お孫ちゃんの放課後プラザは、土曜日は第1、第3のご前中しかやっておらず、今日は休みでした。
開いていても人数が少ないため申し込みを受けてから指導員を配置する、というシステムです。
いずれにしても、私にとって一番自由だった土曜日が一番大変な日に変身してしまいました。
まあ今日は、入学してから新しいことだらけで緊張し、プラザでも疲れているだろから、休息させなくっちゃ、とおもい一日世話をしました。
幸い、やはり困っていた保育園の時のお友達が来てくれることになりました。ありがたいことです。今日は超ミニ学童保育。
私も子どもと過ごすのは嫌いじゃない。だから、仕方なくやっているんじゃない。一日、楽しかった。お孫ちゃんはもちろん、ニッコニッコ。
お天気も上々、ピクニックだ!!
二人で一生懸命オムスビと卵焼きを作ってくれて、二人が採ってきたヨモギは私が天ぷらにあげて、近くのリンゴ園に遊びに行きました。
最高でしたよ。
しかし・・・・と考えています。プラザの設備、人員配置、環境をを改善していかなければ、子どもたちがかわいそうだ、先生も大変だなと。
ある放課後プラザでは、夏、エアコンのある部屋が一つしかないので大勢の子たちが棒立ちになっているというのです。千人風呂じゃあるまいし。
あるプラザの指導員は「とにかく、静かな部屋が欲しい。人数がおいので大声、怒鳴りあっているようだ」と言っています。
お孫ちゃんがプラザで過ごすことになり、初めて最近のプラザの実態を垣間見ました。しかも、こんな実態なのに、改善もなく利用料を取るようになりました。
市は、働いている親だけでなく、申し込みがあったら断ってはならない、と決めたのです。その考え自体は私は歓迎します。
しかし、条件整備をしないで多くを受け入れる、利用料はとる、あんまりだとおもいませんか。
私は今、二つのことを考えています。
① ひとつ、運動は前進してきたが、新たな局面に私がぶつかったということ。
娘の時はプラザさえなかった。かぎっ子になっていた。子どもは鍵を持たされ、誰もいない家に帰ってい
くのです。
「子どもを預けて働くなんて、親のすることか」と言われながらも、学童保育運動が起きました。
紆余曲折、私の自宅が学童保育所も兼ねていた時代もあった。全国の仲間ががんばった。結果、国も県も
動いた。
私は学童保育運動第2弾に直面してしまったようだ。
お孫ちゃんの時代の今、条件整備の充実が求められています。
② 具体的な問題として、土曜日の対応で困っています。子どもと過ごすのは嫌いじゃなくても、私に
は、いろいろな仕事・任務がある。今でさえ、お孫ちゃんに制約され(いやじゃないけど)ちと不自由で
ある。さらに、土曜日がつぶれる生活とは!!!
社会的活動の制約はつらい。お孫ちゃんとの暮らしはいやじゃない。
預かってくれるところがないわけじゃないが、でも、テレビでお守とか、あちこち振り回してとか・・
と考えると胸が痛い。
子どもの権利条約の日本政府への厳しい勧告が来ています。 批准してから25年、何にも努力していないじゃないか・・・・・国連はそう言いたいのだと思う。以前出た勧告にも、全く応えてえていない。私も、怒り。
競争の教育、貧困と格差、体罰・虐待・・・・
市政は子どもの権利条約を実施する立場で、放課後プラザ問題も考えてほしい。考えるように、またアクションを起こさなくては、ですかね。