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甲州街道を歩く・勝沼宿

2018年03月11日 | 甲州街道を歩く

桃の花には少し早すぎましたが、どうしても歩きたくて、前回終えた「勝沼ぶどう郷」駅から甲府まで歩いてきました。新宿7時発のスーパーあずさで大月へ、乗り換えて勝沼ぶどう郷駅に着いたのは8時39分。閑散とした駅前のタクシーを見たら乗ってしまおうかなと心が傾むきました。上行寺まで1.8キロとちょっと距離はありますが下り坂なので歩いて正解でした。

駅前からぶどうの丘方面の景色

坂を下った左側の雀宮神宮

境内の芭蕉句碑山里は万歳遅し梅の花

前回終えた上行寺まできました。

この辺りは勝沼宿東口にあたります。古くから交通の要衝であった勝沼は、元和4年(1618)に開かれた宿場です。甲州盆地の東端になる為物資の集積地として栄えました。万治元年(1658)から市が始まり大いに賑わいました。

宿内家数192軒 本陣1 脇本陣2 問屋1 旅籠23軒 人口786人

勝沼宿脇本陣跡、土蔵が残ってます。

すぐ隣の勝沼宿本陣跡に残る槍掛けの松本陣に大名や公家が泊まると、その目印に槍をたてかけました。屋号は「池田屋」

本陣跡の横の小路は小佐手小路(おさでこうじ)です。勝沼氏館の大手門からまっすぐに北に延びる道、家臣団の屋敷が立ち並び城下町を形成していました。寂しい細道です。

本陣跡を過ぎて左の道を入った左手に、勝沼氏館跡がとてもきれいに整備され、史跡公園として公開されてます。武田信玄の父、信虎の弟、勝沼信友と子信元二代の武将として活躍した武田親族衆で、信友はこの地に館を構えました。中世武士の館の構造を知る上でも貴重な遺跡のようです。

街道に戻りましょう。格子戸のある古い建物を残す家並。

仲松屋・荻野家は質屋で財を成した豪商、説明板によると、江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治前期の建築を中心とした西屋敷二軒分の商家建築と書いてあります。

ブラブラ散歩しながら右手に目をやると、少しボロボロだけど存在感のある三階造りの蔵が目に留まりました。大きさにびっくりです。福嶋屋という薬局の土蔵です。

その先のモダンな感じの建物は、旧田中銀行社屋。中には地元のボランティアの方がいて、見学をしながら説明を聞くことができます。明治後期から大正時代の洋風建築を伝える建造物として、平成9年に国の登録有形文化財になりました。勝沼郵便電信局舎として建てられ、のちに山梨銀行社屋として利用された。9:24

フェンスの丸い部分の模様が「田」「中」という文字になっているのがめずらしいですね。

左側の果樹園手前の道を入ると、畑の前に日蓮大菩薩御一宿の霊所があり、題目碑や日蓮上人由縁の碑があります。日蓮上人は弘安9年(1286)農家陣右衛門宅に宿泊した折り、直筆の曼荼羅を残しました。見学をしていたら、写真の奥にいる畑仕事をしていた方に話しかけられしばしおしゃべり。

ようあん坂標柱

勝沼学校跡・正門脇に「明治天皇勝沼行在所跡」碑、歌碑「えびかつら いろつきそめぬ やまなし
の さとのあきかぜ さむくなるらし」があります。一番左の碑は勝沼小学校跡碑です。

護念寺

地蔵尊

竿石に自然石を用いた常夜燈

等々力に入ると右手奥に諏訪神社があります。

鳥居脇のケヤキが目立ちます。

 やがて街道は等々力の交差点で411号線に合流します。

等々力交差点を過ぎた右側に見えてきた素敵な家屋は「皆吉」というほうとう店

お店の先にある延命地蔵尊、文政13年(1830)建立の常夜燈と丸石地蔵尊

地蔵堂先の万福寺参道口にある杉御坊碑です。親鸞聖人が万福寺に逗留した時、杉箸を地面に突き刺したところ大木になったという。以来万福寺は杉御坊と呼ばれた。

広い敷地を持ったロリアンワイン白百合醸造が右手にあります。山梨市に入ります。10:13

ここは山梨市と甲州市の境になります。振り返ってみた看板。向こう側は甲州市

旧甲州道中道標

白山建岡神社

右手奥に光善寺ががあります。本堂脇にある祠、左から「秋葉山不動尊」「厄除け地蔵尊」「十王尊

勝沼宿は通り沿いには立派な建物や蔵が立ち並び、楽しい街道歩きでした。地元の人達も楽しそうに歴史を語り勉強になりました。

上栗原の交差点を過ぎたあたりから栗原宿に入ります。勝沼から栗原まで3.4キロ。

つづく

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