フォト散歩

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中山道を歩く・金久保~新町宿

2018年01月09日 | 中山道を歩く

本庄宿からの続きです。畑時能(ときよし)首塚を後にし県道392号線を進みます。人も車もいない静かな街道歩きです。こむぎっち号が停まるバス停。1日2本(11時と16時)しかありません。

慰霊の碑

石仏石塔群・寛政12年(1800)建立

勝場の一里塚跡・日本橋より23里目

勅使河原北で17号線合流。いよいよ神流(かんな)川を渡ります。

橋から見た景色。神流川橋架替え工事をしているようです。橋の完成が待たれますね。いつできるんでしょうか。

群馬県高崎市に入りました。

神流川古戦場跡碑・天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が倒れると、仇を討つために家臣の 滝川一益と北条氏直・北条氏邦が武蔵国児玉郡上里町周辺で争った戦い。

復元見透灯籠

交通量の多い17号線、左に見えてきたのは「ガトーフェスタハラダ」。上州方面の山へ行った時によく立ち寄ったお店です。居心地のいいお店です。ここで買い物のついでに休憩するつもりでした。ハラダのラスクは大好きなので、東京でみたことのない「グーテ・デ・レーヌ」と「クグロフ」を購入。14:38

斜め右が中山道です。空き地に中山道道標がありますが、17号線を横断し「ガトーフェスタハラダ」へ行くために左へ行ってしまい写真を撮るのを忘れました。

 宝登山に登ってきたという女性とおしゃべりしながら40分ほど休憩。ちょっと長すぎました。新町駅も近いしまぁいいかなと自分に甘い私です。彼女は始発で茅ヶ崎から来たそうです。

彼女と別れて中山道へ戻ります。新町宿に入りました。上野七宿の東口にあたり、承応2年(1653)落合村と笛木村を合わせて「新町宿」が成立。宿内家数407軒 本陣2 脇本陣1 旅籠43軒 人口1473人

新町宿 行在所公園壁画より

八坂神社

鳥居脇の芭蕉句碑・『傘(からかさ)におしわけ みたる柳かな』。昔ここにお茶屋と大きな柳がありました。15:23

新町宿の町並み。風にはためく真っ赤な旗は目立ちます。

諏訪神社・笛木村の鎮守

 

東福寺にある田中文五郎信武の墓の案内の標柱

 

路地の奥に見えるのは「浄泉寺」

注意してないと見落としそうです。

高札場跡・宿東口からここまでが笛木新町、ここから西口までが落合新町となります。

街道を進んだ先右側にちょっと休憩できる場所がありました。一休みするのにいいかもしれません。

すぐ隣に『行在所跡』があります。木造瓦葺きの平屋を建て残しています。

ちょっと寄り道をして路地を入り「於菊稲荷神社」へ。病気になたった於菊が一心に稲荷に祈願したところ全快し巫女となりました。

新町駅入口の信号を過ぎた左側に「旅籠高瀬屋跡」があります。文化7年(1810)小林一茶が投宿した所。

さらに進んだ街道の左側に小林本陣跡があります。建坪は135坪ありました。15:58

小林本陣の向かいに「久保本陣」がありましたが、探してもその跡はよくわかりませんでした。標柱なし。久保本陣は天保13年(1842)の大火で全焼後再建され、皇女和宮の御小休所となったところです。 

写真を撮っていたら街道ウォーカーの人に声をかけられました。籠原から倉賀野まで行くといいます。今からでは倉賀野に着く頃は真っ暗です。今日で3回目だといいます。すごい人がいるもんですね。中山道を行く後姿は元気そのものでした。私は来た道を戻り新町駅へ。16:15

16:42分上野東京ライン特快アーバンは速いですね。上野東京ラインは、しばらくお世話になる路線です。また、電車に乗る楽しみが増えました。

甲州街道と同時進行で中山道を歩こうと思っています。春までに高崎までいければいいなという予定です。とりあえず日本橋から歩かなくては。街道歩きにどんどんはまりつつある今日この頃です。

万歩計=32879(七福神めぐりと新町駅まで)

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