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下村博文自民党議員とは何者なのか。

2018-11-21 04:00:01 | Peace Cafe
下村氏は憲法審査会のまとめ役である。にもかかわらず、憲法がどういう意味のものか理解できていないのではないか。憲法を普通の法律と同列に判断しているようだ。野党が職場放棄しているという驚くべき発言である。憲法に関しての議論は自民党案を基本にして、修正して国会に出すというような法律レベルの判断だ。下村氏は「女性記者が次官からセクハラを受けたことを、週刊誌に売ること自体がある意味で犯罪」と発言したことがあった。その講演でさらに、「日本のメディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと、最近つくづく思う」と語っている。まったく驚くべき政治家である。さすがアベ忖度政治家である。何か意図的な行動なのだろうか。あるいは単に無知蒙昧な政治家という事か。日本国家というものをつぶすために存在しているのが、いまやアベ政権ではないかと言いたい。アベ政権はこういう意味不明の人間を憲法を取りまとめる立場に着けて、適当に操縦する。日本の女性記者は大いに声を上げて欲しい。日本の女性蔑視の実態を正す必要がある。一人の問題ではない。一人の声で終わらせればさらにひどいことになる。勇気を出して告発した人間が、犯罪扱いで終わる。福田元事務次官が居直った背景には、下村氏の様な保守党議員や官僚の根深い女性蔑視の意識があるからだ。今度は女性蔑視議員が憲法を取りまとめるという。 ここで終わらせないという事は、まず早急に福田氏を懲戒免職にしなければならなかった。職務が果たせないから辞職など、何を勘違いしているのかと思う。冤罪なので裁判闘争をするそうだ。本当にやっているのか。女性の記者全体を甘く見ている。日本の国民の目を甘く見ている。私の所にまで、福田氏を擁護するコメントが来る。そういう事が巷に広がっている。人間というものの尊厳は等しく万人にある。日本国憲法に示された人権という物への理解が欠けているのだ。権力の上に立つものほど、厳しい人権に対する認識が必要である。日本が人権後進国であるという事を深く反省しなければならない。政府はこの事件が国会審議を妨害しているとして、野党の態度を批難している。憲法審査会と同じ構図である。審議拒否の前に審議に入れる前提を作るべきだ。この事件を曖昧にしている国を日本とは呼んでほしくない。余りに恥ずかしいことだ。

下村氏は文科大臣の時に加計学園から政治献金200万円貰っていた。今回の撤回した発言の言い訳を自分のホームページに掲載している。全く問題を理解できないでいる。理解力が足りない人なのか、悪意が黒い腹の中にあるとしか思えない。こんな女性蔑視の、憲法無理解の人が日本の教育を再生を主張するなどおこがましいのではないか。明らかに福田氏の発言を信じて、女性記者の発言を疑っていたのだ。まず被害者の声に耳を傾けるのが、人間の在り方だ。偽りの告発であるかどうかの方向にすぐ意識が行くという事が問題なのだ。まず上に立つ人間が、被害者に寄り添う事だ。下村氏の生い立ち伝によると、幼少時に父が死んだ。貧困の中で育ち、教育は権利だと考えるようになったとある。なぜそのような人が、弱いものの側に立てないかである。弱いものの側に立ち、たとえ騙されても構わないではないか。強い者の側の主張に便乗しての発言を恥ずかしいと思わうべきだ。下村氏は、生い立ちを思い起こして、この被害者の声を疑う感覚がどこから来たかを反省するところからやり直すべきだ。そして憲法に関して、根本から議論をすべきだ。自民党案の修正の前に、憲法とは何か。立憲主義をどう担保できるのか。憲法裁判所を作らないで良いのか。そういう議論から始めなければ、憲法の改定は出来ない。 下村氏はいよいよ、憲法改定を担う自民党の責任者になった。人権意識の低い忖度人間だからこそ、自民党は憲法改定を任せて良いと考えているのだろう。むしろ、人権問題や教育勅語を語ることによって、アベ内閣を支えた貢献で、自民党の憲法改正推進本部長に下村博文氏が任命されたのだろう。何のための憲法改定なのかが見えてくるようだ。

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石垣の住民投票請求

2018-11-20 04:06:00 | 石垣島
石垣島では自衛隊ミサイル基地のすでに設置準備が進んでいる。既成事実化するために、今年度中に着工しようと防衛施設庁と中山市長とで画策している。来年度に入ると新環境条例による、環境アセスメントを行う必要があるからと言われている。その前にかたちだけでも着工しようという、姑息な考えで進められている。すでに地境杭の敷設を行い、隣接地に立ち入ったというのでもめ事も起きている。一方で、石垣の若者たちが中心になって、自衛隊配備の是非を問う、住民投票の請求が現在行われている。11月末日までに1万名の署名を集めるという事である。現在4000人の署名が集まったと言われていた。もし、多くの住民が希望する結果になれば、与党議員の中にも2名の方が、住民投票に賛成するという事である。住民投票をしたとしても、自衛隊誘致が決まるという考えだそうだ。住民投票を行うことになるかどうかは、それほど時間のかからない間に決まりそうだ。それを待たないで着工するというのは、問題がねじれる原因になる。

米軍辺野古基地拡張でも似たような経過をたどったために、現在でも住民の分断が起きている。性質の悪かった仲井眞知事は、辺野古反対を選挙では主張していたにもかかわらず、辞める直前にどんでん返しで基地着工を承認した。これが辺野古問題を捻じ曲げ、長引かす原因になっている。どういう結果になるにしろ、住民投票を行い住民の考えを確認すべきである。与那国島では住民投票を行い、基地建設を認めて、基地が設置された。その結果は住民自身が引き受けるのが、民主主義である。私は基地はない方がいいと考える人間である。しかし、そこに暮らす人間が必要だという事で選択するのであれば、それが最優先されるべきだと考える。それは与那国の選択でもそう考えて、このブログでも以前そう書いた。石垣島で大切なことは、地方自治の民主主義の手順である。防衛に関しては国の専権事項であるからと言って、住民の意思を無視していいはずがない。住民と十分に話し合い、理解の行き届いたうえで、住民投票を行う。そしてその意思が最も尊重されるべきものだ。スイスが永世中立を保ち、国民皆兵を引いている背景には、直接民主主義がある。住民が自己本位で国のこと等考えないというような、住民を低く見ることは民主主義ではありえない考え方である。

石垣に基地があることが、石垣の安全につながるのかどうか。まず、住民は自分の命を守る観点で判断するであろう。所が、石垣に日本の防人に成れというのが、日本会議の主張である。日本の保守層は自己本位なのだ。沖縄に犠牲を強いるのが、アベ政権の一連の行為である。尖閣諸島を棚から降ろしたのは、石原都知事である。尖閣を問題化して、中国の脅威を煽ろうという考えである。中国が日本を占領してしまううような危険な国家であることに、国民が気付いていないという、馬鹿げた発想による行動だった。トランプ一国主義が世界の緊張を高めている。力による対立はいつか爆発につながる。強いはずのアメリカが、実は中ロの共同戦線に対抗するには危ういとう軍事分析が国防総省から出ているそうだ。アメリカはさらに軍事力を強化することだろう。ロシアも中国も同じ歩調をとるだろう。こうした軍事大国の疑心暗鬼の軍事力の拡張合戦が戦争につながる。日本の軍事力など、たかが知れている。せいぜいアメリカの捨て石作戦にされて終わりである。

