・・・・・・朝倉義景(1533~1573)
朝倉第十一代当主・義景のお墓です。
朝倉敏景が一乗谷に城を築いて以降、五代・百余年にわたって栄かを極めましたが、天正元年、織田信長によって滅ぼされてしまいました。
元亀元年(1570)、織田軍による越前侵攻が開始されます。このとき信長の妹・お市を娶り、信長と義兄弟の間柄にあった近江の浅井長政が、従来からの同盟関係にあった朝倉家に付いたことによって撃退しました。
しかし、同年六月の姉川の戦いで浅井・朝倉軍は、織田・徳川連合軍に破れ、ついで天正元年(1573)浅井氏救援のため出陣しましたが、近江刀禰坂の戦いで大敗を喫し、滅亡への憂き目に合ってしまいました。
義景は、従兄弟・景鏡の治める大野に逃れましたが、信長と手を結んだ景鏡の裏切りに逢い、天正元年八月二十日、六坊賢松寺にて、自害して果てました。
『七顛八倒 四十年中 無他無自 四大本空』
朝倉義景の辞世の句と言われています。
帰り道、徳光PA・CCZ横の菜の花畑です。
時間もなかったので、信号待ちの間に撮って見ました。
2010. 4. 4
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