鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

あれから1年、「希望の轍」を探す旅ははてしなく・・

2012-03-12 00:15:47 | 日記
かねてよりウチの奥さんと「3月11日はどのようにして・・」と話し合ったりしてきました。そしてたしか2月半ば頃、3月11日に市内の建長寺において東日本大震災・一年目の祈りとして「追悼・復興祈願祭」が催されることを知り、都合がつけば出かけることとしていました。


当初は二人で出かける予定でしたがウチの奥さんの若かりし頃からの悪女?、ではなくて、悪友のトモコさんとキッコさんとともに追悼会場である建長寺の総門をくぐりました。

午後2時過ぎ。三門の下を通り仏殿へ至る参道には、かの大震災で犠牲になった方々へ焼香をする人々の長い列が延々と。


「昨年3月11日の大震災から1年。鎌倉の宗教者が、宗旨・宗派を超えて再び終結し、合同祈願」との式典は午後2時30分から厳かに開始。鎌倉の名だたる神社、教会、寺院の宮司さん、神父さん、そして僧侶の方々が境内をしずじずと巡ります。
 

悪友3名もおたがいそれぞれにかの大震災以来のこの1年を思い返しながら、境内を巡回する宮司さん達に手を合わせていました。


そして、1年前に大地震が発生した時刻の午後2時46分、境内に集まった人々は追悼の鐘の音に合わせてしばし追悼の黙祷・・。その鐘の音を聴きながら、私のまぶたの奥にはテレビの映像で観た地震の揺れ、東北地方沿岸を中心に広範囲に襲った大津波、そして無残にも崩れ落ちた福島第一原発の光景がフィルムを早回しするように浮かんでいました。

震災追悼・復興法要の舞台となった法堂(はっとう)には、焼香する人たちの列が絶えません。
 

焼香の後、悪女、ではなくて、悪友3人は「おたがいのこの1年を語り合おう」ということとなり、ゆっくりとお話ができるテーブルのある場所へ。

逗子市内の、とってもユルーい雰囲気のお店です。

こんな感じ・・。
 
  
いわれるままに愛車メガーヌで悪友3人をご希望の地までお運びする私は、さながら往年の「アッシー君」の様相を呈してきつつあります。

それにつけても逗子のこのお店、ユルユル過ぎ?。見てください、このティーカップ。

こんなに大胆に派手に金継ぎしたカップでおもてなしするお店ははじめてです。されど、なんだか許せてしまう・・。

建長寺から逗子へ、そして鎌倉へ戻る車中、4人でこの国の「現在・過去・未来」を語り合うにつけ、「この国にははたして明るい未来があるのか?」との思いでいっぱいになってしまいました。

なにより、「わが国」と言えずに「この国」といってしまう自分がなんとなく悲しい・・気にも。














コメント
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