3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

下村文部科学大臣の辞任 遅すぎるよね

2015-09-26 16:44:51 | 現代社会論
国立競技場の白紙撤回にともなって管轄官庁のトップである下村大臣が辞意を表明。
慰留されてとりあえず、内閣改造まで働くことに。
給料も返上して、なんとかこれでおしまいにしようとおもっているのだろう。

しかしだ。
この競技場の問題は、官庁とスポーツ振興会、ゼネコン、五輪関係者含め日本の政治と官僚の組織的な問題をあぶりだしている。
ここで、かなり突っ込むと、かなりの日本の行政機構のみならず、政策決定過程における変革が可能になると思うのである。エンブレムどころでないものがきっと出てくる。

役所というのは、事務系は3年ぐらいでぐるぐる異動するので、問題が起きたときは担当者はもういないということになり、責任の所在はあやふやなままでお蔵入りすることが多い。下村大臣もなんでおれが?という顔しているのはそういうことである。
事が起きればトップは責任を取らねばならない。問題は下っ端の係長クラスが起こしていることが多いのだが、そうはいっても下っ端なんだから責任はないのだ。
課長とか局長?それはないよね。霞が関の課長ともなれば、ものすごく威張っているし、責任なんかとるはずがない。今後の出世に障るじゃないかということでだれもつっこむことはできないから、お咎めなしということになる。
で、無責任体制ができあがるのである。

いろいろな組織が寄ってたかって仕事をしているから、みんな仕事に熱心に休まず働いているわりには、責任をとってリーダーシップを取ってガンガンやる人はおらず、前へすすめない。お金も役所だから、僕のお金じゃないから、ゼネコンに言われた額を払っちゃうことになり、予算がオーバーしたって、もうその頃は担当者は異動していたり、定年退職していたりして、誰がそんなこと決めたのか?なんていってわからなくなっている。組織として責任とらないようにわからないようにみんなでやっているから明確にできないのである。日本的である。
日本的雇用スタイルと無責任体制がここにまだ残っているのである。霞が関はガラパゴスである。

さらに、ここに政治家先生が絡む。
で、事務方としては、政治家先生がいうのだから逆らえないのでそういう流れになる。
ということで、ますます闇のなかということになる。

だから、関係している政治家の責任であるともいえるだろうが、政治家は当然、なんちゃって政治家だから、責任を取るはずがない。
で、たらいまわしをしているうちに時間稼ぎをして、下村君にちょっと辞任してもらって、この問題はけりをつけよう。内閣改造の間だけだし、すぐ国民は忘れちゃうから大丈夫とたかをくくって笑っている安倍とその周辺にいるとりまきの世耕らの顔がみえるようである。民間の広告会社と協力しながらマスメディア対策を事細かに指揮しているとのことだから、国民はすっかりそのやり方に丸め込まれているのである。

とにかく、国民は貧しくなっているので、国立競技場に何千億なんていうとなんで、子どもの貧困にお金をつぎ込むべきなのに何やっているんだという批判が集まることになるのである。
新たな国家戦略だとかいって、一億総活躍社会だが知らないが、それは単なる夢想ではないか。一億総中流社会だとおもっていたら格差社会がきちゃったので、豊かだと夢想することぐらいしかできない社会になりつつあるのが本当のところだろう。

安倍もその取り巻きもそういう現実を見ていないし、これから先も見られないから、絶望的である。
早晩退場してもらいたいと思うのである。

昔は自民党の議員もまともなものが結構いたんだが、もう、今はめちゃくちゃである。
大臣になれるなら、思想信条なんて関係ない。もともとないけど、なんでもやります、で、靖国、安保関連法も通しますということで、おとこもおんなもなりふり構わずである。

おとこもおんなも下品すぎるのである。むかつくのである。




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