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年賀状の制作

2006-12-21 06:59:04 | 水彩画
毎年今頃になると年賀状を書く。400枚ぐらいは出す。水彩画を描く事にしている。住所やそのほかは全て、プリンターで印刷し、その代わり、絵の方は出来る限り手をかける事にしている。下描きが終わったところだ。これもプリンターで行う。

今年の図柄は猫だ。猫が庭に寝転んでいるところだ。猫の前には池があるようにしたい。猫の周りの草は、みどりの強い澄み切った、勢力旺盛な夏草にしたい。池には空の雲が映っている、のもいいと思っている。猫は寝転んで手招きしている。どの猫になるかがまだ決まっていない。

6匹の猫が居る。それぞれの事情があって、6匹の猫になった。どの猫も外には出していけない事になっている。家の中に6匹の猫がいると言う事は、猫小屋に人間が住まわしてもらっているようになる。理解できない箱とか、布とかが、櫓とかが、あちこちに据え付けてあって、邪魔だからと言って片付けるわけには行かない。

最近は、アニマルコミュニケーターとかがはやりで、猫と語れると言うのだ。電話で相談すると。猫がなんと言っているか教えてくれるのだそうだ。一回猫の話を聞くのに、3000円かかるそうだ。全く不思議な商売だ。猫語翻訳機と言うのも一時でたようなので。猫を飼っていながら、猫が何を考えているか分からないという、観察力の無い人が増えていると言う事なのだろう。

これは猫だからいいようなもので、子どもが何を言っているか理解できない、お父さん。生徒の言葉が理解できない、学校の先生。市民が何を言っているか理解できない、議員さん。言葉が通じない事はいくらでもある。翻訳機を使ったところで、何も伝わるわけではない。「今のニャーゴは、僕の事もう少し気にして。と言う事です。」などと言われて。一体どうしようと言うのだろう。

百姓は観察力だ。これは皆が等しく言うところだ。洞察力と言う方が近いかもしれない。言葉になりにくい為、技術にならずに、技になってしまう。実は絵画のおもしろさもそうなのだと言う話だ。猫が、何処まで洞察できているか。この面白さだ。猫を通して世界が何処まで見えるかが面白いのだと思う。絵と言う方法はこの辺が、実に良く伝わる方法で、言葉などに頼ってのコミュニケーションよりはるかい直接的だ。

ところが絵画にも翻訳機がいる。一向に理解できない人も多いい。これは描くほうの問題よりも、猫語を理解できない人間のほうに問題がある、場合が多々ある。言葉にできないことを描いている。言葉にしないと、言葉以外のことは無いと考えているような人には、何も伝わりはしない。ところが、マチスの一枚の絵から、それは多様な、限りないメッセージが伝わる。描かれていれば、伝わる人には伝わる。

そういえば美術館でも、ガイドのイヤホーンを聞きながら、絵を見ている人がいる。たぶんあれは、絵の翻訳機なのだろう。絵画において、説明をしなければ伝わらないような、ものが在るとするなら、それはどうでもいいことだろう。絵はすごく簡単な物でありながら、難解な物だと思う。それが絵の面白さで、肝心な物はすごくシンプルであり、全てであり、全体性なのだと思う。高等数学をいくら説明の上手な先生に教えていただいても、理解できる訳が無い。

年賀状を描くのを、毎年すごく楽しみにしている。大したことが描けるわけではないが、私なりの事が、描けるよう全力であたれる。そう言う事があるのがうれしい。
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2 コメント

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こんばんは。 (街中の案山子)
2006-12-21 23:09:48
夫が少しの土地を借りて、家庭菜園程度の畑をしているのですが、マンションを建てることになり、急遽明け渡しを言い渡され、11月下旬に、次に借りた畑に野菜の移すことになり、レタスやらワケギの引越しを手伝いました。少し遠くなったこともあり、2週間ほどあとで、便利なように狭い我が家の庭にもレタスはやってきました。夫が、言いました。キミが移植した新しい畑のレタスよりも、こっちが元気がいい、と。
キミは、畝にきちんと植えようとして、植えてくれたけれど、新しい土地に根付いてくれよ、との声掛けの気持ちがなかったのでは…。言われてみれば、運んだレタスを手際よく植えることだけを考えていたのは確かです。庭のレタスを見るたびに、夫の台詞がチクリとよみがえります。
あんまり関係ないコメントになってしまいましたね。ゴメン。

案山子さんへ (笹村 出)
2006-12-23 07:12:19
いつもブログ読ませていただいています。
野菜に声を掛けるというのは、いいですね。
種をまいた後、手で押さえるのと足で踏むのでは、発芽が違う。こう言った、人がいます。
私は足で踏みます。面倒という訳でなく。
そのぐらい強く抑えたほうがいいと思うからです。
種には、足より手のほうが、ありがたいなどという、
狭い考えは無い。とうそぶいております。
だからダメなんだと、みんなに言われています。
確かに、上手くできません。

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