禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

大雨と小木の下の雨宿り。僕は、家に帰り、降りしきる雨を窓の外へ眺めいるが、、

2020-05-19 17:14:55 | livelove日記

酒、

鬼殺し

を、求め、多少小さい酒やを訪ね、貰おうと行くとそこの店主は、僕が

’鬼殺しある?’

と言う問いに、こう、

’鬼殺しっは、ないねぇ。ここいら(長岡)の地元酒しかないよ’

と、こう言い張る。こちとらそんなことは、百も承知で尋ねていて、僕はそんな地元酒の前に、

鬼殺し

と言う酒、これを求めていたのだ。無論、

鬼殺し

と言う酒であって、地元の酒っがどうこう言う前に、鬼(殺し)の酒名が言い表す通りのお酒、これを僕は求めていた。それで、こちとらお酒店にはないね、っと、言うので僕は引き返し(なんじゃそりゃ?鬼殺しないの?普通あるじゃん)、僕は返って、家裏にある小山っで、チョコっと持った’ワンカップ酒’っを持ち、いつもの田んぼ水っが流れる脇っで、休んでいた。それで、小山の方に向かい、僕は探検がてら、小山の上に行って休んでいた。すると、まあ鳥の声っがあって、僕はその方、ちょっと前に見た小木を見るけれど、風が吹き、なびいている時に、僕はこれはなんだっけかっ?っと、ふと思い出そうと僕は、しばらくしてからその小木に近ずいて、当たりを見ようとする。そうして、小雨っが降って来ていて、僕は多少道なき道を行くときのように、その小木に近ずくけれど、小鳥の声っがふと止み、僕は少し先へ行き、道なき道の末、元へ帰ろうとするとき、土の上っと生い茂る草の中を、これは少し難しい行き道をゆくように、僕は最後に、

この先は進めん(険しい)

っと、引き返して、少し前の横道、ここから元いた下の道に戻ろうとする。それは、この小木と言うこれは、桂のあり様にある、僕はその田んぼ脇の水路でさえ、

さな:火と水、この両を手元におくようにせずと、この先の

 

と、

緑(草花)

 

この両っは、見てとれないよ!っと、僕は小木(桂)のあり様に、そのように思った。まあ火と言うもの、ここから舞い戻り、水と言うものを手に入れ、それで、水遊びくらいはできぬようにならないと、土はおろかその先の草花(緑)っとの縁などまあ持つことなどない!こう知るわけで、実際、僕は小木(桂)の目前に立とうと、近ずき、見ようとその時に、火と水、この両を持って立ち行く”土と緑”の中を、僕は立ち通ろうとする。少し、戻って僕が、少し小脇の小坂を下ろうと行くと、僕はまあいつもの生い茂る草の中、いや元の土の上の来た道に出る。それで、僕は、小鳥の声に耳を傾け、(ちょっと大雨っが降る中で)

’木の下で、休む(雨宿り)するといいよ’

と、声を聞く。僕は、さっと気が付き、

 

さな:ちょっと、急な大雨っが降る中で木の下で休むところっは、小木(桂)が言う’’雨っが降ろうとも微塵も動かず、小木(桂)は揺れる’’、こうあり、僕は桂(小木)っが雨を慕い、おんなのこを木の下に立ち止まらせる、と言う自然の生業に、生きる道を感ずる。まあ、今頃は雨が降るなら傘をさして、雨を遮るようだけれど、普段、この雨が降る様っは、小木(桂)っで、雨を遮って待ち人を待つようなそういう仕草に似ているのである・・。

 

まあ、おんなのこの生理現象はある。無論、自然と付き離れず、おんなのこは行くわけだけれど、僕が

と言う自然現象に出向き、感ずる以前に、雨と言う自然の理が、木の下と言う雨宿りに似る偶然自然の産物を持ち、おんなのこの想いがかなうと言う節理は、まあ昨今の野暮っが、抱くもの(うまい話しの類い)とはまさに違うものだ!僕は、小豆らとともに、大笑い僕らの勝ちっを、宣言するように、家路に着く。

 

おんなのこには、待ち人がいる。それはおんなのこが、想うおんなのこの道だ!おんなのこは、この雨が降る中で、小木の下で雨宿りをすることがおんなのこの出発点と、知る。あろう、その先は??

僕は、家に帰って、降りしきる雨を窓辺に立ち、見ている。それは、小木の下で雨が上がるのを待つ雨宿りをしているおんなのこと、同じように。おんなのこの想いは、ここから始まっているんだなぁ!家の中で、僕はこのときの想いをこの日記に綴っておこう!