さんぐう直人 公式ブログ  ”未来は、今、創られる”

政治活動、経済活動など、さんぐう直人の活動を紹介します。

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家庭教育について想う

2013年12月04日 14時28分09秒 | 子育て
家庭教育についての議論が賑わしい。

 先日、県教委に呼びつけられて、家庭教育について意見交換を求められた。
 何故、今、家庭教育を持ち出すのかわからないままに議論に参加。未だに?(はてな)。県教委が言うには、
 「健やかな子ども育成のためには、家庭の教育力の向上が必要。そのためには市町村の教育行政とPTAが連携していく必要がある」とのこと。健やかとは心身ともに健康で健全な状態のこと、家庭教育とは子供が社会で生きていくための術(すべ)を授け、習慣を身に着かせ、人格を育てることかな(解釈が正しいか自信なし)。健やかな子ども育成に家庭教育が重要で、家庭の教育力を高めることにはすっきり解釈できるし異論なし。でも家庭の教育力を高めるために行政とPTAが連携することは言葉としては美しいが、どうもすっきりと入ってこない、唐突感と距離感を感じる。そんなモヤモヤを持ちつつも3時間もの研修に耐えてしまった(お人よしか(・・?)

タヌキの親子
 研修講師の話をもやもやと聞きながら、この体験を思い出した。ジワジワ、メラメラと記憶が蘇ってきた。
 季節は忘れたが、ある夕刻、車で帰宅を急いでいると、ライトの先にふわふわっとした黒っぽい塊が道路ででんぐり返ししているのが見えた(オカルトの話ではないのでご安心を(^O^))。そして次の瞬間、もっと大きな黒い塊がふわふわのでんぐり返しに向かって飛び出してきた。思わずブレーキを踏み停止(後続車がなかったので幸運(^O^))。すると大きな塊はふわふわの塊を草むらに引きづり込み、その姿は見えなくなった。

 もうお分かりだと思うがこの2つの黒い塊は親子のタヌキ。子タヌキが車に轢かれ苦しんでいる、親タヌキは身の危険を顧みず子タヌキを安全な場所に移したというシーン。その場は「可哀そうに」と思いつつ帰宅したが、妙に気になって、現場に近い友人にその話をしたら、「知っている。近所でもタヌキの親子がいると評判になった。でもな1週間くらいで親も子供も死んでいたよ。親タヌキは傷だらけだったそうだ。可哀そうなことしたよな。泣いている人もいたよ」。
 おそらく親だぬきは子だぬきを抱きながら、身を呈して鳶やカラス、狐なんかの猛禽類や肉食獣から子だぬきを守ろうとしていたんだと思う。自然界の動物親子の愛情の強さ、親としての使命感、親ごころの深さを感じられないだろうか。

かの国が教えてくれる親子関係の在り方
 悲しい事件が起きている。親が子を、子が親を虐待するニュースが切れることがない。昔からあったことなのか、テレビ、インターネットの発展で今まで隠されていたことが表にでてきただけなのか、それとも人間の親子関係が壊れてきているのか、人間の親子関係が自然界の動物以下になってしまった現れなのか。
 今、かの国には「小皇帝」といわれる子どもたちがいるらしい。一人っ子政策でわがままに育てられた子供達を言うようだ。ちょっと前の反日運動のニュース映像を思い出してほしい。あの反日運動は政府主導とも貧富の格差への抵抗とも言われているが、デモの参加メンバーの顔を思い出してみると若い若い連中ばっかり、かつ、貧しさなんて微塵も感じない風体、かの国の一人っ子政策もここまで来たかと感じざるを得ない。わがままに育てられ、何不住なくものを与えられ、欲しいものは我慢しなくても手にすることができ、労せずとも我慢せずとも頑張らなくても親が全てを与えてくれる子どもたちだ。でも欲求は増幅する、一つ満足すると次に同じ利益を得ても満足せず一つ上、次元の違う利益を得ないと満足できなくなる(マーケティング用語で価値増幅という)。しまいには暴力に訴え自分の満足感を満たす。これが、かの国で起こったことではないか、そぅ思わざるをえない。