軍事力に頼らない平和外交以外に世界平和はない。日本国憲法がいくら理想主義的であろうとも、崇高的な目標であろうとも、これ以外の道に世界平和はない。だからこそ、自衛隊は専守防衛つまり、国土保安隊に戻すほかない。災害支援隊でもいい。外国からの攻撃を、自然災害と同列に考え対処する。軍事力で相手の攻撃を抑えることなど、すでにトランプアメリカさえ不可能という事だ。これだけ核兵器が広がってしまった状況で、日本が核武装もできない軍事力であれば、あくまで専守防衛をうたいつづけるべきだ。それが平和外交の理念的背景になる。日本は絶対にあなたを攻撃はしないし、出来ない。この条件を保つべきだ。生半可の武力を持つことが大きな危険になる。こういう世界情勢と憲法の大前提で、石垣島にミサイル基地が必要かどうかを考えなければならない。攻撃力のないミサイル探知機器なら必要なのかもしれない。確か与那国島はそうではなかったか。ただし探知機能こそ場所を知られては軍事力にならない。当然船や、潜水艦で探知する方が効果的であろう。

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ブログの点検とその意味

2018-11-19 04:27:05 | このサイトについて
石垣の引っ越しを終え、二地域居住になるにあたり、ブログについて考えておく。 自覚として中レベルのブログである。井伏鱒二さんが好きで、あのような文章を書きたいと思うが、とうていそれは無理。大雑把で、適当な内容が沢山ある。誤字脱字不統一は数知れずで読み返して気付くと恥ずかしくなる。矛盾や誤解も多々ある。それは私の農業のやり方と同じことである。大雑把で、適当な自給農である。しかし、稲作では畝取りはしている。自然養鶏では自負がある。大雑把で、適当だからこそできたことだ。ブログもこの点では怖れていない。正確であることや、矛盾を避けようとしたら、行動ができなくなる。農業をやるという事は、大体の見込みで進まなければならない。自然を相手にする実践というものは、いつも方角を見て、風見をする。方角を見るという事はカンが重要である。大局観が重要である。細部にとらわれず、大局を見なければ方角は見えてこない。細部に矛盾があろうとも、おおよそ方角が伝わることを重視して書いている。多分、絵を描いてきた経験で出来たやり方である。

決めてきたことがいくつかある。まず、毎朝必ず書くという事である。旅行先であろうが、どれほど忙しい田植え時期であろうが、毎朝必ず書く。そうしないと、続けられないからだ。続けるとは平和憲法を守りたいという願掛けである。憲法を守るために私のできることは少ない。デモも時々行く。抗議文も書いて送ることもある。選挙では一番憲法を守ってくれる政党に投票する。しかし、ほとんどなにをやろうとも平和憲法が危うい。何もできることがないようにも思える。せめてもの思いで、祈願のように毎日ブログを書くことにした。今や、書いている間は憲法が守れるというような信仰の気分にまでなっている。以前は誤字の指摘や、矛盾点の指摘など頂くこともままあった。能力不足でもやるしかないので、謝るほかない。大切なことは平和憲法への祈願である。平和に関する文章は二割程度のすることにしている。もちろんすべてが平和につながるのであるが、直接的に平和に関して書くのは、時々書くと決めている。そうしないと平和に興味のある人以外は読まなくなるからだ。

政治的なことばかり書いていると、興味を持って読む人がいなくなる。稲作技術や、自給農のこと等も書いてある。その興味でついでに読んでくれたならば、なんか憲法の事も書いてあるな。という調子にしたい。本音で言えば、平和という事は暮らしという事だと思う。自分が喧嘩ばかりしていて、平和もないものである。平和に日々暮らしている。そのことが大切なのだと思う。私自身の暮らしを表現する。これがピースカフェブログの実際である。日々の暮らしのいい加減さも含めて、書くことにしている。まあ、格好をつけてしまい、なかなか実態というものは案外に書けない。自慢話は嫌味になるからできるだけ避けるようにはしているが、実際には多いかもしれない。コメントいうものを書いてもらう事にしている。時々書いてある。以前は必ず、わたしなりの反応を書いたが、全く無駄だという事が分かったので、今はコメントとして公開して、一ヵ月ほどしたら消すことにした。不愉快なものは読まずに消す。その位の対応がちょうどかと思うようになった。

ブログをあちこち読んでいると、ずいぶんとレベルの高いものもある。学ばせていただき、学べるものが沢山ある。努力をしなければとは思う。このGOOブログというものが出来てから2001年だそうだ。最初の記事は2006年のことだから、できて5、6年目の頃から書き始めたことになる。今度大きく変わると連絡があった。ブログも随分と変化があるようだ。期待して読んでいても、止めてしまう人が多いものだ。私の場合は、ブログが書かれなくなった時は病気なのか。死んだときだろうと思う。最近、百歳時代という。という事は来年は30歳である。つまり、次の年は29歳にしようと思う。逆算してゆくと百歳が分かりやすい。そのつもりで計画が立てられる。いまはあと31年かと思いながら、絵を描いて行こうと思う。毎朝ブログのお灯明を上げることにする。

 

 

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石垣、小田原2地域居住

2018-11-18 04:20:03 | 石垣島

やっとアトリエのものの配置が決まった。石垣の暮らしが始まった。楽しみにしていたが朝の散歩。石垣の街の中を歩きたい。昨日歩こうと思ったら、雨になり歩けなかった。今日は明るくなったら出かける。散歩という事はしたことがない。それだけの余裕がなかった。畑と田んぼの見回りである。これが日課だった。意味のことをするという事が、できない性格でもある。今度は石垣の街を散歩する。海まで歩いてゆき、戻ってくる。できれば毎朝の習慣にしたい。そう思って出かけようとしたら、突如である。石垣らしい激しい雨が降り始めた。今日はもう小田原に戻らなければならないが。散歩にだけは出かけようと思う。小田原の方でやりたいことが山済みで、すぐに戻る。また12月には石垣に戻り、石垣の暮れと正月という予定である。冬の間は暖かい石垣が良いに決まっている。小田原に戻りやることは「家庭イネ作り」の本の原稿をまとめるつもりだ。1か月ぐらいあるので、これに集中する。その間に、自給祭があり、名古屋での水彩人展がある。年賀状を書く。妙高岳を描きに行きたいなどと、やりたいことが次々とある。まず、一人で暮らす小田原はどうなるか。忙しすぎるのは良くないな。

小田原の家は絵を描くように配置変えを終えた。そこで、心機一転で年賀状を書いてみようと思っている。石垣への引っ越しの挨拶状でもある。毎年年賀状一枚一枚に絵を描いている。これが面白いので続けている。絵を描く自分の中の何かが開かれることがある。そうかと気づく事が毎年ある。250枚くらいを一気に描くから、見えなかった自分の何かが開発されるような感じになる。自分の中の絵を描く、契機になっている。そういう意味では、みんなで絵を描きに行く写生かとか、絵を語る会も同じように気持ちを切り替える場になっている。2地域居住も場を変えることに意味がある。小田原にいることと、石垣にいることが、絵を描くうえでよいことになってくれればとおもう。自分を超えるためには何かを変えなければだめだ。それが石垣なのだろう。

