故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

台風接近

2012年06月19日 16時00分12秒 | 日記

今日は台風の影響か昨夜からの雨が降り続いている、であるから朝の歩きは中止になり6時半までぐっすりと寝た。朝ドラを見て、またまた先輩を誘っていつもの喫茶店へ、たいがいが老人会の集まりのような店である。台風で暴風雨警報が出てるけど、店内は我々が入ると満席。ホットコーヒーのみ、周りみんなモーニングサービスを注文しているが、朝食をしっかり取っているのでコーヒーのみ。なんと男二人で2時間よく話が続いたものだ。ママさんも気を使ったのか・はたまた早く帰って欲しいのか?棒アイスやお茶のお代わりを持ってくるが、粘りに粘り11時40分まで。帰宅後はすぐ昼食だった。

午後は奥方が病院へ行くので運転手でと、最近は運転手が多くなってきた。膝が痛い痛いと整形外科へ。病院前で降ろした後は図書館へ、駅前地下駐車場は1時間無料だ、その上図書館で駐車券を出すとまた1時間無料に、合わせて2時間が無料になる仕組み。今日はトラベル本と高杉晋作を読んでみた。前回ほとんど読んでいたのですぐに終り。3時半に迎えに行き真っ直ぐ帰宅。夕方から今夜にかけて台風4号が接近するので家の周りの見回りを。4号の後、すぐまた5号がこっちへ向かっている。田植えを予定しているが植えられるのかなぁ。

ってな事で今日はこの辺で、じゃ~またネ


田植えの準備

2012年06月17日 18時07分35秒 | 日記

 

今日は、4時に目が覚め外を見ると、細い雨が。ダメだ歩けないと、また布団に潜りこみ6時まで寝てしまった。

日曜なので朝ドラもないので、新聞を念入りに読んだ。後は畑を見たり、近所をうろうろした。

午後は2時ごろになって、やっと水が入ったので代かきをした。やっぱり曇っていても暑いね。3軒で1台のコンバインを共同で使っているので最後の人は片づけをしないといけない。  洗車・燃料等の確認等を終えて倉庫に入れた。汗だくだったので即風呂に出ると6時過ぎていた。2反ばかりの田んぼなので早いもんだ。たぶん田植えは20日か21日頃になるだろうな。台風が心配だ。

って事で今日はこの辺で、じゃ~またネ


若者言葉に???

2012年06月15日 17時56分17秒 | 日記

今日は天気予報のとおり夕方から雨になった。

いつも通り朝の5時から歩きに出て丸亀城を1周して帰ってきた。週刊予報では今日の夕方から雨が降り出し1週間は雨との事。歩きもしばらく休みになるかも? 

午前は昔の職場の先輩とコーヒーを、しばらく話して帰宅。

新聞に目を通していると最近の『若者言葉』の記事が、以下は代表的なもの。

自己警備員=引きこもり、家で誰ともかかわらずにいた。

      「昨日何してた?」「自宅警備員してた」

PK   =パンツが食い込んでるの略

      「満員電車でPKになると困るよね~」

おこ   =怒っていると軽い感じで言う。

      「おこです」

与謝野る =ヘアスタイルが乱れている様子

      与謝野晶子の代表作「みだれ髪」から

      「すごい風だったから与謝野っちゃった」

田植え  =つけまつげを部分的につける

      「今日の田植えうまくいった」「ほんとだ。時間かかるよね~」

説明がなければ分らない単語???、最近の若者が使っているらしい。私たちの団塊の世代人には何の事やらだ。

午後は、一人で観音寺へマテ貝を取に行ってきた。以前行った時よりは要領も分っているので取るのに時間はかからなかったが雨が降り出し、途中で中止に。当然の如く夕食にはマテ貝のバター焼きがテーブルに上がっている。

今日は何の日は無と言う事で、今日はこの辺で、じゃ~ネ


当てもなくドライブを

2012年06月14日 18時20分46秒 | 日記

今日の歩きのコースは田んぼ経由丸亀城だった。だからお城の周りは歩かずに搦め手橋を折り返して帰った。午前中は奥方の運転手で買い物に、午後になると当てもなく、目的もなく琴南までドライブを、この辺は全て田植えが終わっている。苗もずいぶん伸びている。以前琴南の知人から聞いた話だと、ゴールデンウイークが田植えの本番だとか。同じ香川県でもずいぶん違うんだ。丸亀ではまだ水も入っていないところがあり来週あたりが本番になりそうだ。

で、事で今日は何の日は、孝明天皇が生まれた日だ。

孝明天皇は天保2年6月14日(1831)に生まれた。明治天皇の父である。

孝明天皇は攘夷の意思が強く、異母妹・和宮を将軍・徳川家茂に降嫁させるなど、公武合体運動を推進し、幕府の力による鎖国維持を望んだ。家茂が上洛してきたときは、攘夷祈願のために賀茂神社や石清水八幡宮に行幸している。長州藩には嫌悪の念を示し続けた。この嫌悪感については「孝明天皇記」に記録された書簡に明記されている。それらの態度は、第二次長州征伐の原因にもなった。

では、この辺で。じゃ~またネ


温度の変化が激しい

2012年06月13日 18時15分42秒 | 幕末史

今日は昨日よりずいぶん気温が上がって、予報では28度とか言っていた。

昨日は寒い位で長袖に着替えた位だが、今日は少し動いただけで汗が出てきた。

午前中は、宇多津・坂出と買い物等の足となり車を走らせた。午後はくそ暑い中畑をしていたが、汗がダラダラ落ちてくる、4時ごろまでは休憩しその後日陰になっている畑に入り草抜きや肥料やりなどで夕方6時まで汗を流した。

 

それで今日の何の日は幕末ではないけど

慶長20年閏6月13日(1615)江戸幕府が「一国一城令」を布告

一国一城令は徳川秀忠が発令したが、立案者は徳川家康であった。その内容は、一国に大名が居住あるいは政庁とする一つの城郭を残し、その他の城はすべて廃城にするというものである。

 又、山崎の合戦でもある。

天正10年(1582)6月13日、山崎(現在の大阪府と京都府の境)で、豊臣秀吉と明智光秀は戦い光秀は破れ、敗走の途中、土民に殺された。

6月2日、光秀は織田信長を京都本能寺に攻めて、自害させた。

『光秀の三日天下』と言われるが、本当は『12日間の天下』だった。

って事で、今日はこの辺で、じゃ~またネ