随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

社会的なヒステリーについて

2012-06-28 12:02:23 | 社会批評
 最近、報道などで、「絶対反対」という行動がクローズアップされている。

 「消費税値上げ 絶対反対」
 「原子力発電再稼働、絶対反対」
 「電気料金値上げ、絶対反対」
 「東北の震災ガレキ受け入れ 絶対反対」
 「普天間基地へのオスプレー配備、絶対反対」
 近くでは、「市民病院の移転建設絶対反対」

 ともかく、世の中に「絶対反対」の意見が多い。
 それぞれに立場が違えば、意見が異なるのはあたりまえです。
 それぞれが、それぞれの意見が言える、行動を起こせる自由は有り難い。
 しかし、反対意見があっても、民主主義である以上、多数意見に従わねばならない。

 ときとして、実力行使が行われたりする。
 震災ガレキの試験焼却のため、持ち込まれた車の前に立ちはだかり、
声高に叫ぶ人たちが居た。

「命が大切だ」「環境汚染を持ち込むな」
と、科学的な根拠もない、ヒステリーのような行動には唖然とする。
 日本人としての「絆」はどこへ行ったのか。

 そもそも日本人は近隣社会の絆を大切に育んできた。
 今日のグローバルな社会では、「オラが町」や「おらが村」だけが近隣では無い。
 日本全体が一つの近隣社会といえる。
 
 いたずらに「絶対反対」ではなく、もっと最善の道をみつける知恵をだしあったらどうだろうか?
 突出した「絶対反対」は、いわば社会的なヒステリーだと思っている。

最新の画像もっと見る