中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

義母の思いで

2016年05月29日 19時37分31秒 | 活動日誌

 

 

 夫の母の7回忌、そして夫の父の50回忌だった。

 

少し早く観慶寺についたので、久しぶりにお隣の善光寺のお参りをしてきました。

 こんな時でもなければあつまれないが、それでも全員がそろうのは大変なこと。夫の兄弟とお連れ合い、孫たちが集まって楽しい一日を過ごしました。

 夫は6人兄弟の末っ子。上の4人は「満州」で生まれています。

 義父は満州国衛星科学技術省で赤痢菌の発見者志賀潔先生の下で働き、半任官の試験にも合格し、官僚として将来を保証されていた人だったらしい。

 ですから、開拓団の方々のようなご苦労はなかったようですが、それでも「全員よく帰国できた」と兄たちが語っていました。

 

 満州での暮らしの話し、帰国後の苦労の話・・・話は尽きませんでした。

 

 私も義母との思い出はたくさんあります。

 

 実は、私も夫も、結婚指輪をしていません。

  結婚したとき、私が千葉で教員として働きはじめて3年目、夫はまだ医学部学生で仙台にいました。

 

 遠距離結婚というわけですが、夫は学生だったし金はない。そんなことより私たちには、結婚するから指輪を買うという発想は全く持ってなかったのです。二人ともそんなことに頓着してなかったんですね。

 

 そしたら義母が、決して高価なものではありませんでしたが、私だけに指輪を買ってくれたのです。

 

 或る時、学校の砂場でなくしてしまったのです。学年中の先生に探すお手伝いをしていただいて、その時は見つかりました。なんということを!! 冷や汗ものでした。

 

 しかし、いつか台所仕事の時、流してしまったらしいのです。気がついたらありませんでした。すこしゆるかったんでしょうか。

 

 義母にはついに言えませんでした。

 

 指輪のほかに義母が「ハンドバッグでも買ってあげる。何か欲しいものは」と言いました。

 

 私は「それなら、イ・ムジチのブランデンブルグ協奏曲のレコードが欲しい」と、全曲入ったレコードを、仙台の東一番町のお店で買っていただきました。「レコードなんかでいいの?」と義母は何度も言いました。

 

 なぜ指輪だのレコードだの買ってくれるんだろうなあ・・・とその時はすっと胸に落ちなかった。あとで考えると、夫が貧乏学生だったから気を使ってくださったんだと理解し、やさしさが心にしみました。

 

 後で知るところとなりますが、夫の長兄が義母に託したそうなのです。結婚するまで、お兄さんが夫に学費の仕送りをしてくださっていました。

 

 そんなこんな、私の思い出も振り返った7回忌でした。

 

 選挙で忙しくはありますが、何年かぶりであった兄弟です。明日、一晩泊りで佐渡に行く計画です。

 

 

 

 

 

 

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