中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

保育園訪問の計画を立てる。美容院へ。

2013年05月22日 21時05分17秒 | 活動日誌

 新婦人R班のAさんから頂いた「マザーリーフ」、実はサボテンの鉢に舞い降りたものをそのままいただいたのです。本家のサボテンが花をさかせました。 

 

 K保育園のE先生を訪問、参議院選挙のために知り合いの保育園を訪問しようと相談し、日程を決めました。

 子どもたちのために、何より平和です。「花には太陽を 子どもらには平和を!」は私の好きな言葉です。

 憲法を変えようとしている勢力には負けるわけにはいきません。

 保育園の先生方にも、ぜひ、応援していただきたい。戦争は人を殺すこと、戦争に役に立たない子どもやお年寄り、障がい者は、もっとも辛い思いをするのです。

 

                                             

 

 「火垂るの墓」の映画を見ましたか。あの松島菜々子が、戦争で食べるものがない苦しさからわが子をまもるために、預かった友人の兄妹に対して意地悪な人間になってしまうおばさんの役を演じていました。

 両親を亡くした兄妹は、おばさんに見捨てられ、悲惨な暮らしと悲惨な最期をとげました。

 その子たちを守ってやれなかったおばさんは、女の子の骨が入ったドロップの缶を死ぬまでもっていました。

 戦争は、人の心を鬼にします。

                                

 私の亡き母は、おじさんが住職だったお寺で、学童疎開の子どもたちの保母をしていました。ひもじい子どもたちは、トンボを捕まえてメンソルタールの空き缶に入れて焼いて食べたそうです。「羽がもさもさしてまずかった」そうです。

 母たちは子どもたちのために落穂ひろいに出かけ、夜、近所にばれないように一升瓶にいれてモミから出すためにコメをついたと言っていました。

 

 木島平村の高山すみ子さんは、満蒙開拓団の引揚者です。集団自決を迫られて、「ののさんになるんだよ」と言い聞かせた子どもを、仲間が自分の目の前で銃殺しました。

 「体がピョーンと飛んだんだよ」と、いつも話してくださいます。

 自分が殺される寸前に、ソ連軍がはいってきて自分は死ねなかったのです。

 昨日、女性の取り組みの呼びかけ人の一人になってほしいとお電話しました。「肩書は何としたらいいでしょうか」とお聞きしたら「私は満蒙開拓団の生き残りです」と言われました。

 「生き残り」に込められた、いまだに消えることのない辛さが伝わってきて、目頭が熱くなりました。こんな凄惨な思いをするのが戦争です。子どもを川に投げ込んできた人、泣かないように口を押えていたら死んでいた子…・私は想像するだけで胸が苦しくなります。

                          

 

橋下大阪市長も安倍首相も、人権思想が欠如しています。人権思想のないひとは、政治とはおよそ無縁であるはずです。日本の恥です 

 

 美容院へ行きました。びっくり!したこと。新人のTさんは、「幼いころ、中野さんの発達相談を受けたと祖母がいつも話してくれました。ぜひお話がしたかった」と言うではありませんか。うれしいやら恥ずかしいやら。

 

  明日は終日、S保育園の発達相談日です。

コメント
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