木島平村に住む、高山すみ子さんが亡くなりました。92才。
高山さんは満州からの引き上げの逃避行の時、集団自決を迫られるという悲劇を経験しています。自分の幼い子どもを目の前で仲間の手で殺された、大変な経験の持ち主です。
自分の番にならないうちに、ソ連兵が入ってきて生き残ったと。いつも涙を浮かべて話してくれました。私もいつも泣きました。
その経験が著書「ののさまになるんだよ」に書かれてあります。子どもに銃弾が当たったとき、「ピューンって体が飛びあがった」そうです。
長野県は特に、満蒙開拓団、青少年義勇軍が日本一多い県です。第二位の山形県を抜いてだんとつの一位です。
それは教員赤化事件と関係が深い。弾圧された民主的な教員をこれまた大勢出した長野県は、国に操を立てるために教員自身が生徒を説得した歴史があります。
「民主的」と言っても、「アカ」でなくても、貧困ゆえ弁当も持ってこれず腹を空かせている子どもに、自分の弁当を分けてあげた優しい教員も検挙されたのです。
背景には、不況のあおりをもろに受けて、農家が疲弊しきっていました。農業県の東北や長野から、大勢の開拓団が大陸へ渡った理由でもあります。
それゆえ長野県人は平和には敏感なのかもしれません。
戦後、平和を語り続けてきた高山さんの訃報に、心から合掌。どんなに平和を願っていたことでしょう。