上品で、

そしてすごく味がまとまっています。

雑味が一切感じとれず、深味のある出汁です。

後口も非常に良く、感動的な美味しさでした。(^^♪

揚げは肉厚で、味がしっかりとしみていて、噛めばジュワ~と甘味が口の中に広がります。

油臭くもなく、とても美味しいです。(^-^)

麺はつやつやのもち肌で、程よい強さのあるコシです。

旨味を存分に楽しめて、とても美味しい麺でした。(´▽`)

素晴らしきかな、きつねうどん。

素晴らしきかな、大阪のうどん。

この一杯が、私に大阪人である事の誇りを教えてくれました。

大阪で生まれ、育ち、いくつもの歳を重ね、現在も大阪で暮らしている私ですが、

大阪という町の雰囲気、大阪人の気質が、私にはなかなか合わなくて、

いつも大阪に背中を向けていました・・・。

でも、ようやく、やっと、大阪が好きになれそうです。

 

うさみ亭マツバヤ
ジャンル:うどん
アクセス:大阪メトロ御堂筋線心斎橋駅1番口 徒歩5分
住所:〒542-0081 大阪府大阪市中央区南船場3-8-1(地図
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情報掲載日:2018年11月18日

 



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