放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

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JR西日本尼崎脱線事故 報道されなかったもう一つの真実

2008年12月15日 02時45分58秒 | Weblog
2005年4月25日に発生したJR西日本尼崎脱線事故は、死者107人、負傷者500人を超える日本鉄道史上有数の大惨事となった。これに対し、事故発生後のJR西日本の対応はお粗末を極め、二転三転する発表内容、責任逃れ、官僚答弁、そして、隠蔽体質と事故発生時の情報開示のあり方が問題になった。
しかし、同時に報道のあり方にも多くの課題を投げかけた。悲しみに暮れる遺族を大勢で取り囲む取材や、会見での行き過ぎた質問は批判を浴びた。個人情報保護法をめぐっても、新たなあつれきが起った。

「線路上に石があった」事故発生2時間後の不信

◆JR西日本尼崎脱線事故

事故は、2005年4月25日午前9時18分頃、兵庫県尼崎市久々知のJR福知山線尼崎~塚口駅間で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約580人、高見隆二郎運転士(23))の前4両が脱線し、先頭車両が線路脇のマンション1階にめり込む形で激突。死者107人、負傷者500人を超える大惨事となった。

◆4月25日 事故発生直後の記者会見で何が語られたか

JR西日本は、事故を起こした4月25日から連日、大阪市内の本社会議室で会見を開いた。横一列に10台ほどのテレビカメラが並び、新聞、テレビ、雑誌記者が会場からあふれ、一時100人くらいに膨れ上がった。
最初の会見は、事故発生から約二時間後の午前11時15分。
JR西日本は、車との接触事故として発表するなど、事実確認さえもできていなかった。まだ車内に閉じ込められている乗客も相当残っており、死者、負傷者とも増える恐れが有るとされているなかで、この重大事故に対する記者会見が行なわれていた。さらに、犠牲者の数が次々と増えるにつれ、会見は異様なムードになっていった。それは、まさにJR西日本への不信の序章となった。なかでも、捜査途中を理由に他の説明を拒みながら、「線路上に石の粉砕痕があった」と、早々に置き石の存在を、写真まで用意して示唆する発表をしたことは、被害者、遺族、救助関係者、取材する記者たちの感情を逆なでした。
後日、この摩滅した石の成分は線路内にある小さな敷石の成分と同一で、故意に線路外から運ばれて置かれた大きな石ではないことが実証される。

報道されなかった記者会見の真実

◆4月26日「ため息」

事故発生の翌4月26日、多くの乗客の目撃証言よりも車掌の証言を採用して公表したオーバーラン距離は、車掌が運転指令に虚偽報告をしていたことが明らかになった。その記者会見では、JR西日本の三浦英夫運輸部長が「もっともあってはならない…」と表情険しく、ため息をつく。さらに、昨年、橋やトンネルなど地上設備の点検記録を改ざんしていたことが相次いで発覚した。保守管理部門の深刻なモラル低下が、運転部門にも波及していた。という、事故と直接関係のない周辺事情までが、ため息と共に印象付けられた。
この日、JR側が「積極的に情報を開示する」と言いながら、捜査への協力を盾に 説明しないなど、言葉とは裏腹に情報開示に消極的な姿勢が目立つようになり、記者会見でもJR幹部の発言訂正が相次ぐ。被害者から「JRは正確な情報をくれない」などの声が強まっていく。そのため、記者たちの取材意欲に逆に火をつける格好となった。

◆4月27日「紛糾」

「事件に予断を与えるような事実の公表は慎んでほしいと、県警と事故調査委から強い要請がきている」
 27日の会見で、JRの村上恒美安全推進部長が、三浦英夫運輸部長の説明に割って入った。それまで報道陣の質問に答えていた三浦部長は「私が類推して言ったまで。非常に誤解を招き申し訳ございません」とすべての説明を取り消した。別の質問で三浦部長が述べた発言にも、村上部長が「コメントできない。ご理解いただきたい」と打ち消し、その後の質問には押し黙ったまま。 このため村上部長は大半の質問への回答を事実上拒否。「なぜ言えないのか」と詰め寄る報道陣との間で約1時間半にわたり紛糾した。
 同じJR西日本が、記者会見で見せたチグハグな発言は、もっとも大きな隠蔽があるのではないかと不信を記者たちに与えた。

◆「事故現場からの逃亡運転手発覚」 5月3日

この日、事故車両に乗り合わせた運転士二人が、けが人を救助せず出勤していたことが判明。いずれも救助活動に加わらずに職場の電車区に向かい、通常通りに乗務していた。
鉄道本部長の徳岡研三専務は、3日の記者会見で、「救助にあたるのが当然だったと考える。誠に申し訳ない」と謝罪。2人をそのまま乗務させたことについては「点呼などで精神的、肉体的に乗務につけると判断した」と話した。さらに、乗り合わせていた電車が事故に遭遇した際の行動マニュアルはないが、社員には日頃から、異常事態に遭遇した場合は救助活動に加わるよう指導していると話した。是に対し、「運転士だけに責任を押し付けるのか」と労組が猛反発。翌日、うち1人は電話で、職場の上司に快速に乗り合わせていたことを報告したが、上司は事故現場に戻るよう指示しなかった。「報告を受けた上司が出勤を指示していた」と修正するなど、迷走を続けた。
だが、27歳の運転士は「気が動転していた」と釈明したが、この日の勤務は午後2時9分から。遅刻の心配はなかったが、実際には、午前10時開会の橋本光人・同社大阪支社長の講演会に出る予定だったことも分かった。

◆5月4日「事故当日のボーリング大会発覚!」

4日、事故後に定例となった記者会見が午後5時から開らかれた。席上に座ったのは村上恒美・安全推進部長と三浦英夫・運輸部長だった。2人は脱線した快速電車に乗り合わせていた運転士2人がそれぞれの上司と携帯電話でやり取りした内容や、社内調査に対する証言の中身について発表した。しかし、両部長が推測をまじえて説明するなどしたために会見は中断。再開は、午後8時15分、大勢の社員が証言内容の確認に走り回った後、再開された会見でA4判の紙3枚が配られた。「まだ時間があるので、遅れないできてください」3枚目の最後に運転士に定刻出勤を求めた上司の言葉が記載されていた。 

◆読売新聞 某記者はなぜ怒鳴ったのか?