 では日本はどうか、親子関係において同じようなことをしていないか(大反省(*_*)、自分の子供さえよければという自己中の親になっていないか(頻繁に遭遇しますが・・・(・・?)。

さて我が家の家庭教育は?
 自己反省と少々の批判めいたことを言ってきた。批判については寅年なので噛みつく習性がありご勘弁を。
 我が家は父子家庭、私は世に言うシングルファーザー。母親の代わりはできないが、子どもの感情の動きは良く見ているつもり。家庭教育と言えるほどのことはないが、私は「子どもは暇なほうが良い」と思っている。暇なら時間をどう使うか自分で考えるだろうという程度の事。今の子どもたちは忙しすぎる(40年前の自分と比較した場合ですが。。。。)。勉強の他に、部活は6勤1休、更に塾あり通信教育あり、少子高齢化の煽りで地域の行事に駆り出され、ちょっとの時間は液晶画面と睨めっこか予約録画の観賞?。これって全て大人が仕組んだこと、大人の利益に子ども達を巻き込んでいる現象。これじゃ子どもたちは暇にならない、勉強中心の生活には絶対ならない、ゲームやTVの制限を課しても、そこは人間、面白く楽しく楽な方にながれるのが自然、大人だって同じでしょ。これじゃいかんよね。

 とまた偉そうなことを言ってしまった。言いながら我が家の(私の)教育方針、子育て方針はきっと以下の通り。
①子どもは暇なほうが良い
②子どもに勉強しろと言わない
③今しかできないことを精一杯やる

 親はちょっと上から、冷や冷やしながら、そっと見守るしかないのかな。だって、子どもの人生は親の人生じゃないし。
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高校受験状況に想う

2013年11月26日 14時42分05秒 | 子育て
 高校の受験事情について賑わしい、いや、ようやく賑わしくなったと言ったほうがいいかも。

 各市町村で行われている受験生の分捕り合戦の話である。各地で、特に都市圏から遠い市町村にある高校で定員割れが起きている。その背景には、

1.少子化による受験生の減
2.学区自由化による他市町村への流出
3.中等教育学校の存在、既存校との併設
4.受験生のチャレンジ意欲の減退
5.各市町村の魅力、各校の魅力の発信不足(希薄な危機感)

などあるとと思う。

 1項は致命的で根本的な要因であるが自然の摂理、これから頑張っても(何を頑張るのかな(・・?)15年はかかる。2項はどの市町村でも共通の条件、但し交通手段が整い基幹交通網が繋がっている大きな都市はやっぱり有利かな。そして3項、子どもが少ないのに中等教育学校(中高一貫校)という新しいスタイルの学校ができた。その狙いは、中高6年間で英才教育を施し医師や優れた研究者、指導者を輩出すること、また、良い意味で既存校へ刺激を与え、お互いに切磋琢磨し学力を上げていくといったところだろう。一方で不本意ながら物理的な分捕り合戦の要因になっていること否定できない。4項は中学生というより経済環境が上向かない社会の問題であり、子どもたちに夢や希望を語れない保護者の家庭教育の問題。子どもたちのにチャレンジ精神を引き出す教育を家庭でしているだろうか、意識的に安全策に走ってないだろうか、子どもの自主性に任せると言いながら放任になっていないか。大いに自己反省である。そして5項。これは学区自由化と密接に関係している。受験生にとって高校生活をあの街で送りたい、あの高校で学びたいという市町村や高校には集まるだろう。要は市町村や高校の商品価値の問題である。

そこで最近の出来事。
 ある県立の進学校(以下、K高校)が2年連続で大幅な定員割れ、県教委からH26年から1クラス減の指示で学校規模縮小の危機。
 K高校卒業生から小中PTAに対して学力を更に上げK高校に多く受験してほしいと公式に要望。一義的にはK高校の問題と突き放すも、コンサル根性で問題解決のためにできることはないかと思案。市教委にも事前に相談、妙案なし、動き気もなし、「県教委はいつも唐突」とぼやくのみで頼りにならず。そこで県教委に対して「高校に子どもたちを送り出す側として今の県立高校の受験環境は好ましくない」と撤回を要望。一度決めたことは引っ込められないとお役所回答。少子化で受験生が減、K高校の受験希望者も定員より少ない(いつのデータで言っていのか???)、しかも2年連続定員割れだから致し方ないと、素人でもできる理屈。現在も折衝中。

