ゆーり&てつ 兄弟の自活日記

地域での兄弟の自活日記です。

考えましたね

2009-11-20 10:43:08 | 日記
ゆーりーは泣き虫さんで思っていることの50%も話せないうちに大粒の涙の洪水となってしまいます。

11月15日から右肩の痛みを訴えていましたが、おばさんに千年灸をやってもらい楽になったと言っていたのだが、悪化がすすみ、手が上がらなくなってきた。

このことを訴えるに自分では泣き出してしまうと考え、メモ用紙に書きつづり朝渡してくれました。

内容は夜中、痛くて眠れなかったというもので、痛い痛いと唸っていたそうです。

考えたね。

これも一歩前進と言えるのでしょう。

午後近くの整形外科で診察を受けると要は「四十肩」とのことでした。

ヒアルロン酸の注射に痛み止めが入り、しばらく週一の通院となりました。

要は38歳のゆーりーもいよいよおばさんの仲間入りということなのです。
ゆーりーはしょげていましたけど、現実は避けて通れないものです。

年を重ねるということが徐々に解っていくことでしょう

はじめまして

2009-11-08 10:39:30 | 日記
2009年9月5日、ゆーりーとてつ兄妹の母親が病で入院先の病院で他界しました。

父親はすでに他界し、全くの2人きりになってしまいました。

この事態に備えて、市役所の障害福祉課のカウンセラーの皆さんをはじめ、支援支援センターの担当員の方々、ヘルパーさんたちと話し合いを続けて、生まれた地域で生活することに踏み切りました。

行政は縦割りといいますが、この事態に対して、とりあえず緊急避難として、桑名市内の入所施設に手続きを取り始めていたのです。

この兄弟とは私が障害者の世界に入った頃からのとても付き合いです。

品物のように右から左へと機械的に動かされようとしている行政のなされように
心底腹がたち、強く抗議の意を示し、何とか地域で暮らして行けるよう「それなら」と腕をまくりあげてしまいました。

福祉行政をいじめてしまいましたが、やはり力をお借りしなければ立ち行かないのは当たり前ですので、地域での自活に援助していただけるシステムは最大限していただけるよう知恵と活用を提供していただきました。

まず食事の面はヘルパーさんに1日おきに一緒に料理をする援助してもらい、翌日の夕食分を冷凍保存として作ってもらうことになりました。

私どもの施設が幸いにショッピングセンターの中にあるものですから、大型薬局もあり、スーパーもあり、クリーニング店もありの恵まれた環境にあったので、
ヘルパーさんが日常生活の必需品が切れそうになるとメモしてくれ、それを2人が
帰りに買っていくということも案として出され、今では欲しいものまで(カップラーメンとかたまごとか)買い物していく成長ぶりです。

調理器具はITに母親が入院する前に変えてもらってありました。
それで朝食時にたまご焼をしているとのことです。

通所日の昼食は当施設は野菜たっぷりの私の賄い料理がありますので、心配なし!

施設長の私、自慢ながら調理師の免許ありで、500年の続いた老舗の観光旅館
の娘でして、大勢様の料理は大得意とするところでございます。ハイ

以前はお弁当を持参させていましたが、油物が多く、野菜中心の料理に心がけております。

お陰で、風邪をひく者が大分減りました。

話が脱線しましたが、さらにこの自活にプラスが加わりました。

母親の2人のお姉さん、ゆーりーとてつにとっては叔母さんとも話し合いを続け、
成年後見人になっていただけ、週に2回ほど身の回りの世話に来てくれています。

長女叔母さんの息子さんの就職先がここ桑名というラッキーが重なり、用心棒をかねての同居をお願いしました。

行政の力でどうにかスタートしました。

親亡き後、地域で生きていくことの大変さ、今兎に角挑戦が始まりました。

「ゆーりー」と「てつ」の自活日記これから続けていきたいと思います。
壁に突き当たったらアドバイスの程、お力を貸してください。