アンカツを応援するブログ

アンカツこと、安藤勝己騎手を応援するブログです。

レジェンドハンター

2008-12-30 14:13:30 | 競馬
今月の12月13日。レジェンドハンターが亡くなった。
本当に長かった現役生活を終え、
土佐黒潮牧場でのんびりと余生を過ごし始めた矢先だった。
まずは、懸命の看護をしてくださった土佐黒潮牧場の皆様に御礼を申し上げたい。
牧場の方の日記を拝見させてもらえば、愛されていたことが誰にだって分かる。
ありがとうございました。




現在、中央競馬には元地方騎手が8人いる。
アンカツが道を切り開いて、その後に続いてきた騎手達が、
リーディングの上位を独占している状態。
天才武豊を1位において、2位内田博幸、3位安藤勝己、4位岩田康誠。
今となっては当たり前の状態で、
こうでないとむしろ不自然な状態と思えるわけだが、
わずか10年前、こんな事態になることを誰が想像できただろうか?

この状況を読み取るのはあまりに困難だが、その予兆はあった。
地方と中央の交流が本格的に始まったのが1996年。
それまで、地方馬は中央ではオールカマーくらいしか出走できなかったのが、
トライアルに地方馬の出走枠が出来て、
そこで権利を取ればG1への出走も可能になった。
その一番最初に現れたのが、笠松の牝馬ライデンリーダー。
アンカツとともに中央へ乗り込み、衝撃のデビュー戦。
桜花賞以降は徹底マークにあって結果を出すことが出来なかったが、
全国放送のニュースステーションなんかでも大々的に取り上げられたし、
時代が変わるんだというのを感じさせた。

アンカツはこの地点では、中央入りを決意していない。
かつての笠松競馬は全国的にも非常にレベルが高く、
リーダーが出る前にも、幾多の歴史的名馬がいた。
オグリキャップやオグリローマンの名は、誰だって知っているところだろう。
中央からボロボロになってやってきたフェートノーザンは、
職人達の手で立て直されて、圧倒的な日本最強の座にまで上り詰めた。
トミシノポルンガも中央競馬の重賞で戦えるレベルの馬だった。
リーダーの少し前のマックスフリートなんかは、凄い牝馬だったと思う。
下位層はさすがに弱かったが、上位には毎年のようにこのレベルの馬はいた。
アンカツは、無念に終わったライデンリーダーの挑戦を前向きにとらえ、
こういう馬はすぐに出てくるはず、その時に生かそう。
そう考えて次の名馬の出現を待っていたそうだ。


そして3年後に現れたのがレジェンドハンター。
最初から傑出した能力を持っている馬だった。
デビュー戦はマエストロセゴビアに僅差で敗れたものの、
(マエストロセゴビアも凄い馬だったんだが・・・)
2戦目、さらに時計を詰めてのレコード勝ちで認定戦を制した。
(各地方には「認定競争」というのがあり、
 このレースを制していないと中央の決められたレースに遠征できない)
3戦目も楽々と制して4戦目。金沢で行われた兼六園ジュニアカップ。
ハンターの圧倒的な能力を世に知らしめた一戦。
次のG2・デイリー杯で、人気薄だったハンターの馬券を買った人は、
9割以上がこのレースの映像を見ていたはずだ。
今となってはこのレースの映像を見る術が分からないが、
その走りは、今もまだ俺の脳内に鮮明に残っている。

当時、金沢競馬史上最強の大物といわれたシュウタイセイとの激突。
他には、後に中央勢を相手に惜敗地獄を続けることになる、
名古屋のゴールドプルーフの後継者、ブラウンシャトレーもいた。
シュウタイセイと人気を分け合って迎えた一戦で、
逃げたハンターは直線、追いすがるシュウタイセイを馬なりで引き離して行く。
最終的に2着シュウタイセイとの差は7馬身だったんだけども、
俺の脳内の感覚では、大差、20馬身くらい広がったような感覚を味わった。
2chなんかで使われる顔文字で表現するなら、
工工工エエエエエエェェェェェェ(´д`)ェェェェェェエエエエエエ工工工
って感じだったw
「あのレース見たか?」「見た見た凄すぎだろ」って感じで、
俺の周りはレジェンドハンターの話で一杯だった。