猫はあちこち探検しているが、まだキャットウオークには上らない。外に世界があることに興味も持たない。餌もちょっとしか食べない。石垣を探検して歩いてはいるが、まだキャットウオークには上っていない感じだ。肩の力が抜けていないのだろう。石垣のキャットウオークにのぼり、石垣が自由に自分の眼で見れるようになりたい。ゴッホはオランダから、都会のパリに出る。そして光あふれるアルルへ、アルルの光を日本のように明るいと書いている。石垣の光は日本で一番明るい。星空はまばゆい。五日、自分の眼で当たり前に自然に石垣を見たい。石垣の当たり前の絵を描きたい。それがどんな絵のかを、見てみたいのは自分自身である。 一村が描いた奄美は観光イラスト画だ。野心が捨てきれていない。あれは嫌だ。ああいうものを評価する世間が悪い。異国情緒等石垣もほとんど小田原と変わりはない。この変わりのないところこそ、意味がある。普遍だ。特異な場所を、得意になって描くのはいやらしい。よくある日本人のパリ風景である。私絵画は何を描くのかといえば、自分の眼で見たものだ。期待される絵画から自分の絵を逆算するのが一番よくない。つまらなくて、かまわない覚悟はしておきたい。さてどんな年賀状になるか興味のある方には送りますので、メールをください。

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石垣島の住民になって

2018-11-17 04:32:22 | 石垣島

猫5匹が石垣島の住民になった。飛行機の中はどうだったのだろう。とても心配だった。石垣空港ではなかなか、出てこないので心配でハラハラしてしまった。やっと出てきたのだが、じっとしていた。家に着くまでニャンともスンでもないのでますます心配になった。家に着いて、ケージを開けてやってもきょとんとして出て、来ない。2,3分して、のそのそと出てきたと思ったら、一斉に素早く隠れてしまった。3時間ぐらいは出てこなかった。その後うろうろあたりを探り歩いている。何とか大丈夫だったようだ。最初に出てきたのは、一番臆病なサーヤ、次に出てきたのは、2番目に臆病なうずらだった。一番強気の、ララは出てきたのは最後だった。まだ、落ち着かないようだが、何とかなりそうで安心した。よほど不安だったのだろう、今もまとわりついている。何か様子の違いが受け止めきれないようだ。

 

人間の方も本来の出来は猫と同じなのだろう。頭で理解するから、石垣に来たのだという事になるのだが、空気に慣れるまで、水に慣れるまで、土に慣れるまで、数年はかかるのだろう。かかるようでなければおかしいことになる。猫の反応のように時間をかけるという事も大事。昨日は持ってきた醤油で、石垣のマグロを食べた。これはすばらしいおいしさだった。今日は持ってきた2年物の味噌で味噌汁を作ってみる。石垣の水とあうだろうか。今年の二年物は小田原ではおいしいと思えた。小田原の水にあっていた。石垣の水との相性が気になるところだ。お風呂に入ってみて、石垣の水も悪くないと思えた。今までもホテルのお風呂には入っていたのだが、水を感じるほど落ち着いて、いなかったようだ。感触が小田原の水とは違う。小田原の水の方が肌に合うという感じだが。これも慣れなのだろうか。こんなことは大したことではないのだが、こういう事で絵も違ってくるのかもしれない。今回は絵を描けない。仕方がないことだが、残念。

身土不二という事がある。大豆を作るとその土地の大豆になるためには、時間がかかると思う。いくら丹波の黒大豆が美味しいからと言って、小田原で作ると違うものになる。何度もいろいろの大豆を取り寄せて作ってみて、食べてみて、丹波の黒大豆は丹波で作るのが一番である。小糸在来種を作っているのだが、この豆もだんだんおいしくなった気がしている。千葉県の大豆なのだが、小田原の水土になじんだ。この大豆で仕込んだ、味噌、醤油が絶品である。なじんだ私の舌がそう思わす。これから石垣の身体になるのだろう。39歳から69歳まであしがら地域で暮らした。69歳から99歳まで石垣で暮らしたいものだ。できる限り石垣のものを食べる。石垣島のすごいところは、石垣地域の有機農産物でほぼ暮らせる。こんな島は世界にも少ないだろう。キューバぐらいか。人口5万人の島で考えれば、数少ないのではないだろうか。50年前は世界中がそうだったのだろうが。身土不二の島石垣島は文化の奥が深い。

「八重山諸島は芸能の島と言われています。」アートホテルでの毎晩8時からの結心(ゆいぐくる)コンサートでの枕詞である。毎晩コンサートのあるホテルが、5,6か所あるのではないか。町の民謡酒場は30以上ありそうだ。となるとそこで歌者は育つのではないか。八重山民謡を学ぶために石垣に来たという人にも合う。芸能と食の島。食といえば、泡盛の古酒(クウス)だ。100年を超えるものがあったそうだ。1斗甕を3つ用意する。その3つを順次継ぎ足してゆく。古いものを飲んでは飲んだ分だけとなりの甕から移す。新しい甕には新酒を継ぎ足す。玉那覇酒造さんに玉の露をお願いした。これを順次クウスにしてゆく。これが石垣の暮らしのしるしだ。飲むというより、未来の誰かのためにクウスを残したいと思う。100年先の石垣の暮らしを思って今日を暮らす。クウスを作るという事はそういう文化なのだろう。石垣にこうした文化が生まれたのは、二重三重に支配されたからだ。自分たちの存在の場を文化に作り上げた。

 

 

 

 

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石垣島に猫が来る

2018-11-16 04:24:16 | 石垣島

アトリエの天窓、よいひかり。

石垣島引に猫が来る。今日昼頃に羽田から石垣まで5匹の猫が飛んで来る。猫の引っ越しが相当に悩ましいことだった。わたべさんが羽田まで車で送ってくれる。石垣島では猫を外に出せない。外に出たら戻れなくなる可能性がある。そこで、半年前から猫は家猫にした。長年外を遊びまわる猫として暮らしていたので、猫としては不満がある。時々は逃げ出していたが、だんだん家の中でも大丈夫になった。一番外に出たがる。福島から来た野生ネコのララが意外に外に出たがらなくなった。一番心配だったララが脱出を一度もしなかった。何時も鳥を捕まえては見せに帰ってきたララがどうしてと思うが、ネコというのは不思議な生き物だ。先に私が来て、受け入れ準備だ。まず、新築の匂いが問題。良く開け放ち空気を入れ替える。風がかなり通り抜けて、匂いが気にならなくなった。次は荷物の片付け。今日一日では出来ないから、自分のものから片付ける。

アトリエの床の様子。メープル材 

一晩、窓を開けたまま寝た。静かな夜だった。素晴らしい住環境である。11月に窓を開けたままでまだ暑いというのだから、すごい。インターネットの接続も終わり、やっと家がWi-Fi環境になった。新しいルーターにしたのだが、少し手間取った。バッファローのWTR―m2133hpというのだが、強い電波が飛ぶというのだが、それほどでもない。何か調整が悪いのか、石垣の電波が弱いのかこれからテレビを見えるようにしなければならない。こちらも手ごわそう。テレビを壁掛けにしなければならない。電気屋さんに頼むとこの器具を付けるだけで2万円と言われた。当然自分でつける。1時間で出来る工事だ。除湿機の接続もしなければならない。排水管に直接つなぐ。これで24時間運転が可能になる。アトリエの棚も作るのだが、今回はそれはできそうにない。