※けっして“某記者の暴言”を擁護するものではないが、その暴言に至るプロセス

4日の会見は、五日未明に及んだ。脱線事故を知りながら車掌らがボウリング大会を開いていた事実をテレビ朝日の報道ステーションがスクープ。JRは調査していたのに公表しなかったことで紛糾した。JR西日本を糾弾するトーンに変わっていった。「あんたたちは、ちゃんと仕事してるんか!」。記者が声を荒らげる。厳しい質問攻めには「記憶にございません」。不誠実な答弁を繰り返す徳岡研三・鉄道本部長に、取材陣はいら立った。
事故直後のJRの調査の際に「垣内剛社長は一緒にいたのか」などの質問が出ると、再び「記憶にございません」とし、型をはめたような答えに終始した
「どのつら下げて遺族を回ってるんや」。読売新聞記者が発言した。
 後に、この様子がテレビや雑誌などで報道されると、批判が噴き出た。「どう喝するような記者の姿勢は見苦しい」「JR西日本をたたけば読者が喜ぶという安易な記事になっていないか」などの意見が寄せられた。
この日の記者会見は、村上、三浦両部長は事実関係を認めて謝罪したが、「社長は遺族にこのことをどう説明するつもりなのか」と垣内社長の会見を求める質問が出て会見は再び中断。垣内社長が会見場に姿を見せたのは日付が変わった5日午前0時20分過ぎだった

個人情報の扱いめぐり生じた摩擦

 尼崎JR脱線事故は個人情報をめぐり、警察や病院、遺族とメディアの間でさまざまな問題が起きた。原因や責任を解明し教訓とするため、個人情報を社会全体で共有すべきとするメディア。四月の個人情報保護法の全面施行を受け、被害者のプライバシーをいっそう保護しようとした関係機関。両者が生んだ摩擦だった。妥当な取り扱いをめぐる模索が続く。

◆ 負傷者が搬送された病院には記者が詰め掛けた。

 関西労災病院(尼崎市)は、事故発生の4月25日の午後3時と26日朝に会見。約30人の入院患者のうち、報道への情報提供に同意した11人分の名前を公表した。それ以外は個人情報保護法の「第三者提供の制限」(23条)を理由に性別と人数にとどめた。
 対応に悩んだ県立西宮病院は兵庫県に問い合わせた。今回は「人命、身体、財産の保護のために必要な場合」という23条の例外規定に当たると説明を受け、公表に踏み切った。厚生労働省も県と同じ見解を示したものの、事故直後は混乱が起きた。

◆兵庫県警の匿名発表

 兵庫県警は今回、事件事故に関する広報で続けてきた「実名発表」の原則を、事実上覆した。実名、匿名の判断はメディア側が各自にするとして、県警記者クラブは従来通り実名で発表するよう再三申し入れた。しかし県警は「実名が公表されれば(県警を)訴えるという遺族もいる」などと説明。見直し要求を受け入れていない。 会見や発表は取材の一部にすぎない。真相や背景に迫るため、関係者を通じて日々事実を積み上げている。だが、被害者が「どこの、だれ」という基礎情報までが非開示となれば、取材への影響は避けられない。
メディアスクラム

◆遺体安置所での出来事

 四月二十五日から二十八日にかけ遺体安置所となった尼崎市記念公園総合体育館には、報道陣が二十四時間張り付いた。こわばった表情の家族や友人が姿を現すたびに、報道陣が一斉に駆け寄った。「どなたをお探しですか」「今のお気持ちは」。矢継ぎ早に質問が飛んだ。 事故直後だからこその不安、怒りがある。それをストレートに伝え、社会と共有する。遺族にじっくりと向き合い、寄り添えば、報道が遺族を支える力にもなる。 だが、混乱する安置所の囲み取材では、趣旨を説明することは難しかった。「あんたらに遺族の気持ちが分かるのか」。無遠慮な取材が不信感を生み、溝を深めた。
メディアスクラムをめぐっては、新聞、テレビ、雑誌など媒体ごとに対応している。発生三日目の27日、神戸新聞社が問題を提起。神戸に取材拠点を置く新聞社などの代表で構成する兵庫県編集部会が「メディアスクラムに発展しかねない過剰な取材がみられる」と確認し、各社が節度ある取材をするようアピールした。
事故の責任を追及するのにマスコミの役割は欠かせない。今回もJRの体質など、報道があぶり出した問題は多い。遺族と協力し、真実の解明と再発防止の努力ができるような関係を築くことができて、初めて、マスコミはその役割を本当に果たしたといえる。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
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1 コメント

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冷静に考えよう (まつみや)
2015-07-27 14:44:30
読売新聞社記者・竹村文之による暴言は否定できません。
それとボウリング大会は元々予定されていたもので事故には関係ないし
これが被害拡大というのはおかしい。
道義や倫理が先行しすぎるいかにも日本人的な思考。

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