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石垣、小田原2地域居住

2019-02-08 04:47:46 | 石垣島

 2地域居住を始めている。石垣島と小田原半々である。小田原は18年暮らして来たので、おおよそ様子のわかる場所である。石垣島は新しく暮らし始めた新鮮な場所だ。どこででもそれなりに暮らせる自信はある。小田原の舟原は車がなければ暮らせない、箱根東斜面の山の中である。石垣は歩きだけで暮らせる街中である。この違いはずいぶんに大きいというのが今の印象である。小田原でも街中で暮らしている人と、山の中での暮らしでは違う。だから私の場合、老人でも便利に暮らせる場所を探して、一番好きな石垣島に行くことにした。これ以上先では引っ越しは不可能になる年齢である。70歳前にギリギリの選択をした。もう少し遅れれば、石垣で暮らしていることをよく理解できないかもしれない。離島の暮らしだから、不便だというようなことは、石垣島では全くない。物がこんなにあふれていて大丈夫かと思う程商品は豊富だ。世界中の人が街を歩いている。レストランの多様なことには驚かされる。地元の情報誌もいくつもある。素晴らしい、八重山毎日新聞もある。

一昨日、Tさんご夫妻が舟原の家に来てくれた。11年前、石垣島から箱根に移住された方だ。私とまるで逆をたどっているという事で、紹介してくれた人がいたのだ。Tさんは私が石垣島で知り会った方々皆さんと親しい知り合いだという。当然かもしれないが、やはり驚いた。玉那覇酒造さんも、石垣設計室さんも、よくよく親しくされている方だというのだ。田んぼをされている、新城さんもご存じのようだった。すぐそばの幼稚園の角を曲がったところにある、角家がお母さんの出られたご実家だというお話で。もう少し早く知り合う事が出来たら、また違ったこともあったかもしれない。ここまで石垣暮らしが進んでから、出会えたという事も、何かの運命であり良かったと思う事にする。次の機会には、農業をされている方を紹介いただけることになった。温州ミカンと石垣島のことを聞かせてもらいたいと思っている。意外だったのは、鶏を飼っている家の話をしてもご存じないようだった。鶏というものは案外興味がなければ、気づかない存在なのかもしれない。

小田原に来ているのは農業をするためだ。みんなと続けてきた農業に、出来る範囲で加わってゆきたい。動ける間は来るだろうと思う。農業だから、あと何年やれるかはわからない。小田原の農業者の平均年齢は、何時になっても私くらいだ。だから、80になって農業をやっているとすれば、それはその頃の小田原の農業者の平均年齢は80に近いのかもしれないと、ウソのような馬鹿げたことを想像をしている。一方、石垣島の農業はどこか若々しい勢いがある。例えば、畳を先日2枚購入した。その本原畳店さんの息子さんは、石垣でイグサを栽培している。地域のイグサで畳を作りたいという真っ当な考えの持ち主なのだ。こういうことを考える人がいるところが、すごい場所だと思う。そういう畳の上に石垣では寝ている。こんな幸せな場所はないのではないか。食べたいものがすべてある場所。まともな卵が売られている幸せな島。

先日、牛の専門家である兄と石垣牛の話していたら、南の島で肉牛の放牧が可能になったのは、新しい薬が出来た結果だと教えられた。南の方では家畜の伝染病もいろいろ起きてちょっと前までは成牛の放牧は不可能だったという。それに対応できる新薬が出来て、南の方でも牛の放牧が可能になったと言っていた。日本人の作った薬だと言っていた。一年中青草があり、放牧が出来るという条件は、病気さえ克服できれば最高の場所だと話してくれた。昔は北の岩手とか北海道の夏だけ。高い山の上とか涼しい気候の放牧地だ。石垣牛が良くなった餌の話など、さすがに詳しく教えてくれた。石垣の畜産はいろいろの意味で有望だ。有望な農業地域は、農地が有効に使われて生き生きしている。そうした農業が景観を作っている。この傾向は私が行きだしてからでも、年々動いている。石垣5万人が食べるお米の量は、2毛作で賄うとして300ha位かなと計算した。現状320haと出ているから、バランスはとれているようだ。小田原の田んぼと似たり寄ったりの面積。農業者数は1132名とある。稲作をやっている人は300人くらいとすれば、一人1ヘクタールになる。

小田原暮らしもあと1週間になった。

 

 

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