今とは違って、情報の伝達がそこまで凄くなかった時代。
ごく一部の人間の熱狂とともにw
5戦目、京都競馬場のG2・デイリー杯3歳Sを迎えた。
1番人気は豊騎乗の1戦1勝馬。
当時、超大物といわれていたと記憶しているマチカネラン。
2番人気は当時2戦2勝。
後の皐月賞で記憶に残る伝説を作ったラガーレグルス。
3番人気は3戦2勝。
直前にOPの芙蓉Sを制していたトッププロテクター。
4番人気はOPのもみじSを制していたエンドアピール。
5番人気が、札幌3歳Sで最後方から追い込んみ4着のマイネルビンテージ。

ハンターはこれらに続いて6番人気だった。
今となっては、相手各馬のレース内容はまったく覚えていないけど、
こうやって見るとなるほど、人気はおかしくもなんともないんだなあ。
OP馬ばかりで、相当ハイレベルな一戦だったようだ。
しかし俺は、俺達は自信があった。
あの兼六園ジュニアカップの映像を見て、
相手が弱いなんていう言葉は出てこないと自信を持って言える。
歴史を塗り替える馬はこの馬だと信じていた。

このレースの映像は普通に見ることが出来る。
ポンと飛び出したハンターは軽快に逃げまくり、
4角を回ってさらに後続を突き放す一方。
最後、ラガーレグルスが自力で迫っては来たが相手にもせず。
中央馬が相手でも次元が違うという内容で楽々と勝ってみせてくれた。
映像を見ながら、叫び、笑いながらちょっと泣いたような記憶があるw


そして人気を背負って迎えた朝日杯。
ラガーレグルスとの再戦と言われたように1,2番人気だったが、
負けるはずがないだろうと絶対的な自信を持って見ていた。
正直、大差勝ちに近いくらいに走ると思ってた。
後にも先にも、このレースほど自信を持って見たレースはないし、
当然ながら絶望したレースもない。
4コーナーまではその予感はあったのだが・・・。

ダンツキャストが逃げる流れは、後から振り返れば超ハイペース。
33秒5、45秒1で1000m戦のように逃げまくるキャスト。
G1・朝日杯史上最速のペースがこのレースである。
このレース、レジェンドハンターとアンカツは、
キャストの作る猛ペースに楽々とついて行き(行けてしまい)
そして特に息を入れることもなくキャストを捕まえに行った。
圧倒的な手応えと勢い。唸るようにキャストを捕まえて先頭。
後続はこの猛ラップに全くついて来れない。完全に独走態勢だ。
中山の短い直線、このまま乗り切れば圧勝だ、そんな勢いだったが、
直線の半ばからはっきりと脚色が鈍ってしまう。
中山の急坂が来た。乗り越えられない。余力がない。
苦しみながらもゴールに進んでいるところ、
ただ1頭、しっかりした脚色で迫ってくる。
エイシンプレストン。あっと思ったときには、捕まっていた。

何が起こったのかサッパリ分からなかった。
当時は、各競馬場の特徴なんて気にしたことがなかったから、
中山の坂なんてそんな大したものだと思っていなかった。
故障したのか?それしかないだろ・・・。
理解がついていかないままに終わってしまったレースだった。
今から思えば、当たり前の出来事だったんだよねえ。
史上最速のペースを自分で捕まえに行って4角先頭なんてやってるし、
さらに後ろから飛んできたのは後の香港の王者エイシンプレストン。
それでも、3番人気のマチカネホクシンが展開に乗じて追い込んできたが、
この馬は寄せ付けずに2着を死守したのは本当に凄かった。
4着以下はさらに3馬身突き放し、キャストは12着に惨敗。
内容を吟味すれば、ハンターの偉大さを表すレースなわけだが、
当時はただ絶望しか残らなかったなあ。
しばらくの間、マジで何も信じられなくなったもんw


