昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

春暑し

2018-04-16 00:00:05 | 俳句

大分前に、新聞も読まなければ、テレビも見ないと書いたが、新聞はさて置いて、テレビを見ないのには理由がある。
テレビでは、スポーツ実況、落語、音楽などを演っていて、オカブはそれらに興味がある。
しかし、もはや、それらをテレビで観ようなどとは思わない。
スポーツはテレビで見ては駄目だ。
オカブは、もともと点を取り合うスポーツが大嫌いで、だから登山などという、点とは関係のないことを趣味としてきたのだが、まぁ、野球くらいは昔はテレビ中継を見ていた。
しかし、10年ほど前に、実際の球場でプロ野球を観戦して、もはやその気が起こらなくなった。
実地で観る野球は凄い。迫力が全く違う。
昔から、運動音痴で、野球の技術や、攻守の戦略など、からきし分からないのだが、広い球場で、周りの熱い声援を聴きながら、ビールを飲んで観る野球はぞくぞくするほど興奮する。
また、野球でなくとも、大昔に陸上競技を国立競技場で観戦して感動したことがある。
眼前で展開する競技は、リレーや、棒高跳びや、走り幅跳びなど地味なもので、オカブは、それらの記録にも技術にもルールにも全く知識がないのだが、一流の選手が競技するのを、メディアを通さないで、自分の目で見る興奮は、野球に通じるものがある。
落語鑑賞は、もうテレビなど問題にならない。
噺家の噺の機微、そして噺し終えて高座を降り、袖に引き上げていく威風堂々とした様は椅子からのけぞるほど圧倒され、実際に寄席で観なければ分かるものではない。
オカブは寄席に行ったことはないが、落語鑑賞会を、区民センターで一回見たきりだった。
これは二つ目くらいの新進落語家の発表会のようなものだったが、それでも、その物凄い迫力に度肝を抜かれたものだ。
それ以来、落語をテレビで見ることはない。
金があったら、是非、寄席に行ってみたいものだ。毎日でも・・・
音楽に関しては、さらに輪をかけてテレビの出る幕はない。
そもそも、テレビでなくとも、オーディオを通しても、それは邪道だ。
クラシックにもポップスにも共通している。
ポップスファンなら、ライヴでの興奮を忘れることはないだろう。
クラシックに至っては、テレビ・オーディオを通しての、音色やニュアンスは、あれはまがい物である。
CDを買う金があれば、代わりにぜひ演奏会に行くべきだと思う。
偽らざる「本当の」音楽がそこにはある。
ニュースは・・・(これは実際に現場に立ち会うことは不可能だが)これは、もうテレビは問題外の存在だ。
ネットで様々な観点からの切り口を参照しながら、事実を解釈していく、核心をえぐり真実に迫るアプローチは、もはや現代ではテレビの一面的なセンセーショナルな煽りのやり口を凌駕してしまった。
テレビが不要とは言わないが、その「疑似」迫真性は、現在では逆に時代遅れのものとなった。
やはり、今のオカブにとって、テレビは無用の長物である。

非正規の職失いて春暑し   素閑

老駅員春の暑きに紺上着   素閑

潮騒の浜の観音春暑し   素閑

火と炎深山の修験春暑し   素閑

飛行機雲はやふ乱れて春暑き   素閑

京に来て葛切りさがし春暑し   素閑

晴れの日や襟もと濡れし春暑き   素閑

午後のバス詰襟生徒春暑し   素閑

春の宵暑きひとひの酒を乾す   素閑

老母連れ浅草まどひ春暑し   素閑

伝票のおほきを嘆き春暑し   素閑




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