※ 2010年6月28日一部修正・追加。
今回は天王寺から天下茶屋まで,この地区の中を走っていた南海の天王寺支線の跡地の風景をまとめてみようと思う。今でさえ,交通の便利なこの地区だが,以前はそれ以上に鉄道が存在していた。
※ この記事の読者の方は様々だと思われますが,もし現地を訪問して写真を撮ってみようと思っている方がいらっしゃれば,場所にもよりますが,撮影は周囲に十分に配慮して行ってください。誤解されるような行為はトラブルになりかねないので,できれば写真撮影はしない方がいいと思います。
天王寺駅の17・18番のりば。
ホームの南側にはMioの駐車場がある。かつてはこの場所に,南海のホームがあったようだ。
そのホームを新今宮側に行くと…
阿部野橋の下の部分が見え,その奥に光が見える。
さらにこの空間に近づく。
この写真は隣の15・16番ホームから見たものだが,暗い空間が広がっている。この阿部野橋の真下の暗い空間の南側に廃線になる前に移動した南海のホームがあったらしい。残骸はあるのかもしれないが,一般人はとても入れるような場所ではない。
その阿部野橋も上に行くと…
谷町筋と阿倍野筋の境界であり,商業施設の多い駅前の雰囲気になっている。この阿部野橋から新今宮方面を見ると…
向かって右手にJRの線路が多くあるが,左手にはそのエリアと有刺鉄線付き金網で区切られて,一本のレールがある。これが南海の線路の跡だ。廃線になったのが1993年ということなので,ほぼ20年が経っているが,まだそのまま残っている。
この線路に沿っていくと,環状線のみを走る電車が唯一通る踏切がある。
閉鎖時間も長く,飛び込む人も多いといわれている。夜になると…
心を落ち着かせるための青白いライトが灯され,雰囲気が倍増する。
この踏切の辺り,やたらフェンス囲いの部分が多いが,この場所で南海線とJRが合流していたようだ。ここで南寄りに進路を変え,国道43号を越えていたらしい。
国道の両側に柵で囲まれた空間がある。
廃線跡以外にも,越えた先もフェンスが多い。
碑の近くにはフェンスがあっていけないが,文字は確認できる。「上方演芸発祥の地」と書かれている。かつてこの地にあった「てんのじむら」が発祥の地のようだ。そんな過去の実績を記す碑もフェンスに囲まれていてはその存在に気付きにくい。
国道を越えた後は廃線跡は遊歩道となっている。
が,フェンスで囲まれていて,中を見ることすらできない。奥に見える道路が国道だ。
住宅地の中を抜け,やがて高速の下を通過する。
高速下の公園も相変わらずフェンスで囲まれている。寝床にされないようにするためだろう。廃線跡はやがて動物園前商店街の通とぶつかる。
ここでようやく中の様子を見ることができる。このときは整然とした感じがあったが,2010年6月26日にここへ行くと…
草が伸び放題伸びていた。普段人が入ることがなさそうなこの場所も時に手入れがされているのかもしれない。
この遊歩道と動物園前の商店街のアーケードがぶつかるこの場所に…
ここに,飛田本通駅があったようだ。新地は奥に見えるアーケードを抜けたところにある。この空間から天下茶屋方面も…
天王寺側と同様とフェンスで囲まれている。
フェンスに沿って住宅街を抜けていくと…
こんな感じにフェンスに囲まれた分岐路がある。その真ん中を良く見ると…
たっしょん防止用に花が置いてあった。アンモニア臭がよくするこの辺りには鳥居マークも多い。ここから堺筋方面は…
周りが私有地や住宅で沿って歩くことはできない。
堺筋にぶつかる部分。
商店街の入口の少し横にフェンスの部分が見える。
その道路の先には…
高架上に阪堺電車の線路があり,そこに今池駅がある。その下のフェンスがある空間の辺りに天王寺支線の今池町駅があったという。ちょうど,今池駅横の…
鉄橋の下にあったらしい。この今池町から天下茶屋までの区間は支線全体が廃線になるよりも先に廃線にされていて,今池町から南海本線に乗り換える場合は萩ノ茶屋駅まで徒歩連絡だったそうだ。この辺についてはまた別の記事で書きたい。阪堺の今池駅,今は阪堺線しか存在しないが,かつてはここから平野線が分岐していた。その今池の隣駅が新地の南側にあって,その跡が残っている。
飛田駅の跡地。この後は道路と併用軌道になり,阿部野方面に向かっていた。
すぐ横は新地の入口だ。かつては本当に駅の多い地域だったようだ。
本題からは脱線したが,この今池駅の辺りから急天王寺支線の下を地下鉄の堺筋線が通っている。堺筋線は阪急と相互乗り入れをしている。つまり,これから先の部分はその地下を特に阪神間では「上品な」印象がある阪急の電車が通っていることになる。
消防署の出張所の付近を通り…
三角公園の脇を通り…
その先辺りになると,またフェンスで囲まれた空間がある。
たぶんここが廃線跡だろう。この広場の隣には…
ふれあい会館がある。
この場所を南側の比較的大きな道路から見ると…
こんな感じになっている。線路が走っていた空間としてもおかしくなさそうだ。
天下茶屋方面を見ると…
またフェンスの空間がある。たぶんここが廃線跡だろう。この駐車場の裏側は…
コインパーキングがある。天下茶屋方を向くと…
高架と反対側の駐車場の幅が狭くなっていっている。
ここで線路のほうに寄っていたのかもしれない。高架をくぐって西側に行くと…
ここにもコインパーキングがあった。その先の方も…
高架下にフェンスに囲まれた空間がある。天下茶屋駅も天王寺支線が廃止になるぐらいから高架化されてはじめているので,他の路線の跡地の可能性もある。
天下茶屋駅。高架化完成が1995年と結構最近なので,どこが廃線跡なのかはさっぱり分からない。20年近く経った今でも廃線跡が,大体の情報が分かれば素人目にでも見分けられる状態になっているのには驚いた。それぐらい複雑な問題があるのかもしれない。
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