それでも年が明けてさすがに気分は切り替わった。
皐月賞へ行って雪辱すればいい。
能力上位は間違いないし、絶対やれると思っていた。
しかしその後のハンターは、脚元との戦いになってしまう。
中央遠征を前に故障し、クラシックを断念。
秋になってスワンSへ遠征し、人気を背負ったがまさかの大惨敗。
地元へ帰ってきて挑んだ全日本サラブレットカップ。
期待を胸に応援に行ったが、かつての姿は見る陰もなかった。
ハカタビッグワンが勝って競馬場は盛り上がるのは盛り上がったけど、
ハンターはもう駄目だなあって声があちらこちらで聞かれた。
黒船賞、かきつばた記念でも善戦はしたが3着まで。
中央勢が圧倒的に強くなってきていたこの頃、
地方馬としてはよく健闘しているほうだったけれども、
かつてハンターに抱いた中央制覇の夢は、もう消えてしまっていた。


アンカツはその間にもいろんな馬で中央遠征を繰り返した。
また笠松から新しい馬が出てくると信じて頑張っていたようだが、
1年ごとに中央との格差が広がっていくのが素人にも分かる。
もう中央制覇は駄目かな・・・というところで、
マヤノグレイシーで落馬して長期離脱するアクシデントが起こった。
この時の入院生活の間に、アンカツは中央入りする方法があることを知る。

アンカツ、中央入り試験を受ける。

多分、ほとんどの人が青天の霹靂だっただろう。
俺も本当に目がテンだった。
何?何が起こってるの??? って感じだったよw
諦めずに中央遠征を繰り返すアンカツ。
中央のファンの信頼もいつの間にか絶大なものになり、
でもたまに来れないことを残念に思われるようになった頃、
誰もが思いつかなかった裏技。それが、
「競馬学校生とともに普通に中央入り試験を受ける」とはw
当時アンカツは41歳。もう時間は限られている。
中央遠征を繰り返し、失敗を何度もした。
今度チャンスが与えられたならば、
これまでに掴んだものを発揮する自信はあったはずだ。
しかしそのチャンスが一向に訪れない。
中央入りは苦渋の決断だったと思うが、自分の夢を優先した。

最初の試験は普通に落ちた。
騎手の試験に、英語とか数学とか、そりゃ受からんだろうwww
この件はメディアを通して全国を駆け巡り大騒ぎとなり、
「5年間に中央で20勝を2回したら1次試験免除」
という、いわゆるアンカツルールを作り出すに至った。
そして2003年、晴れて中央入りを果たす。
その道をたどって、小牧、岩田、博幸がやってきて、
また別ルート(正規ルート?w)で兄者たちも来た。

以降6年弱。
毎年のように100勝を突破し、毎年のようにG1を勝ち、
カメやメジャーやスカーレットなど、歴史的名馬と出会い、
今やアンカツの名のないG1レースなど、
豊がいないレースのように霞んで見えるようになった。
アンカツは夢を掴んで、今も走り続けている。


そしてアンカツがやむなく手放したレジェンドハンターは。
度々起こる脚部不安と戦いながらも、現役生活を続行。
2003年の全日本サラブレットカップで、
ついに交流重賞を制することが出来た。
かつて掲げた目標からすればとても小さなものだったが、
倒した相手はスターリングローズやビワシンセイキなどの1流馬。
このレースも競馬場で見たが、競馬場は最高の雰囲気だった。
笠松競馬場があそこまで盛り上がったのは、
オグリキャップ記念のミツアキタービンが最後だろうね。
(このレースは入選後に東川が落馬したのでさらに騒然としたが)
正直、ハンターはもう重賞は勝てないと思っていたので、
諦めずに戦えば何とかなる、と教えてくれたような勝利だった。
ハンターはその後も長く戦い続け、
2007年11月29日のレースを最後に、ついに引退。
大きな夢を抱いて中央に挑んだ日から8年の月日がたっていた。