 皆さんならどう対応しますか。
 ・それは高校の問題で小中は関与しない。
 ・しょうがないよ、子どもが減ってるんだからとあきらめる。
 ・高校がどうなろうが我が家には関係なし。どの高校に行こうが個人の自由と問題無視。
 ・小中の親として高校の受験環境に対して、もっと口出しすべき。

さぁ、どうするべきか。
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特別支援学級に想う

2013年07月31日 14時48分43秒 | 子育て
先日、地元の教育懇談会で『特別支援学級』が話題になりました。

 『特別支援学級?』、小中学校の教育制度の一つですが、『特殊学級』と言った方が解りやすいかもしれません。どうも、この『特別支援学級』には未だに『特殊学級』と言っていた頃の「差別感」「偏見」や保護者の「疎外感・後ろめたさ」があるようです。学校側からの話の中で、地域や保護者の一部から、
「あの子は特殊学級なんだって・・・」とか「特殊学級の子だったからしょうがない」」とか差別、偏見の声が聞こえてくるそうです。これって差別、今はやりのイジメですよね。

 私も決して偉そうなことは言えないです。多少なりとも私にも「あいつってさぁ」という偏見、差別的な意識は持っていました。先生方からいろんな苦労話や悔しい話を聞きながら自己反省でした。そんな話の中で気になったことを書いてみます。保護者として、地域社会の一人として、また大人として、正しく素直に理解しないといけないと感じたことです。

①通年制
 間違った理解かもしれませんが、私が知ってる「特殊学級」は、なんらかの理由で、通常のクラスでの授業にはついていけない、他の児童に迷惑をかけてしまう児童を1か所に集め、1日の授業をその教室で過ごすというイメージです。言い方を変えれば「隔離」です。一方「通年制」では、普段は通常の教室で授業を受けて、どうしても授業についていけない、もしくは、時間をかけて教える必要がある科目に限って特別支援学級で授業を受けるというものらしいです。もちろん、多動性障害や注意欠陥などの児童にはもっと手厚い専門的な指導の仕方があるようです。ここに、教育行政が「偏見・差別・疎外感」を無くしていこうとする努力を感じます。感謝です。

②うちの子に限って 
 どんな親でも持っている感情です。言葉として発しないまでも心のどこかに必ず持っている不滅の親心です。だって自分の子供はいくつになっても宇宙で一番かわいいし、親の考える理想の子供でいてほしいし、学校の成績も悪くあってほしくない。
 と、思っているのに「**テストの結果、お宅のお子さんは特別支援学級で時間をかけた支援を受けることとお勧めします」と赤の他人の先生に言われたら、私だって素直に「ハイそうですか」と認めたくありません。中には「二度とそんなことを言うな!」とケンカ腰の保護者もいるそうです。そう言われたら、その子のためにBestと思っていても教師は言えなくなります。
 ケンカ腰になるのは、お父さん方が多いようです。お母さん達は学校に行く機会も多く特別支援学級のことは正しい理解をお持ちのようです。自己反省もしつつ、お父さん方ももっと学校のこと、特別支援学級のこと、教師が苦労していることを理解するようにしないといけないですね。
 感情が絡む、親のエゴもある、子供にとって、親にとって何が幸せなのか選択は難しいです。

③特殊、特別の響きが悪い 
「特殊」という言葉が「特別」に変わり、心象的には差別感や偏見感は薄くなったように感じますが、まだしっくりきません。どうもこの言葉の響きが悪いです。学校によっては特別支援学級と言わず「ひまわり学級」とか1学年は正式には3組まででも「4組」を作り特別という言葉を使わないようにしています。でもやっぱり差別感は残るかなと思います。

 特殊、特別ではなくて「普通」にこの制度を使える、誰でも気軽に使えるようにするといいんですよね。
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