Samyの徒然雑記


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戦友

2014-06-13 07:43:52 | Weblog
戦友 歌詞14番完全歌唱版 日本の名曲 Cover 華之将



何事か、何をトチ狂ったか? と、お思いでしょう。

先日、有る番組で武田鉄也が、高校生時代「戦友」は反戦歌でないかと議論したことがある、と言っていた。

そう世間も、武田も(失礼呼び捨て)軍歌と認識している。が


明治38年に真下飛泉、作詞、三善和気、作曲による、立派な演説歌です。

「演説歌」?


ご存知の方もいると思いますが、「演説歌」略して「演歌」

明治時代、街頭での演説が禁止され、唄ならいいだろうと作られたのが、「演説歌」

略して「演歌」今の「演歌」の前身です。


   戦友   真下飛泉・作詞  三善和気・作曲       

1)ここは御国を何百里 離れて遠き満州の

  赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下

2)思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し

  敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか

3)ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の

  にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて

4)軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか

  しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中

5)おりから起こる吶喊に 友はようよう顔上げて

  御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙

6)あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体

  それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか

7)戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では

  どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに

8)虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに

  時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや

9)思えば去年船出して 御国が見えずなった時

  玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて

10)それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ

  着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し

11)肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ

  死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲

12)思いもよらず我一人 不思議に命永らえて

  赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは

13)隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって

  友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙

14)筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの

  読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく


もう一度歌詞をかみしめて下さい、明治時代に生まれた立派なプロテストソングです。


大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦 呼び名はどうでもいい、

当時、軍は歌うことを禁じた唄、然し軍人は立派な軍歌ですと、言って歌い継いで行った唄。

其れが「戦友」です。

其れがまさか、今や軍歌にされてしまうとは。

俺は、「金八先生」ではない「フォークシンガー」だと言うなら、そのくらい知っておけ。(偉そうに)


どっかの国の首相、阿部さん、この歌をもう一度かみしめて下さい。