アトリエで大事なのは、床と天井。壁は当たり前に大切だが、壁は絵を邪魔しなければいい。壁は単調であればいい。壁は壁紙にした。絵を両面テープで止めてみるので、実験してみて、大丈夫な壁紙にした。床は明るくて、天窓からの光を反映してほしい。床は脚への感触まで気になる。当然明るい方が良い。一日光を眺めていてわかったことは、昼か五日書きたい。10時半までは南向きの窓も日が差さなくなるという事。朝日から10時半までの光が家の中に入る。これも予想通りでそういう窓の配置にした。窓から見えるお隣の庭が絵になる。描いてみた。明日には猫と入れ替えで小田原に行く。しばらく慌ただしいが、慣れなければ。

石垣の受け入れ荷物の搬送は、八重山港運がやってくれた。相当困難だったと思う。狭い道をなんとか2トンロングを入れた。2トンロングが入るという事が分かった。1時から始めて、5時半までかかった。6人の仕事だった。引っ越し仕事が毎日あるそうだ。最近のことだそうだ。石垣はいよいよ本格的な賑わいになりそうだ。なかなか丁寧な運び込みで、聞いていた粗い仕事とは大違いだった。毎日引っ越しをやっていれば、養生の仕方など、手慣れたものだ。開封設置という事で、ベットの組み立てから、洗濯機の設置までやってくれた。仕事の合間に聞いたのだが、やはり、石垣にコンテナで運ぶことは可能らしい。有明港に琉球海運のが支店あるからそこに相談すればいいらしい。沖縄輸送サービスというらしい。次に絵などを運ぶときは、家から2トントラックで荷物を運び、有明で自分で積み込む。石垣港で自分の車で、運び出す。ゆっくりやれば自分でもできそうである。

 

 

 

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石垣島引っ越し3

2018-11-15 04:01:03 | 石垣島

 石垣島の出来上がった家姿。車も運び込んだ。

石垣島の引っ越しもいよいよ石垣での受け入れである。車の方はすでに石垣港に着いた。という留守電が東西海運から入っていた。受け取りは14日午後と聞いていたのだが、予定とは違う、どういう事なのだろうか。車の方は12日についてしまったらしい。11月14日朝4時30分小田原の電車。6時35分の飛行機で10時10分には石垣南ぬ島石垣空港に着く。それから車を取りに行くしかないと思うのだが、車は港に置いておいて大丈夫なのだろうか。こういうことがすべて初めてのことなので、落ち着かない。カーフェリーの方が引っ越し荷物のコンテナ船よりも早く着いたという事か。カーフェリーには「ニラカナイ」と書かれていた。石垣に着いたらすぐに港に行き八重山港運で車を受け取る。すぐに設計事務所に向い、鍵の受け渡しをする。かんたんにすすんだ。14日10持40分引き取り。いよいよ引っ越しの荷物の受け入れが始まる。14日一日でその準備をする。

新しい家のキャットウオーク。

家の受け渡し。考えていたようにできた。特に心配だった壁の色も指定通り塗た。入口の上に付けた屋根は、想像以上に丁寧に出来ていた。郵便物の受け取り。建て替え費用の支払い。電気関係では、入り口の上の電線の始末がよくない。。光ケーブル。光テレビ。インターネット。これは今日荷物が来ないとわからない。家の点検。畳屋さんへ行き畳の配達をたのみに行く。出来ているはずが、これから作るというので驚き、さすがの沖縄畳。沖縄のイグサで作る。石垣スタートの泡盛のクウス作り。甕がついてからゆっくりやればよいということだった。玉那覇酒造さんへ引っ越しのお願い。大きな荷物はここから入れさせてもらわないと無理。

アトリエの床は明るい色になり、うまく 天窓の光がアトリエに回っていた。絵がか見やすい部屋かもしれない。時間経過で光が変わってゆく。このかんじが悪くない。窓をすべて開けて、空気を入れ換えた。窓からの景色がよい。絵がかきたくなった。今日はここに家具が入る。松本民芸家具の黒っぽい色が8つ入る。落ち着きが出るはずである。左の下に風を入れる窓がある。反対側の高いところに風の抜ける窓がある。とても良い風が通り抜けてゆく。石垣の11月は過ごしやすい季節である。あまり湿気もない。

飛行場に降りた時、石垣に帰ってきたという気がした。こんなに気持ちが変わるものなのだ。あたりの様子も前回までとはどこか違う。この違いが絵に出てくるものなのか。

 

 

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安倍改憲論の破たん

2018-11-14 04:01:46 | Peace Cafe

安倍氏は公明党を忖度して、加憲という形だけの改憲論に変えた。その程度憲法改定をなぜこれほどの無理をして行うのか。自民党憲法草案が国民に受け入れられないと考えるからだろう。狙いは自民党草案であり後は何とでもできるという思惑。9条に自衛隊という言葉は加えるが、9条自体はそのままの形で残すという手法である。後は解釈の変更で何とかなるという破綻である。憲法を変えるなら、憲法の位置づけを明確にすることが前提である。憲法をないがしろにする人間が憲法改定を悲願にする自己矛盾。何故、こういう無意味な改憲論に拘るかと言えば、政治家一族の意地のようなものと考えるしかない。憲法改定を行った立派な政治家であると、名を残したいというような程度の低い意地ではないか。憲法というものは理想論に過ぎない。棚の上にあげて置き、現実の政治はそれとは別に行っているという実感があるのだろう。たまに憲法上問題がありそうな場合は、内閣法制局に新解釈をさせれば構わないというのが、アベ内閣である。こうした立憲主義とは程遠いアベ内閣には憲法の存在意義など理解したくもないのだろう。立憲主義における憲法はあらゆる権力に対して、こういうルールに基づき、政治を行えと制限を加えている物なのだ。

権力というものは自由に動きたがる。特に保守政権はその傾向が強い。そういう自由を自ずと持ちたがるものだ。権力者は自分の思い通り、制限なく政治を行いたいに違いない。憲法の制限で思い通り行かないことがあれば、憲法が邪魔だと考える。権力の邪魔になるように存在するのが、憲法である。例えばアベ政権のように近隣諸国が悪い奴らで、武力を増強し、日本に攻め込み支配しようとしていると考える権力もあり得る。先制攻撃をして、その力を弱めなければならないと妄想をたくましくする。すると、憲法を変えて自由にそういう暴力行為が出来るようにしなければ、抑止力にはならないと考えるようになる。憲法では平和的努力で国際問題は解決しなさいとされている。ところがそんなものは理想論で、現実世界の力の闘争を知らない奴のたわ言だと、占領軍アメリカの日本の力を弱めるための謀略憲法だと言いたくなる。日本の保守層の発想では平和外交などきれいごとで、現実社会では無意味だと結論を出している。ここにアベ憲法改定論の破たんが潜んでいる。

また、国民の多数派も安倍氏と大きくは違わない様に考えている。こうした多数派の武力主義への移行は世界的な傾向でもある。その背景は経済戦争が起きているからだ。強い国の関税要求を認めない奴は、経済封鎖だ。それでもいう事を聞かないなら、武力攻撃も辞さないぞと脅す世界。力で経済的な有利を導き出そうとしている。良い製品を作ることが経済競争であるはずなのに、貿易の不均衡に対して軍事力で脅かして変更しようとまでしている。自動車の輸入台数制限を認めないなら、核の傘から取り除くというような暴力主義である。まさに暴力団のメカ締め料取り立てと同じことだ。武力のある強い者が正義となる過去世界への先祖返りだ。こうした経済戦時下、大親分にたいして、いくら手下になるから許してくれと言っても、もっと上納金を持って来いと言ことになる。この事態を抜け出るためには、弱い者同士が、団結して暴力団お断りの正義を張り出すことしかない。一度メカ締め料を払えば、泥沼関係が生まれるだけだ。

