イザヤ書6:8
『私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」』
アダムとエバは罪を犯した後に、神から離れて隠れていました。
神の目には彼らがどこにいるのかすべて見えました。
しかし神は敢えて人に呼びかけ、こう言いました。
『あなたはどこにいるのか』
神からこのように言われるのは悲しいことです。
神との関係が良い人ならば、わざわざ隠れるでしょうか。
犯罪者として逃亡している人は、人目につかないように身を隠しながら生活しています。
毎日が不安な生活だと思います。
しかし神との関係が良い人たちは態度が違います。
その人たちは少しでも神に近づきたいので、神を求めています。
主の声を聞きたいので耳をいつも傾けています。
彼らは主の声を聞くと反応します。
主は彼らの名で呼びます。
名前が呼ばれると彼らはこのように答えます。
『はい。ここにおります』と。
いつも主と共に歩むのですぐに答えます。
神に仕える働き人は少ないです。
その理由は、人々が神の働きに関心がなく、みんな自分の働きに忙しいからです。
イザヤは神との関係が良い人でした。
彼はすぐに『私がここにおります。私を遣わして下さい』と申し出ました。
多くのクリスチャンは、主に用いられることを願いますが、いざ主が使命を与えようとするならば、色々と言い訳をして、その使命を断ります。
口では神に仕えたいと言いますが、心の中には自分の計画でいっぱいです。
主の声を聞くならば、『ここに私がおります』と言えますか。
【関連聖句】
出エジプト記3:4
『主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります」と答えた。』
《 3分バイブルボイス 》