サンズ・トーク

自分を越えたい。時にそう思っている中高年の記。

旧友 Fくんのこと

2014-04-21 02:43:40 | 身辺あれこれ
旧友のFくんから、自身の近況を綴った文集を送ってきた。
おお、Fくん。
彼との友人関係には、特別のカテゴリーがあるのだった。それは、水泳。

お互い高校生だった昔の3年間。高校で水泳部で一緒だった。
学校がある阪神芦屋駅から借りていたプールのある魚崎まで3駅ぐらいだったか、年中通った仲だったのだ。
それも、プールのことだから6月ごろから9月までだったか。それ以外のときは、ときおりグランドで走ったりするぐらいの練習があった。
Fくんはヒラ。といっても平泳ぎ。
私はフリー(自由形)だった。

魚崎小学校には50メートルプールがあった。上流からは伏流水だか、湧き水の水を引いたプールで、シーズン初めの頃は冷たかった。
今では、鳥肌がたつという言い方が普及しているが、その当時、私らは「サブイボが立つ」と言っていた。
寒(サブ)イボ(疣)なのだ。
自前のプールを持たない高校の水泳部だったので、強豪チームじゃなかったが、それなりに切磋琢磨していたのだ。
小学校の前の雑貨屋で、お菓子なぞ食ったりした仲なのだ。
キャプテンはSくんで今も健在。

そのFくんとの行き来は、高校時代のわずか3年だけだった。
彼は違う大学に進み、商社に入り、海外勤務が多く、全くの没交渉で今日まできたのだった。
そうなのだ。彼の生家はうどんやだった。その縁だろう。USAで日本の食文化、ジャパンヌードルを広め、活躍していたのだ。
物怖じしない、積極型の人間だった。

私の人生80年、その間のたったの3年の付き合いだったが、文集の文を見ると、お互いの16,17,18のころのことが思い出されるのだった。
ずっと、顔を合わせていないので、面変りしているはずだ。
でも、友人を介して彼の消息など時に応じて聞いてもいた。

私は佐倉にいる。Fくんは魚崎に住まいがある。今年は、いちど関西に行って、水泳仲間や芦屋の仲間に会わずにはいられない。
Fくんに会ったら、オイ、サン。と声掛けてくれるだろう。
岡にあがって幾久しいカッパの私、そう思っているのでした。

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