Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.489:アラサー教員奮戦記 第22回「ダメ出しに耐える力」

2013年10月09日 | アラサー教員奮戦記

夏が終わると、一年の終わりが見えてきます。大学ではスタートした時点で
は全ての授業日程などが決まっています。さらに、最近はシラバスで授業の
内容も決めていますので、よほどのことがない限りはスケジュール通りに進
みます。後期に入り、眺めてみますと1年があっという間であることを再認
識します。

今日は、ダメ出しに耐える力について書きたいと思います。
最近、ある産学連携の企業コンペに参加し、その提案書類を作るにあたり学
生とのやり取りを多くやっていました。企業からのテーマを元に学生が提案
を考え、それをわかりやすい提案書にまとめます。その過程で、ずっと学生
が作ってきた文章や書類に赤ペンを入れて返すという事をやっていました。

実は大学の授業─少なくとも大人数の授業─においては、この赤ペンを入れ
るという作業、すなわちダメ出しを行うことはとても難しい事です。レポー
トを書いたとしても、受け取りっぱなしと言うこともあるでしょう。また、
返したとしても1度が物理的に限界だったりします。知識の定着を確認する
という意味では、必ずしも書き直させることが必要性が高いとも言えません。
その意味で、ゼミや研究室というのは、数少ないダメ出しを受ける機会です。

しかしながら、社会人となるとこのダメ出しというのは、それこそ「終わる
まで」ある訳です。ある必要なクオリティに達するまではやり続ける事が必
要になり、そのたびにダメ出しがある訳です。育成の一番の基本と言えるの
ではないでしょうか。私自身も、「言いたいことが全く分からない」と、よ
く言われました。「この上司、何も分かっていない」と思っていたものです
が、冷静になると「全くその通りでした」と、ぐうの音も出なくなってしま
います。しかし、このダメ出しをされて、直して、それでもまたダメ出しを
受けて、という本当に一見生産性が低いような行為こそが、現在の力になっ
ているなと実感しています。

ですから、ダメ出しを受けるというのは、一見否定されているように感じる
のですが、これこそが最大の教育サービスであるのです。もちろん、ダメ出
しという名のいじめもあるので一概には言えませんが、育てようという組織
と育てようとする上司によるダメ出しは、何物にも代えがたいサービスとな
るはずです。つまり、ダメ出しというのは、「してもらえたらラッキー」と
いう話なのです。しかし、受け取り手次第では、そのダメ出しを拒否してし
まう人もいるようです。それは本当に残念だしもったいない事です。ダメ出
しに耐える力というものが不足しているのでしょう。

大学では、その人の将来に役立つことを学んでもらいたいと思います。それ
でも、仕事に直結する事をやるかといえばそうではありません。当然、実務
のことは実務を通じて学ぶ必要がある訳です。その時、愛のあるダメ出しを
受け取り、それを活かせる人になっている事は大切なことでしょうし、大学
時代に身につけておくべき力だと思います。ダメ出しに耐える力とは具体的
にどういった力なのか、またダメ出しをどう活かしていくのかについては、
また次の機会に考えて行きましょう。

最後に、大量の赤ペン入れを行っていると、これまでお世話になった多くの
先輩方の顔が浮かんできます。口先八丁で都合の良いことは言うが、その内
容が全く反映されていない訳の分からない文章や資料を作っていたことに本
当に恥ずかしくなりました。今でも、良い文章が書けるようになっていると
は到底言えませんが、昔の文章と比べれば格段にレベルが上がったと思いま
す。その方々の苦労に比べれば、今の自分のことなんて苦労でも何でもない
なと感じています。
<文責:ハシモト>

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