中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

飯田市へ行ってきました。「郁子」をいただく

2007年12月29日 21時45分56秒 | 活動日誌
                         ばら


 7時に自宅出発で、飯田市の地区委員会へ向かいました。

 今年度の党勢を前進させて総選挙に向かおうと、年末にもかかわらず、支部の皆さんは仕事をやりくりしてがんばっています。

 9時半には地区委員会に到着、30分間の朝の決起集会が開かれました。私も今日一日、飯田市の支部の皆さんと行動するので、一言ご挨拶しました。

 さて、訪問したさきでは、どこでも止まらない怒りの話です。

 「もう、たまらん。おかしいでありますよ。いつでも応援しているに、なぜ議席が取れん。悲しいに。なんとしても頑張っておくれ」との訴えに「今度こそは!」と応えました。信頼がずっしり重い。

 「わたしゃいままでさんざん苦労してきたに。けど、葬式代で迷惑かけたくないもんで、葬式代がたまるまでは死ねん。早くもう楽したいになあ」というおばあちゃんに、「ガンバルからね、だから、葬式代、たまらないほうがいいなあ。ほんとに頑張るから」と約束してきました。泣けてくる。

 ちょうど出かけるところへお邪魔してしまったお宅のおじさんは「まあ、御茶やっていって」と出かけるのをやめて誘ってくれました。

 乳牛など100頭飼っているおじさんは、酪農農家の大変さをつぶさに語ってくれました。勉強になることばかりでした。
 
 「これだけ牛がいると、やめるにやめられん。中野さん、聞きたいが、わしの話を聞いてどう思った。惨めだと思ったかの。それが聞きたい」

 そこから始まって長い話になりました。戦争で兄弟を戦死させたというおじさんは、経験した事実を涙を浮かべて語ってもくれました。
 「共産党は靖国神社の産参拝に反対するからいけん。罪のない国民がまつられておるでなあ。参拝くらいする首相でなくっちゃ、国はほろびる」

 「でも、戦犯といっしょだしね。私どもの考え方は、おじさんといっしょです。戦争に反対したのは共産党だけです何のための戦争だったのか」

 「国のためといっても、国民のためではなかったな」「ほんとに」

 聞くところによれば、自民党員だというおじさんでしたが、共感することが多く、しまいには「赤旗」を読んでくださることになりました。

 こうして今日は6人の方に「赤旗」の購読をしていただけました。一部一部が大変な重みです。

 さて、あるお宅で「郁子」を一枝いただいてきました。「郁子」は「むべ」と読むんですって。
 アケビの種類の実のなるツル木です。アケビと違うところは、似たような実なのに、実がぱっくり割れることはないのです。今、実っています。明日スケッチする時間が取れるといいのですが。

 末娘が帰ってきました。鶴岡の病院で理学療法士をして働いています。言葉の端はしに、プロ意識を感じ、頼もしくなったなあと親ばかを感じています。

 
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