ひめはぎのはな

踏青。翠嵐。蒼穹。凛然。…爽やか、山日和。by sanpoiwa1736

上田城・・・徳川軍を翻弄した名城

2011-05-27 22:10:15 | 城砦.旌旗堂々

・・・・・・上田城

久しぶりに上田城へ寄ってみました。

天正十一年(1583)。真田昌幸が築いた上田城です。
立花宗茂、鍋島直茂と並んで、真田昌幸は大好きな武将の一人です。



尼ヶ渕から西櫓を眺めました。
江戸時代から現存する櫓です。



西虎口へ。



本丸の濠。
真田昌幸、築城時は堀と土塁中心の防備で、七基の櫓が造られましたが、天守は造られませんでした。



天正十年九月。真田家は徳川家に属しました。
そのころ、徳川家は北条家と和睦。関東は北条家の支配するところとなります。

真田家は、甲斐武田家に属していた頃、上野国に進出し沼田城を支配、それ以降、領地としていましたが、徳川家と北条家の同盟によって、家康は昌幸に、領地を北条家に引き返すよう命じます。

昌幸は家康の命を断り、越後の上杉景勝を頼ります。このとき、昌幸の次男・信繁(幸村)を人質として送りました。



天正十三年八月末日。徳川軍が上田城を包囲。真田軍三千に対して徳川軍八千余騎(一万騎とする資料もあり)。

閏八月二日。徳川軍は城下三方から総攻撃を仕掛けます。
徳川軍の先手が城壁にとりついた時、真田軍は城下に火を放ち、前後から鉄砲をそそぎます。狭い城下で混乱に陥ったする徳川軍に対し、昌幸自ら城から討って出て、敵を敗走させました。
さらに、敗走する徳川軍に、戸石城から出て待機していた昌幸の嫡男・信之が横槍を入れ、大損害を与えました。

閏八月三日。士気を高めるため徳川軍は丸子城を攻めますが、救援に駆けつけた真田勢に城を落とすことかなわず、佐久・諏訪の防備を固めて退却しました。




南北櫓と櫓門が見えてきました。
チョッと、木が繁茂しすぎですねぇ。



南櫓と櫓門。右に北櫓があります。



復元の櫓門。



真田石。いわゆる鏡石。

元和八年(1622)。真田家が上田から松代へ移封されると、仙石氏が六万石で入城。
寛永三年(1626)。仙石氏は幕府の許可を得て、上田城の修復工事に取り掛かります。
このとき、本丸・二の丸に石垣が築かれましたが、天守は造られませんでした。
寛永五年、城主・仙石忠政が病死すると、未完成のまま時は流れ、宝永三年(1706)藤井氏が五万三千石で入封し世襲して明治へ至りました。



井戸。



天正十四年十一月。秀吉は真田家ら信濃国の大名を徳川家配下と定めます。
信之は岡崎城へ出仕し、家康に仕えることになりました。

信之は、本多忠勝の娘・小松姫を家康の養女として娶り、徳川家と深く結びつき、幸村は秀吉の直臣となって、大谷吉継の娘を娶り、豊臣家と深い関係となりました。
関が原の戦いで、石田三成に与した宇田頼忠の子・頼次の妻は昌幸の娘です。

よって、昌幸・幸村父子は豊臣方へ、信之は徳川方の陣営へと分かれることになりました。



慶長五年八月二十四日。徳川秀忠率いる三万八千余騎は、宇都宮を進発。中山道を進軍し、九月一日碓氷峠を越えて、九月二日、小諸城に着陣しました。対して真田昌幸・幸村軍二千五百。

九月三日、降伏勧告が不調に終わると、九月五日、戸石城を信之隊に攻めさせます。
城を守備する幸村隊は、戦わずして上田城へと退却。徳川軍は労せず戸石城を手中にしました。

九月六日、徳川軍は上田城を包囲。城外の稲を刈り取らせます。
刈り取りを妨害するため城兵が討って出ると、その城兵を討ち取ろうと徳川勢が追撃。城兵は退却しながら伏兵の待機する場所まで誘き出し、一斉に要撃。

徳川軍が援軍を送り込むと、真田勢は城下に逃げ込みます。これを追って徳川主力部隊が城壁に押し寄せたとき、突如として真田軍が現れ、徳川本営を急襲。足並みが乱れると、城門が開かれ、鉄砲が火を噴き、背後から幸村隊が出現。徳川軍は混乱に陥り、退却を余儀なくされました。

秀忠率いる徳川軍は上田城攻略を諦め、関ヶ原へと木曽路を急ぎますが、戦には間に合いませんでした。



九月十五日、関ヶ原にて家康率いる東軍が勝利。

上田城は降伏。昌幸・幸村父子は高野山へと流されました。
徳川陣営に就いた信之は、父の所領を給し、初代上田藩主となりました。



西櫓からの眺め。埋め立てられたここに、千曲川が流れていました。



櫓門をくぐると真田神社があります。



茶室のようです。お隣にもう一つ。



兜松の説明文が書かれてます。



「打ち込みはぎ」による石垣と西櫓。



真田十勇士の幟が揚がってます。

一番奥に十勇士を束ねる真田幸村公の幟。
左は根津甚八。
真ん中は、大好きな海野六郎の幟。
信濃の名族・滋野一族の宗家である海野家の出身。幸村の名参謀です。



望月六郎。筧十蔵。由利鎌之助。穴山小助。三好清海入道。三好伊三入道・・・。
望月六郎と穴山小助も好きです。



こちらは人気を二分する、猿飛佐助と霧隱才蔵の幟。


2011. 5. 5