ハンターが亡くなってから14日。
あの朝日杯から9年と15日。
アンカツは有馬記念でダイワスカーレットとともに見事な勝利を収めた。
誰もが認める、完璧な、美しい勝利だった。
ハイペースを築きながら後続を試しつつも、

途中に入れた、13.0-13.2。
このラップに、アンカツがあの日に掴んだ全てが集約されていると思う。

アンカツは後に、認定戦はどうしても勝たなければならなかったから、
絶対に間違えないために行かせるしか道がないと思った。
結果としてあの日に激しく行かせたことで、
馬が「レースは最初から全力で行くもの」だと思ってしまい、
それがずっと尾を引いてしまって大成させられなかった、と。
G1を勝てるはずの馬だった、と言っている。今でも後悔していると。
ダイワスカーレットは、その信念を元に1から競馬を教えていった馬。
アンカツの競馬人生の一つの集大成みたいな馬と言って良いだろう。

レジェンドハンターなくして今のアンカツはない。
アンカツの競馬観を大きく変え、今の絶大な地位を築く元になった一戦。
それが9年前の朝日杯。ターニングポイントだった。
今はもう懐かしいが、しかしいつまでも覚えていることだろう。
俺の今後の競馬人生であの朝日杯ほど入れ込むことはもう無いと思う。
(年齢的に若かったこともあるんだけどw)


今はスカーレット、ブエナビスタがいる。
カメやドンやメジャーが去ってもまた新しくスターが次々と出てくるように、
アンカツの競馬人生はまだまだ続いていくものだと信じている。
3年後のメジャーの子供にも乗らないといけないし、
もっと先、スカーレットの子供にだって乗って欲しい。
それでもいつの日か、引退する日がやってくるだろう。
それまでに、今までのスターを越える馬に巡りあっているかもしれない。

そうだとしても。
俺の競馬人生で最も燃えたのはハンターの朝日杯だったなあと、
そう思い返すんじゃないかと思う。

思い出をありがとう、レジェンドハンター。


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10 コメント

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Unknown (nori)
2008-12-30 14:32:22
有馬記念、見に行ってきました。
勝ったのはまぎれもなくスカーレットの実力ですが、ハンターもきっと後押ししてくれたのだとレース後思いました。

スカーレットが休養したとき、きっと最先端の医療を受けたのだと思います。
ハンターも、脚部不安になったとき当時の最先端医療を受けることができたならもっと活躍したかもしれませんね…
しかし、地方馬ではそれも無理…

当時は、クラシックに挑戦という周りの期待も一心に受けていたので休養にも入れない雰囲気だったのかもしれませんしね…

笠松の状況は、相当厳しいらしいですね。
明日は、久々に行こうと思います。
これが、最後の年末年始開催にならないように頑張ってほしいです!
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レジェンドハンター (ウルトラマンジロウ)
2008-12-30 14:40:01
いつも、楽しく読まさせてもらってます
2003年の全日本サラブレットカップは、自分も現地で見て興奮しました。
sankyoさんのコメみて、単勝と山崎騎手から、バラの花束もらったの思い出しました
最後に、レジェンドハンターありがとう、お疲れ様
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また1年お疲れ様でした。 (ワイド)
2008-12-30 20:09:22
天才武豊を1位において、2位内田博幸、3位安藤勝己、4位岩田康成。
岩田の名前は康誠ですねw
自分もスカーレットの単勝1点勝負しました、
どうして100円でいいから2着3着総流しをしなかったのかと悔やんでおりますw
98万が射程圏内にあったとは・・・
来週はオーラですね、
ざっと見たところハンデが重い馬達はみんな大したことないような気が・・・
どうなんでしょうか?^^
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そうでしたか。。。 (テイオーライデン)
2008-12-30 20:12:28
レジェンドハンターが亡くなったことは全然知りませんでした。
そうでしたか~
今でもリビングに飾ってあるパネルとデイリー杯&朝日杯の記念単勝馬券を眺めつつ思い出にしたっています。
本当時の経つのは早いものですね。