おおよそこんなところがアベ憲法改定論のうまれた背景だろう。経済戦時下自由にやらせろ、そうでなければ日本はつぶされるぞという、怯えで歪んだ幼稚な弱小暴力団的考えなのだ。弱い者同士の連携だけが戦時下をくぐりぬける道である。断固暴力団お断りが、日本国憲法にある理想論である。日本が弱い国の連携を進めるためにも、平和憲法のある武力的には弱い国である必要がある。堂々と武力はないが、平和外交を進める。世界は弱い国ばかりなのだ。そうした国の灯台に日本がなる。格差の年々広がる状況に対して、弱いものの一人として日本国があるという正義を示すことが日本の正しい選択ではないか。世界の崩壊を食い止める唯一の道ではないか。少なくとも日本国憲法はそういう道を指し示している。

 

 

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河野外務大臣の不自然な変貌

2018-11-13 04:39:21 | Peace Cafe

河野太郎氏がおかしくなっている。信じがたい変貌である。2度話を聞く機会があった。なかなかの勉強家であるし、人の話に対する理解力もある人と見えた。ところが最近の様子は明らかにおかしい。人相まで変わっている。アベ政権の鵺に飲み込まれたようだ。総理大臣になりたいの一心が起こした変貌なのだろう。忖度の輩である。反骨精神のあった河野一族出身者にしては不甲斐ないではないか。朝鮮徴用工問題である。これがアベ一座での彼の踏み絵なのだろう。その為に外務大臣という紳士的でなければならない職務を、異様な形相で行っている。良心がある人間だから苦しいのでは無かろうか。日本がやってしまったひどいことを、近隣諸国ではいつまでも忘れてはくれない。忘れないどころかそれを政治利用してくる。日本の国民としては辛い。辛いことではあるが、永遠にその責任を胸に刻まなければならない。戦争というものは悪いことばかりである。帝国主義を後追いした明治政府の愚かさを憎む。

今同じような焦りが日本の社会に産まれ始めたようだ。世界の動向が一国主義である。経済戦争が始まっている。強い者が正義という野蛮社会に戻ろうとしている。アベ政権は韓国最高裁判決を即座に「判決は国際法に照らして、あり得ない」と興奮気味に発言した。安倍氏は韓国司法が政府の意向を反映して出した判決と決めつけている。日本では自分が司法を従わせているので、こんな発言になったのだろう。河野太郎はアベ木偶人形一団の座員になったようだ。徴用工判決は国際司法裁判所で裁判をすれば、日本企業が敗訴する可能性もある。しかも世界における日本に対する批判効果は、慰安婦少女像の比ではなく広がることだろう。支持されたいが故に、日本の大衆の感情論に乗っかっている外務大臣は哀れ。まさに、戦前の追い込まれた日本の姿の再現である。徴用された韓国人を思うべきだ。分かりやすく逆のことを考えればよい。日本政府がロシアと平和条約をむすび、補償問題や戦争犯罪は解決済みとしたとしても、シベリアに抑留された人の怒りが消えるわけではない。ロシアは戦争の賠償として強制労働させたと主張している。シベリア抑留された三人の方と親しかった。強制労働のひどい状況を克明に聞かせていただいた。樺太にいた人からは、侵攻してきたロシア兵の暴虐を聞いた。ロシアを絶対に許さないと、お会いする都度と言われていた。故郷であるにもかかわらず、もう2度と樺太に行きたいなどと思わないとも言われていた。

朝鮮の人たちに置き換えて考えてみてもらいたい。愛する朝鮮を日本の植民地にされ、日本に連れてこられて強制労働させられた。確かに韓国政府は日本と平和条約を結び、賠償金に当たるものを韓国の発展の為に利用した。国家間では解決済みの問題であるかもしれない。しかし、直接働かされた徴用工個人の被害は解決していない。金銭的賠償があったわけではない。国が解決済みだとしても、個人の気持ちが収まらないのは当然のことだ。個人が働かされていた会社に補償をして欲しいという主張は理解できる。しかし、日本政府の態度はまるで過去の過ちに対して顧みる気持ちがない。日本の河野外務大臣がまるでネトウヨやヘイトスピーチ集団と変わらないレベルの反応をしている。まず、過去の歴史を謝罪するところから話を始めなければ、両国の会話など出来ない。外務大臣というものは、感情論に一番遠い存在でなければならない。

アベ木偶劇団に参加させて貰った恩義があるのか。アベ一座の人間は稲田氏、下村氏、甘利氏、など妙に怪しげなところがある。怪しげなところを上手く押さえて、忖度させるのではないか。これがアベ座長のお坊ちゃんの汚さである。今度の新座員河野氏は次の総理大臣という野心を弄ばれている。誰がマネージャーなのか、スカウトなのかわからないが、政策で河野氏と安倍氏と結びついたとは思えない。座員にしてもらった以上、頭は木偶人形の振りと考えるほかない。外務省を通じて世界の日本大使館に、韓国の最高裁の判決の国際法上での問題点をアピールしろと指示をしているそうだ。そして、韓国政府の対応次第では国際司法裁判所に提訴するとしている。これでは感情的対応で、国民の反韓意識を煽るだけである。激して対応すればするほど、韓国の人たちの怒りを煽る。良いことはない。いや、たぶん安倍氏の憲法改定には有効な戦略の一つなのだ。アベ一座に踊らされてはならない。

 

 

 

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凶悪犯罪の増加

2018-11-12 04:25:28 | Peace Cafe

殺人などの凶悪犯は増え、二千四百八十六件(7・8%増)。殺人は四百六十四件(7・2%増)、強盗は九百五十二件(6・4%増)で、警察庁は「殺人や強盗が増えた明確な要因は分からない」としている。昨年の刑法改正で強姦(ごうかん)から罪名が変わった「強制性交」は六百一件(26・8%増)だった。

警察庁平成30年7月のデーター

凶悪犯罪が増加している。毎日の報道でも殺人事件が目立つ。人口が減少しているのに、犯罪数が7,8%も増えているという事は、曖昧に済さず原因を考えなければならない。にもかかわらず発表した警察庁では原因はよくわからないとして、終わりである。警察は犯罪の減少努力を怠っているのではない、と言いたいのだろう。殺人の原因が警察で分からないというのでは困る。原因は明確だ。家族の問題である。家庭の中の犯罪が増加している。その為に警察では防ぎ難い側面が出てきている。親が子供を殺し、子供が親を殺す。孫の祖父母の殺人も目立つ。家族崩壊が犯罪の増加の主原因である。家庭崩壊が起こる原因は社会の弱まりにある。社会の矛盾が家族に集約されてきているのだ。追い詰められた人間が、一番近い、弱い存在にその矛先を見つけてしまう。親が子供を殺してしまうなどという事は、よほど病的なことだ。社会が親という存在を病に追いやっていると考えた方がいい。

