暖かい日でしたネェ~! ドコに行くにもヤッパリ晴れだと気持ちがウキウキしますね
予定は旧い知人の見舞いと、ヤットコさ! 『くんちゃん卵』の支払いと受け取りで~す
道順的に、先ずはお見舞いからなので~ 昼から行くことにしました
オバちゃんは元気でした ズ~ッとしゃべりっぱなしで、相槌を打つのがヤットです
物覚えが良いので、何を訊いても次から次へと即返事が返って来ますょン
チョウド40年前の27・8才頃、4畳半一間の独身用社宅から1軒家に越した左隣が桑原さんで、
右隣が牧原さんでした。
今年の年賀状に「おーい、店の地図を送れ~」と書いてあったので、正月明けに封書で送ったら
スグに店に来てくれたのですが・・・、ちょうどカーブスへ行っている時間だったので~
とうとう会えず終い ザンネンでした。
牧原さんは4才下で、当時、男の子を生んだばかり スグに友だちになりました
長男3才・長女2才なので、話は合いました
桑原のオバちゃん宅は、子供好きのオジサンと娘2人の仲良し家族でした。
ある時、子供を預かるというパートに出たら「未だ年端もイカン子を、そがァにしてまで~」と
いつに無くキツク意見されたコトがありました
それからは タイプを打つ内職をしたのです。
夏の夕食時に窓を開けっぱなしにして食べていると、夕涼みがてら覘いては 話し掛けて
長閑な時代でしたネ。
毎年、年賀状は牧原さんと交わしていましたので、子供たちの成長は知っています。
トイザらスでバッタリ会った時は 孫を見せ合いましたねぇ
その彼女から 「オバちゃんが入院している」とメールで知り、オドロキました
入退院を繰り返していると言うので ソリャぁ早ぅ、顔を見に行かにゃ~というワケです。
「肝臓が悪い」と言われ治療をしていたら、骨折で他の病院へ行くと「腎臓が悪い」ということで、
検査の結果「週3回、透析を受けている」という。
「どうして、アパートから遠いコノ病院なん?」と訊くと長女の傍だから~と言うコトでした
「オバちゃん何才になったん?」と言うと、「もう81で~」と。
あの頃は41才だったっていうこと 若かったんじゃね?
アソコには1年半ぐらいしか住まなくて、瀬野方面に家を買って引っ越したんだった
「77才まで牡蠣打ちをしとったんじゃヶ」と、自慢らしげに語るオバちゃんです。
オジちゃんは45才の若さで亡くなった ダケド、気丈なオバちゃんは娘2人を立派に
育てあげた。
前の公園では、子供たちがソフトをしていたね~ 子供の声が響いていた。
ナツカシイですね 皆、年を重ねて40年が経った。
「タマにはお茶でもしようや」と話をしている処です
岩国の白蛇です。
よ~く 拝んできたので、金運はアップ でしょう。