合掌



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レジェンドハンター (yamazo)
2008-12-30 21:32:26
懐かしいですね。僕も、ちょっと昔を思い返してみました。僕がアンカツを知ったのは、JRAと地方競馬の間に高い高い垣根があった時代でしたね。笠松競馬場で中央競馬騎手招待競争が開催され、当時ファンだった南井さんが参加するという事で笠松競馬場に行った時でしたね。会社の人に「笠松ならアンカツ買っとけ」言われたのを思いだしますね。あれから10数年…アンカツがJRAに移籍して…なんて、あの時は想像すらできませんでしたよね。時代は変わるもんですね。いつか南井厩舎の所属馬でアンカツに重賞を勝って欲しいなぁと思ってます。その時は…泣くでしょう。
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レジェンドの朝日杯 (マジックリボン)
2008-12-30 21:46:30
そうですか! ハンターは亡くなったのですか。 とても 残念です。 でも僕の心にも あのレジェンドハンター+アンカツは 永遠に残る一戦でした。
心より 御冥福を祈ります
そして レジェンドハンターの無念はアンカツが 晴らしてくれると 信じます
アンカツがいつの日か朝日杯を制した時に レジェンドハンターの事を 必ずや 語ってくれると思います
返信する
レジェンドハンター (KITKAT)
2008-12-30 23:28:53
自分もこのブログでレジェンドハンターの死亡を知りました。どこかで思い出をコメントしようと思っていたら、今日のタイトルにあがっていたので、コメントさせていただきます。

今でも朝日杯の直線の映像は鮮明に残っています。(きっとビデオの山を整理すると兼六園や朝日杯の映像はどこかにあると思うのですが・・・)
やった!初の中央G1と思った瞬間、急に足があがってエイシンが飛んで来たのを悪夢のように見ていました。

考えてみれば、この年の東海は充実してましたよね。
名古屋ではブラウンシャトレー、ケイオーデビル。
笠松ではデビュー戦をレコード勝ち(今でも800mのレコードのはず)したマエストロセゴビア、ミツアキサイレンス、そしてレジェンドハンター。

自分的にはデイリー杯、朝日杯を除くと、一番記憶に残っているレースは3着に敗れたかきつばた記念ですかね。

東海桜花賞でブラウンシャトレーを退け、久々の勝利の後だったし、相手は追い込み一辺倒のブロードアピール。ここは間違いないと思っていたら、デザーモによるまさかの先方策。あれは衝撃でした。
それでも食い下がり、最終的には3着でしたが、あれは名勝負だったと思います。

当時、出向で九州にいたので、あのレースを直接見れなかったのは今でも悔いが残っています。

ポルンガ、リーダーとともに一生忘れる事のない名馬だと思います。

ご冥福をお祈り致します。
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Unknown (ヨシ)
2008-12-31 00:15:02
アンカツさんがレジェンドハンターの事をジェット機みたいだと言っていた事がとても印象に残っています。
最後は短い期間でしたが土佐黒潮牧場の温かい方々に愛されて余生を暮らせた事が、この馬にとっては幸せだったのではないでしょうか。
ご冥福をお祈り致します。
返信する
懐かしや。。。 (負士)
2008-12-31 00:35:17
阪神、中山とG1制覇をライブで見てきました。
特にブエナのレースは想像以上の破壊力で、もしスカーレットが再来年も現役なら好敵手になるのではなんて想像しちゃいました。