可愛いはずの子供を親が殺してしまうなど、想定外の事態が起きている。日本人の中に強く存在した家族主義。封建主義下の家族の姿が大なり小なりあった。家が個人よりも優先されていた。長男が家督を相続して、それ以外のものは家を成立させるための協力者となる。分家を作ることも、開墾などをして農地を広げる以外になかった。その結果人口増加も歯止めがあった。明治になり人の移動が可能になっても、人口を一定数よりも増加できない農村の社会状況から、移民政策が始まる。移民という名の棄民である。とんでもない不毛の地に棄民された日本人が多数存在する。満蒙開拓団なども農村の疲弊から始まったものだろう。原因は新興帝国主義国日本が、実力不相応の軍事競争に巻き込まれた結果である。今起きている事態は経済戦争の結果である。極端な能力主義が、子供たちを追いやっている。引きこもりの増加。分断の始まり。高い能力の者を作り出すことがお国の為である。軍事競争が敗戦によって終わり、今度は経済競争社会である。能力主義によって追い込まれた家族が増えている。追い込まれた人間は自分だけ以外のものが見えなくなる。

孤立させられた家族。分断された人間。地域社会の崩壊。希望の喪失。下層に位置したものには展望のない社会しか見えない。日本という国家の漂流が始まりかかっている。目標の持てない家族が精神の崩壊をきたす。その結果家族内の凶悪犯罪の増加が起きていると考えるほかない。警察庁は何故こんな明確なことすらわからないというのだろうか。分かりたくないということなのだろう。社会の在り方や、方向性に問題があるというような分析をしたくない。家族の再生が必要である。地域の再生が必要である。人間の暮らしを取り戻さなければ、家族内殺人は減少できない。どれだけ監視カメラを増やしたところで、家庭内に監視カメラは付けられない。人間の暮らしを取り戻すことは難しいことではない。過度の競争を止める以外にないだろう。他者との競争ではなく、自分を深めてゆくことに向うべきなのだろう。

 

 

 

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石垣島引っ越し2

2018-11-11 04:01:26 | 石垣島

引っ越しが済んでさぞやすっきりしたかと言うと、まだそこまで進んでいない。石垣への引っ越しは長期戦である。昨日は有明のフェリー基地まで自動車を運んだ。初めてのことでなかなかわかりずらかった。電話番号で入れたナビに従っていたら、なんと江戸川区役所という訳の分からないところに到着してしまった。そこからまたやり直しで、家から3時間もかかってしまった。最初から有明フェリー乗り場でナビに入れればよかった。東西海運という会社で探していたことが間違いだったようだ。場所を一時的に借りているという事なのだろうか。結局捜し歩いて、たどり着いた場所は入り口のそばだった。でもグルグル回っている間に、有明という港の様子が分かり面白い経験だった。都営の港のようだ。豊洲市場の周辺は工事中ばかりだった。車の輸送で心配だったのは荷物を車の中に置けるのかどうかだ。ネット情報では車に荷物を満杯にして送ったというのもあった。心配なので、控えめに座席の影位に載せておいた。一応保証は出来ないよという事で通過させてもらえた。将来もう一度引っ越しをするとすれば、石垣行きのコンテナを自分で借りることができないかである。コンテナの場所まで、レンタカーで荷物を運び、コンテナに自分で入れる。これが出来れば引っ越しも格安である。

家の方は荷物が減って、やっと人間が暮らせる家レベルかといえば、そうでもない。何しろ冷蔵庫がいまだ4台もあり、使っている。ごみ屋敷というより、お化け屋敷だ。冷蔵庫は捨てたことがないから、こういう事態になった。つまり今回石垣で購入した冷蔵庫は過去40年で5台目という事になる。1台10年間使用は普通レベルではないか。冷蔵庫というものは当たり前だが温度調整可能になっている。15度に設定すれば、お米や小麦の保存庫に適している。一般のお米の保存庫よりも断熱性が高いから、電気代はあまりかからない。15度に設定する方法は以前書いたが、要するに温度センサーを冷蔵庫内に付けて、それをコンセントの間に付けるだけだ。こんな利用の仕方をするから、冷蔵庫が捨てられないで溜まってゆき味噌部屋になる。古い冷蔵庫はもう40年前のものだから、これは電気は入れずに、ただの保存庫として使い分けている。ジャガイモや小麦粉など入れてある。自給農家というものは食糧保存が重要になる。そいういう事で冷蔵庫は捨てられないが始まり、4台の悲しい状況になっている。現役冷蔵庫は一台である。

整理をして、一人暮らし状態になんとかする。そこまで片づけないとどうにも落ち着かない。石垣に行くまでに後4日しかない。帰って来た時に、そのまま一人暮らしが出来るようにして出かけたい。試験勉強の前には机の片づけから始まる性格。食事関係はそのままいける。ずいぶん石垣の家に台所関係のものは送ったつもりだが、最小限の台所には程遠い。保存ガラス瓶が26個出てきた。これは早急になんとかしなければならない。ずいぶんいろいろを漬け込んできたものだ。増える一方であった。これからは漬け込まないから、中が空になれば捨てるだけである。何しろ漬け込んだからと言って、時間をかけ熟成したころに食べる当てがない。お酢でも、味噌でも、醤油でも何時まで作ればいいのか。梅酒だけで、まだ一升瓶で20本はある。あと一年で飲み切るつもりだ。先日東京から運んできた、40年物の梅酒を飲んだ。美酒であった。保存が良かったのだと思う。洗濯機は2台あったから、一台は残した。洗濯はやっていなかったので、昨日練習してみた。何とか出来そうである。

石垣に荷物が付くのが15日になる。14日の午後には石垣港に車は到着する。この車を引き取り、引っ越し荷物の受け入れ準備をする。インターネット接続など、予測がつかない要素がある。石垣のドコモショップがもう一つ状態だった。インターネットのプロのはずが、もう一つ情報が鮮明でない。テレビは9月から新しい方式に変わったらしく、調べていた私の方が詳しかった。エディオンという大きな電気屋さんがあり、価格も小田原と変わらない。テレビやエアコンはここで購入したのだが、ここでもテレビの受信について、良く分かっていなかった。私が間違っているのかもしれないので、正直接続するまで不安がある。前回行ったときにお願いした畳屋さんに沖縄イグサの畳を取りに行く。畳ベット用である。玉那覇酒造さんで玉の露 金 の古酒を壺に入れてもらう。引っ越し記念である。一斗壺なので、これを毎年飲んだだけ継ぎ足して行こうと考えている。

 

 

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100歳の健康法

2018-11-10 04:23:00 | 暮らし

腸にいる微生物が人間の調整をしている。こういうことはほぼ共通認識になってきた。その微生物は人間の細胞の数より多いと言われている。という事は人間は微生物の塊が中心でそれに依存して存在する寄生生物と言えるかもしれない。そう考えると愉快だ。細胞は日々生まれ変わっている。微生物も日々生まれ変わっている。昨日の私は今日の私ではない。良い自分になりうる可能性が開けている。微生物は生まれ変わりながら、その傾向は引き継いでゆく。細胞も同じで変異を起こせば、病気という事になる。大きな変化が起きない様に調整してゆくことになる。100歳を生きる時代と言われている。腸、腿、心の3拍子が揃えば、100歳は確実なことになる。腸を鍛えるのは、発酵食。腿を鍛えるのは、日常生活。心を鍛えるのはなかなか難しい。私の場合は絵を描くことになる。

