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命懸け (随感録(浜口 雄幸))

2011-06-18 00:21:52 | 本と雑誌

Hamaguchi_osachi  浜口雄幸(1870年5月1日-1931年8月26日)、「ライオン宰相」と呼ばれ、大正から昭和初期の激動期に大蔵官僚・蔵相・首相と数々の重職を勤めた政治家です。

 一国の指導者の器が本当に小さくなってしまった今日、銃弾に撃たれながらも「男子の本懐」と語った覚悟に、改めて、重く尊い気概を感じます。

 本書は、その浜口雄幸氏の自伝であり遺稿集です。
 巻頭の「自序」にはこういう言葉があります。

(p3より引用) 題目を選ぶ時には、主として、修学時代の学生の精神修養上の一端ともなろうかと思わるるものを選んだ積りである。従って、極めて幼稚にして、意義に乏しいものが多く、直接国家に貢献する所は極めて尠少であろうと思う。尤も、中には、成学の士、特に世上の政治家の一読を煩わしたいと思うものがないでもない。此等の人士にとって、処世上万一の参考ともなれば非常なる仕合である。

 ここにある「学生向け」のメッセージとして代表的なものを、「青年時の回顧」と題した項からまずご紹介します。

(p29より引用) 世の中には、大志を抱きながら殆ど何等の努力を為さずして、自己の性癖のままに振舞うものが尠からず見受けられる。殊に近時の学生に至っては、その弊が最も甚しいのではないかと思う。
 要するに、余は、修養こそは人物を創造する唯一の途であると信ずるのである。

 我が身を省みても、学生に止まらず広く人たるものに向けた言葉です。真摯に受け止めるべき浜口氏の信念だと思います。

 ところで、巻頭において浜口氏は、政治に関する話題は他の歴史家に譲ると記しています。が、やはり、本書のそこここに政治・政界の回想が登場します。
 たとえば、第三次桂内閣総辞職以降の二大政党制の黎明期、浜口氏が在野にあったころの言葉です。

(p35より引用) 妥協又は情意投合政治の別名を有する官僚政治は、茲に終焉を告げて、二大政党対立に依る責任ある政党政治の発達がこれから始まらなければならぬ。

 当時も官僚主導 vs 政治主導の確執があったようです。ただ、浜口氏の考えは、健全な二大政党制の機能を政治主導の要件と見ているように思います。そういう理想を追求する姿勢も含め、浜口氏は、自らの確固たる政治哲学に従った真っ直ぐな政治家でした。

(p54より引用) 余が一つも趣味道楽を持たぬ所から人は言う、政治は浜口に唯一の趣味道楽であると。余謂えらく、政治が趣味道楽であってたまるものか、凡そ政治程真剣なものはない、命懸けでやるべきものである。

 さらに、こう続けます。

(p54より引用) 苟も政治は趣味道楽であると言う思想が一片たりとも政治家や国民の頭脳に存在する以上は、それが戯談でない限り一国の政治の腐敗するのは寧ろ当然である。・・・世間或はこんな謬見を懐いて唯趣味道楽の為に政治を玩んで居るものがないとも限らぬと思うから、特に一言を費す次第である。

 浜口氏の火を噴くような想いが伝わってきます。
 「政治は命懸け」、この言葉は昨今の政治家の口からも発せられます。が、浜口氏の断固たる構えと比較すると、その覚悟の真剣さには天と地ほどの差があります。
 将に今、浜口氏が叫ぶ言葉の重さ・尊さを思い返すべきだと思います。


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