レジェンドハンター、これも当時中山でライブ観戦しましたが、捲くって来た時はこりゃ化け物だ、ぶっちぎりで勝つぞと思ったものです。
その後は怪我で大成しませんでしたが、本気でクラッシックを意識できる器と思っていました。確か、朝日杯が終わった時点でNHKマイルの勝ち馬候補に挙げる評論家もそこそこいた記憶があります。
これ以降、笠松からクラッシックを意識できる馬は現れていませんが、いずれ登場することを信じています。
返信する
Unknown (sankyo)
2008-12-31 13:52:33
>noriさん
この有馬はハンターが亡くなって最初のレースでしたしねえ。

仰るとおり、ハンターはけっこう無理をして頑張ったという事実があります。
後年のミツアキタービン(まだ現役ですが)なんかもそうなんですけども。
なんというか、中央競馬とは裏の事情が違いますからね。
後からこうしておけば良かったと思うことはいくらでもあると思うんだけど、それもまた運命。
競馬に限った話じゃなく、起こったことを後からグダグダ言うのは、
その瞬間を必死に戦った人に失礼なことですから、
受け入れて前に進むことだけですね。

笠松は危ないですねえ・・・。
俺は電話投票でボチボチやってますけど、
単勝を1万円買うだけで変動が本当に激しいですから、
ちょっと単勝馬券は買ってられないなあというのが本音。
(自分でオッズを動かして見たい人、ぜひとも笠松競馬へw)
今は3連単の4頭BOXを主流に買ったりしてます。
今日は笠松で東海ゴールドカップがありますね。
オグリシルク、ボナンザーオペラ、エイシンアスワン、リスティアダーリン
この4頭でBOX買いしてみました。

つか伊藤強さん、10頭立てのレースで7頭出しとかw


>ウルトラマンジロウさん
ありがとうございます。
おー、ということは俺も近くにいたと思います。
あれは本当に盛り上がりましたよね。
誰もが、良かったなあという感じで一体感がありました。
地元愛っていうんですかねえ、強く感じれる良い瞬間でした。

また笠松からこんな馬が出てくることを祈りたいのですが。
昨日ライデンリーダー記念を制したニュースターガール、
そこそこ強いけど、遠征では苦しいだろうなあ。


>ワイドさん
失礼いたしました。これはよく間違えるんだよなあ。
岩田のことを名前で呼ぶことが皆無に近いんでw

本当に頭が痛くなる話で、
よくよく考えたら、俺は去年も同じ失態をしてるんですよね。
スカーレットとメジャーのワイドを1万円持ってて、
15万になったのは別に良いんだけども、
3連単総流しで8400円にしておけば80万円だったわけで。
確か去年のレース後にみなさんと話してたときに、
来年こそは総流しで・・・とか書いたような記憶がw
駄目だ、頭が痛くなってきましたw


オーラは実力的に突き抜けた1強ですね。
なんつっても京都記念でウオッカを押さえて1番人気を背負って圧勝した馬ですから。
スカーレットのレースがあった後でもありますし、
ハンデは重いけれども一本かぶりでしょう。
有馬と同じことを書きますが、普通ならってとこですね。


>テイオーライデンさん
本当に仰るとおりで、時の流れるのは本当に早いものです。
あれからもう10年近くも経ってるとはなあ・・・。
アンカツファンの方の中にも、
レジェンドのことを知らない人だってたくさんいることでしょう。
こんな馬がいたよってことを、ここに残しておきたかったこともあります。
荒川先生が作り上げた屈強なワカオライデン軍団もいなくなってしまいました。
うーん、歳とりましたねえ・・・しみじみw


>yamazoさん
yamazoさんは南井調教師のファンですもんね。
一度だけ、タマモホットプレイでチャンスだったんですが惜しかった。
あの時に、南井師はアンカツのことを褒めてましたね。
今でも年に何度かは南井師の馬に乗ることがありますから、
またそんなチャンスが来ることがあるでしょう。
本当に時代は変わるもので、あの当時を思い返して、
南井調教師の馬にアンカツが乗るとか、誰が想像できたかw
世の中本当に何があるか分からないものです。
南井師の馬での重賞制覇、まだまだ時間はありますし期待しましょう。