歩くという事が健康には重要である。これもほぼ共通認識である。それは腿の重要性だ。腿が人間の体温調整をしている。これは私の推測。発酵には温度が重要である。経験的にそう考えるようになったのは、腿を温めるとか、腿を冷やすという事が、体調の変化をきたすという経験からだ。足を冷やしてはならないという意見がある。それは腿の調整のように考えた方がいい。足が冷えると腿も冷える。腿の先に足があるのだから当然である。足先が冷えるというのは結果論なのだ。腿を健全にすることを考えた方がいい。よい腿を作ることが健康な体には重要な要素になる。だから歩くことが大切になる。私は歩数計で4か月ほど記録してみたが、平均で1万1千歩である。2万歩を超えたことは過去4回ぐらい。最小が6000歩ぐらいである。自給農業者はだいたいこんな具合だ。腿は現状では年齢の割には良い状態である。体脂肪は10%。内臓脂肪が5%。有酸素運動レベル64。安静時心拍数平均58。

腸の方の注目点は、ウンコとオシッコである。排泄物は、食べ物のカスではない。食べたものが吸収しきれないから、廃棄物となって押し出されるという流れではない。内観法の結果なので、人様の身体は違うかもしれないので注意事項。食べたものの大半は一度身体が吸収する。そして、身体が不要となった廃棄物を、ウンコ、オシッコとして廃棄すると考えている。もちろん食べたもので消化されきれないものがウンコになるという側面もある。そんなものはごくごくわずかな異物である。全体から言えば、微生物や微生物の廃棄物、そして微生物の死骸。この方が量は多い。それくらい腸では微生物が吸収の手助けをしてくれている。だから、体内から絞り出された排泄物で健康の確認をする必要がある。微生物の活動状態は一番よく分かる。オシッコも同じだ。飲んだ水を必要な分だけ吸収して、その残りが排泄物として出てくるというのではない。腸の中の状態をよく保つためには水分量が重要である。それは発酵を考えれば、かなり厳密な数値で温度と水分量が影響する。

腸と腿よりも健康に重要な機関が人間にはある。心である。心がかなりの部分を調整している。脳というより心と言った方が良い。心と言っても心臓ではない。気持ちの方である。病は気からというが、気が衰えれば身体などひとたまりもない。だから、100歳まで生きると決めた。その前提で考えた方がマシだ。前向きな気持ちを持つ。これは意志的なものだ。信念でも良い。その為には目標がなければならない。これをやり遂げるためには健康を害することはできないという決意である。この気で体内の状態も違ってくる。この気を発するのは脳である。脳トレなどというボケ防止があるようだが、あんなもので脳の活力増加は期待できない。気を強めるためには、頭を活発に使うというようなことではない。丹田を鍛えるという事に近い。いざという時に動じないような気力を充実させてゆく。まあ、そこが修行である。生きることに真剣に向かい合うという事になる。私には絵を描くことになる。心を強めるというより、深くしてゆく。奥底まで知ること。分かればだいぶ違うと思うのだ。

 

 

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外国人労働者問題

2018-11-09 04:39:45 | Peace Cafe

外国人労働者が日本には今もいる。耐えられないで不法就労になる人も多い。世界から日本の今のやり方は人権上問題があると批判をされている。香港や韓国は批判をされていない。アベ内閣はこの異常な就労状態を拡大しようとしている。そしてあくまで移民ではないとしている。その理由は日本に必要な人以外は入れないという事のようだ。私は外国人労働者を入れるのであれば、移民として受け入れる覚悟がいると考えている。国というものはそういうものだと思う。安倍氏は国家主義者のくせに、国という枠組みを持っていない。安倍氏は鵺だから、実にご都合主義だ。安倍氏の口ぶりでは労働力不足なので、ロボットを導入するという意識と同じなのだ。人間ではなく、労働力で済ませると考えている。都合よく利用して、5年経って日本の社会に入り込みそうになれば追い返す。5年経って大丈夫そうな人材だけは、受け入れを延す。こんな扱いはまさにロボット意識である。これで済まないのが人間である。日本という国の在り方にかかわる、非人道的な問題がある。日本人は気づかず、人種差別をしているが、人間すべてを同等のものであるという意識を普通に持つ人々だ。

仕事とは何か。働くという事は何か。そこには暮らしがあるはずだ。人間の生きるという姿がある。人間が良い仕事をするという事には、その仕事に命をこめる喜びがなければならない。そういう本当の仕事部分を日本人は行い。単純労働を外国人労働者がこなす。それが都合が良いという事に日本社会がなってきている。嫌な社会が産まれそうではないか。差別の社会ではないか。格差社会の下の階層のさらに下に新しい階層が生まれる。日本人にはなれない人間外という階層を設けようという事ではないのか。日本人の下層の方がましだと言いたいのか。分断社会が近づいている。まだ今の日本は良い国だと言える。善良な人々が、排除はされない領域が残っている。自給生活者が居場所がある世界が残っている。世界で台頭している、一国主義の普通の国にはなってもらいたくない。

経済戦争中の日本は日本の経済の為であれば、何でもありである。なりふり構わず国家資本主義に進もうといしている。明治日本帝国が植民地をやったように、外国人労働者の使い捨てをしようという事だろう。植民地時代の徴用工問題では、日本人以上に過酷な仕事を押し付けた。同じようなことが起きないであろうか。民族間の問題は簡単なことではない。日本は都合の良い労働力を想定して受け入れようとしている。しかし、いま世界で起きている不法移民問題は、世界経済の格差の深刻化で崩壊しかかった国から追われるように脱出している人々の問題である。その国にとどまっていたとして暮らすことができない。脱出してボートピープルになって死んでしまうかもしれない。それでも逃げ出す以外にないという深刻な事態が世界の各地で起こり始めている。こうした移民圧力がある中で、日本だけ都合の良い、優良で、勤勉な労働力の受け入れで済むはずがない。そうした甘い空想は想定外の事態で破たんする。労働力を受け入れるというのであれば、移民を受け入れる体制の整備が必要なのだ。

韓国では外国人労働者が5%ぐらいいる。フランスで6%だ。このやり方をまねてやろうというのが、アベ政権の考えと思われる。韓国でも問題は多発している。韓国では外国人労働者を希望する中小の企業は、まず韓国人の募集をする。それで人が来ないときには外国人を希望するという事らしい。ところが新卒の大学生の10%が就職できないでいる。中国や韓国では分断がすでに起きている。日本人がやらない日本人の食糧を作る仕事。外国人が日本を支えるという構造が嫌だ。日本の甘い社会が世界の寒風に晒される。まず、その前にやることがある。日本の地方消滅はどうするのか。人口減少問題にどう対処するのか。食糧自給はどうするのか。アジアの一国としてどういう外交を展開するのか。日本という国をどういう方向に進めるのか。アベ政権の目指す明治帝国主義日本に戻ることで良いはずがない。明治日本が世界に対して無知なあまり、アジア諸国を軽視するという愚かな外交政策をとった。遅れたアジアを日本が救済するというような驕りである。外国からくる労働者を、アベ政権は把握できていない。

 

