踏青_徒然日記

徒然なるままに日暮しキーボードに向かいてよしなしごとを...

鳰(にほどり)

2005年11月20日 | 俳句
鳰(にほどり)の虚空を蹴りて潜りけり

<この俳句の作句意図>
昭和公園の池で鳰(にほどり)を見かけた、水面に浮かんだ状態からくるっと一回転するように一瞬にして潜る姿は、まるで青空を蹴って消え去るように見える、
10メーターも潜ってからぽっと頭を出す姿はとても可愛い・・・

残念ながら私のデジカメではこの程度にしか捉えられない。
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柿簾(かきすだれ)

2005年11月19日 | 俳句
空青き蛇笏の里の柿簾

<この俳句の作句意図>
山梨県の塩山市近郊を歩く、この辺りは百匁柿という渋柿が特産で、彼方此方の家で干し柿にするため簾のように吊るしているが、赤い柿の色が真っ青な秋の空をいっそう青く感じさせる、甲斐に住み、甲斐を愛したかの飯田蛇笏もこの空を見上げていたのだろう。
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映る紅葉

2005年11月18日 | 俳句
照紅葉映す淀みやダム近し

<この俳句の作句意図>
多摩川上流の激しい流れがいつか澱んで、岸辺の雑木紅葉が美しい姿を映すようになった、もう白丸ダムが近いようだ・・・
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菊人形

2005年11月17日 | 俳句
菊人形水を命の艶姿

<この俳句の作句意図>
高幡で菊人形を飾っている、係りのものらしき叔父さんが朝の水遣り、叔父さんも大変だが人形は水が命(?)期間中はなんとかこの艶やかさが持つと良いが・・
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高幡不動

2005年11月16日 | 俳句
法塔の色いただきて山もゆる

<この俳句の作句意図>
高幡不動の裏山の紅葉が色づき始めた、全山が五重の塔の朱色を分けて貰ったような真っ赤に染まるのはもう少し先かもしれない。
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色変えぬ松

2005年11月15日 | 俳句
色変えぬ松土方が眼の清き

<この俳句の作句意図>
久しぶりに高幡不動を散策、華やかな紅葉の中で青々と色を変えぬ松をバックに土方歳三の銅像がたっている、この日野の地は新撰組発祥の地である、時代にそむきおそらく「最後の侍」として五稜郭に散った土方の生き方の、悲しいまでの清しさを銅像の眼に見たように思う。
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蔦紅葉-2

2005年11月14日 | 俳句
桂冠の友はればれと蔦紅葉

<この俳句の作句意図>
一年ぶりで会社の仲間と会食、定年後も残っている者、第二の人生を謳歌している者、みなそれぞれだが概して職を辞した者の方が元気なようだ。私は一年延長したが、それでもいざ退職のときは何かもの寂しさを感じたものだった・・・
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柿紅葉

2005年11月13日 | 俳句
陽を受けて目方うせたる柿紅葉

<この俳句の作句意図>
夏の間は圧倒的な緑の濃さを誇っていた柿の葉が綺麗に紅葉し始めた、秋の陽光に照らされて深紅や明るいオレンジ色に耀く姿は、一転して軽やかさまで感じる。
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烏瓜-2

2005年11月12日 | 俳句
城跡の絡めとられて烏瓜

<この俳句の作句意図>
林に覆いかぶさり、巻くように蔓を張った烏瓜が真っ赤に色づいた、此処は昔山城の在った場所だが、敵に囲まれて難儀をした時代もあったかもしれない。
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サイレント・キー

2005年11月11日 | 俳句
音消えしパドルひかりて冬隣

<この俳句の作句意図>
「サイレント・キー」とは、アマ無線の世界で、亡くなった方が有ったときに、サイレント・キーになったと表現する。「キー(パドルも同義語)」とはモールス符号を打つハンドル部分の事で、もうキーを打つことが無くなってしまった、との表現である。
私のアマ無線での長年の友人が亡くなられた、大事にしていた無線用の機器も今はもう冷たく光るだけである。
JM1CWE 安らかに 73 ・・・
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