>マジックリボンさん
ああそうか、この件は大きなニュースとしては扱われてないですもんね。
俺もこのブログではコメント欄でしか書いてなかった。
知らなかった方が見えても全然おかしくないですね。
俺自身としても一番の思い出の馬なので、
大々的に取り上げようと思っていたんですが、書いて良かったです。

中山芝重賞はあっさりと制してしまいましたが、
いつの日か朝日杯を制して、あの日のことを振り返ってみて欲しいですね。


>KITKATさん
ハンターについては、思うことがたくさんある方がたくさんいるはずだと思っていました。
即座にたくさんコメントをいただきまして、大きく取り上げて良かったと思ってます。
(こりゃみんな歳を取ったんですかねえw)

兼六園の映像残ってますか?
レア物ですよそれは。凄い見たいです。
俺の記憶の中では、大差勝ちに変換されてるんですけどw
物凄い勢いでぶっちぎったことだけははっきり覚えてます。

本当にあの時代は東海の全盛期だったと思います。
特に、ブラウンシャトレーとゴールドプルーフの「4角まで最強コンビ」には、
どんだけ悶絶させられたか分かりませんw
あいつら、G1の川崎記念とかでも圧勝しそうな手応えで4角まで来たのになあw
ミツアキサイレンスは、阪神大賞典で燃えました。
あの馬こそ、佐賀記念じゃなくて川崎記念へ行くべきだったのになあ。
マエストロセゴビアはもっとやれると思いましたねえ。
そうそう、ブロードアピールが先行してさらにラチ沿い走ってたのは本当に衝撃的でしたねw
書き出したらキリがないですが、想い出が一杯です。

彼らのことを忘れないようにしたいですね。


>ヨシさん
ああ、そういえばそんなことを言ってた気がしますね。
このクラスの馬が中央にはたくさんいることに衝撃を受けたとも言ってましたが、
それでもレジェンドはG1を勝てたはずだったと言ってくれました。
それがそのまま消えてしまっては報われませんが、
あのレースが無にならずに結果として残ったんじゃないかと思っています。
レジェンドハンターがいたから今のアンカツがあるのだと、
そう語り継いで行きたいと思っています。

本当に長い競争生活でしたけど、
最後は暖かい方たちのお世話になり、
幸せな馬生をおくれたのではないかなと思っています。
ご冥福をお祈りしたいですね。


>負士さん
お疲れ様でした。
しかし両方ですか、それはまた気分が良いでしょうw
ブエナビスタは半端なかったですからね。
とんでもない圧勝なのに、どう見てもあれが全力ではなかった。
この馬もまた、歴史を作る馬となることでしょう。

ハンターの朝日杯は、
仰るとおりに4角回って少しまでは、
圧勝するものだと信じていました。
そこからの20秒ちょっとは悪夢でしたね。
後になって数字を分析すれば、傑出した存在だったと分かるんですけどね。
仰るとおりNHKマイルでも本命といわれたと思うし、
皐月賞でも本命だと言われていたと思います。
ハンターのスプリングS回避も大きなニュースになりましたから。

あれから10年。
全国制覇を夢見れたタービンが出てきましたけど、それくらいですかねえ。
覚えてる方はあまりいないと思いますが、
少し後に出てきたバハムートって馬にはめちゃくちゃ期待してたんですけどね。
園田でクインキャストに負けたときにちょっと呆然としたのを覚えてます。
俺としてはあれが最後だったなあと思ってます。

笠松競馬にこのまま終わって欲しくはないので、
今後も金だけは定期的に入れ続けるつもりでいます。
金を入れるしか無いと思いますので。負けませんけどw
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