闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

やらなければならない時もある

2015年06月09日 21時36分44秒 | Weblog
私は、集団的自衛権には賛成だし、憲法第9条も改正して自衛隊を日本軍に格上げして、
更に周辺有事に備えるべきだと考えていますが、
今日のテレ朝ニュースの記事にあるように
「学者の言う通りにしたら平和が保たれたか」高村氏
という考えは大変危険だと思います。 まるで戦前、軍部が暴走したのと同じ論理だ。

確かに、机上の論理だけでは平和は維持できないし、
平和を守るには、武力行使も必要である事は間違いない。
大体、平和とは戦って勝ち取るものですから。 神から与えられるものじゃない。

しかし日本も民主国家、学者は学者なりに民意の一つとして結論を出した訳だから、
それを一蹴するような高村氏の発言は見逃せませんな。

今日のヨミウリオンラインの記事では
政府「集団的自衛権は合憲」…論理的整合性保つ
と、苦しい言い訳をするくらいなら、一層の事、憲法改正をやれば良いのに。
国民投票したら国民の反対に遭うと思っているのでしょうか?

まぁあまり周辺国の脅威を宣伝されても困りますが、
平和ボケしているよりは、まだその方がマシだと思いますけどね。

ノドンや東風が、日本の大都市にロックオンしているのに、
いまだ日本人がボケた議論をしている事に、あきれて開いた口が塞がらん。
これは、強盗に鉄砲を突きつけられているのに
「私は無抵抗だから、仲良くしましょう」と言っているのと同じだ。

それに友人が暴行を受けているのに、「集団的自衛権を行使しない」というのは、
明らかにおかしいし、自分が暴行を受けている時だけ
友人に「集団的自衛権を行使して助けて」というのは、ムシが良すぎるだろう。
友人は私のゴタゴタに、身を挺して助っ人に入ってくれるのに、
友人がゴタゴタに巻き込まれたら、知らぬ顔か?!
そんな事、人として人間として許されるのか?

日本人は平和ボケした頭では無く、今でも拳銃を突きつけられているという意識で
もっと賢明に判断しなくてはならない、と私は思います。
勿論、私は戦争には大反対ですが、やらなければならない時もある。


今日目についた記事:
 ・「植民地支配」「おわび」明示を=70年談話で村山・河野氏
  あんたら、言論の自由が保障されていてよかったねーーーーー

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 全く日本国民は何と甘い考えの集団や

今日読んだ本:
 一億人の英文法