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石垣島引っ越し法

2018-11-08 04:48:45 | 石垣島

石垣島への引っ越しはかなり大変である。費用が普通の引っ越しの3倍近くかかる。間に船が入る。船にはコンテナで載せる。その積み下ろしがある。コンテナが小田原の家そして、越してゆく石垣の家に横付けられればまだいいのだが、どちらもトラックでの積み下ろしが必要になる。家の条件がとても悪い。そういう場所が好きだからしょうがないとは言えるのだが。普通の引っ越しよりかなり手間がかかることになる。11月7日の10時半小田原の家に石垣引っ越し便の池田さん達6人が来てくれた。2台のトラックである。そこから荷物を一気に運び始めた。大変な荷物を手際よく運んでくれた。てきぱきと、一気に1時まで運び続けた。見事という運び方であった。絵の入ったタンスなどは300キロは超えていると思う。それを4人でなんと持ち上げた。専門家とはいえすばらしい仕事ぶりだ。11月15日が石垣の家への搬入になる。こちらはさらに大変な仕事になりそうである。不安が膨らむ。

彫刻の関係のもの。そして私の絵に関するもの。2つ併せるとなかなかの荷物になる。2つのアトリエの引っ越しだから、仕方がないのだが、それにしても荷物がすごい。半分以上は廃棄したのだがすこしも減った感じがない。生前整理のつもりで、ここ2,3年は毎月最低は軽トラ一台分は捨てるという事で来た。それでもこんなに荷物があるという事が恥ずかしくなる。生前整理は1年間使っていなかったものは捨てると言われているが、年に1回でけは使うというものが山のようにある。捨てればまた買わなければならないものが山のようにある。それが絵を描くという事のようだ。面倒くさいところがある。何か仕事をしている以上生前整理にも限界があることを思い知った。絵を描いて生きようというのだから、どうして生涯無一物という訳にはいかない。

それでも、なんとかかんとか、荷造りを進めた。私の本の類は段ボール箱に7つだけにした。どれも死ぬまでにもう一度読みたいものだけにした。絞りに絞り限界である。水彩画は保存ダンス2棹が一杯になった。もっと減らす方が良いのだが、もう少し描き続けたいという絵が山のようにあり無理だった。古い油絵の類はすべて持って行かない。小田原に残してどうなるかはわからないが、持って行かないことにした。押し入れにぎっしりある。恐ろしくなるがこれもどこかの段階で処分するほかないのだろう。アイランデクス株式会社「石垣引っ越し便」という大阪の会社にお願いした。離島専門に引っ越しをしているらしい。ネットで見つけた会社である。3か月前に連絡をした。下見と見積もりに来てくれた。とても紳士的な池田さんという方だった。いわゆる、引っ越し業者さんにも見積もりをお願いしたが、そこよりかなりの低価格であった。有名な引っ越し業者さんは明らかにやりたくないという感じでもあった。石垣には引っ越し業者さんというものはないから、港から引っ越しする家までは専門業者ではない運送業の人にお願いするほかないのだそうだ。こういう面倒な仕事は大手の引っ越し会社は気乗りしない。

石垣の越して行く家が狭い路地の先なので、ここがまた厄介なことになる。その石垣の運送業の人が、どうしたらいいのかを下見してくれた。お隣から入れさせていただくしかないという事で、工事に引き続き通していただくことをお願いをした。「玉那覇酒造所」さんである。古酒を寝かす倉庫が隣にある。生涯玉那覇酒造所の泡盛しか飲まないことにした。駐車場を通させていただくことになっている。有難いことだ。石垣に着いたならば、古酒を記念に一壺入れてもらうつもりだ。良い壺を運んだ。

 

 

 

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コンピュター絵画の時代へ

2018-11-07 04:15:44 | 水彩画

米競売大手クリスティーズは26日までに、人工知能(AI)技術を使って描かれた絵画が、43万2500ドル(約4800万円)で落札されたと発表した。同社によると、「アルゴリズム」(計算手法)と呼ばれるAIの関連技術で制作された芸術作品の競売は世界初。予想価格の約45倍の高額落札という。

アルゴリズムで描かれたといってもよく分からない。アルゴリズムというのはコンピューターの思考方法だ。結論に至る最適な方法を手順よく進めるという事らしい。囲碁ではデープランニングというコンピューターの手法で人間を超えた。こちらはコンピューター自身が対戦を行いながら、強くなったという事だ。問題点を自分で改善できるという事らしい。絵画であれば、良い絵とされる静物画を記憶させ、リンゴ3つを描けばどうなるかというようなことをやるのであろうか。こういうのは私は絵だとは思わない。描く技術については、人間のレベルなど簡単に超えられる。ここまでは私は50年前に想像していた通り成り行きで、怖いくらいだ。機械がやるようなことを人間がやってどうするのかという事を、自分の絵の方向と併せて考えていた。悩んだ末、過去にあるものをなぞるようなことは、芸術ではないと結論した。技術的に他より優れているなどという事は、遠からず無意味になると考えた。それから自己否定する事が出来るかと進んだ。

かつてないものを描くという事が芸術であるとしたら、コンピューターが考える次の芸術としての絵画はどうなるのだろうかということには興味がある。かつてあるものから磨き上げるというのは職人の仕事であり、芸術ではない。ルールがあるゲームであれば、必ずコンピューターの方が上になる。良い絵というルールがあるとしたら、コンピュターの絵が勝るに決まっている。コンピューターの絵は商品絵画としては、人間を超える。それを芸術と呼び、人間がそこから感動を受けるのかに興味がある。囲碁ではコンピューターの手筋に人間が感動している。囲碁は遊びだからそういう事である。機械が増産できる絵はどれほど良い絵であるとしても、少なくとも私が目指す絵ではない。同時代の人間と競争し、評価されるなどどうでもいいと20年ほどやって分かった。分かって行き詰った。何のためにやるのか理解できないことを平気でやれるような人間に、芸術など作れるわけがないと思えた。そういう生意気な人間だったから、人に褒められる方向には進めなかった。

すばらしい絵を描くのはすばらしい人間だと、当たり前に戻って考えた。素晴らしい人間になるために得度をした。禅の修行のまねごとをした。まさに乞食禅である。ここが昔から今に至るダメなところなのだろう。その頃、三沢智雄先生や山本素峰先生の素晴らしい人間という姿に圧倒されていたのだ。素晴らしい人間になって素晴らしい絵を描きたいとあがいた。これも石膏デッサンをやるのと何ら変わらない馬鹿馬鹿しいことである。本当に生きるという事がない。それに気づいたのは40のころである。それで山北での開墾生活に入った。自分の為に描ければいいという事にならざる得なかった。ダメな自分であるのだから、ダメな絵を描けばいい。絵は自分の自覚の為のようなものだ。まず、見ているものを見えているように描いてみようと考えた。コンピュターであれば、見ているように描くというのはどんなものになるのだろうか。多分コンピューターには写る景色はあっても、レンズを変えれば、顕微鏡のようである。あるいは望遠鏡のようである。赤外線レンズかもしれない。人間が感じて見ているという事をどう分析するのであろうか。

コンピュター絵画が未来社会に登場するという事は、モナリザが必要な人にはモナリザを何枚でも複製できる。ゴッホの向日葵を部屋に置くことでもできる。コンピュターが制作する、さらに素晴らしい絵というものが出てくる可能性はある。しかし、私が私の興味と喜びで制作するという水彩画だけは残る。絵を描くという行為にある魅力だけは尽きないのではなかろうか。そいう自分というものにどこまで真っ当に迫れるかが絵をかくということだと思う。言い過ぎれば、人間が生きるという事はそういう事ではないのか。商品絵画の世界は、変わってゆくことだろう。職人技では勝負に負ける。人間が人間らしく生きるという事の意味が、より明確にされる。

 

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