3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

平成時代が終わろうとしている

2018-04-30 16:00:23 | 現代社会論
元号を使うことはほとんどなくて法律は元号を使うのでその部分は元号だが、あとは、西暦に慣れているので、元号が変わることにそれほど強い思い入れはない。
しかし平成という時代が終わろうとしている今、1989年から2019年はまだこないが、この30年の変化をみることは大切なのかもしれない。

1986年のチェルノブイリから始まり、原子力災害はわれわれの社会の根底のところできわめて神経を使う事象となっている。福島の原子力災害を含め、この30年余、このテーマは社会の中心であり続けてきた。
1989年5月、天安門事件、同年、秋ベルリンの壁崩壊、その後の東西ドイツの統一、ソ連からロシアへの大きな社会体制の変化は世界史を塗り替える事象であった。

2001年9.11以降、世界は不安定になった。イラク戦争があり、戦争は再びわれわれの身近な存在になっていった。
2006年の秋のリーマンショックにはじまる世界的な経済危機。
日本も派遣村に多くの非正規労働者が集まったことは記憶に新しいだろう。
格差社会、貧困が国民生活のなかにはっきりと姿を見せるようになる。
それまでは、貧困という概念を忘れるくらい能天気な日本社会だったが、気がつけば、1人親家庭の子どもなどを中心に貧困はわれわれの社会に浸潤していった。
その一方で、経済的な勝者に富が集中するというアンバランスな社会が始まったのもこの30年の動きなのではないか。
2011年3.11の大震災。震災による被害から立ち上がれない人たちがいて、取り残されていることもわれわれの社会にとって重い課題である。
このところの森友、加計学園、日報、財務事務次官のセクハラ辞任・・と2017から2018は不祥事の連発する日本である。

2017年のGWごろは北朝鮮のミサイルでJアラートが鳴り響き、暗い気持ちであった。
しかし、2018年4月の南北首脳会談は、そんな暗い時代に終止符を打つような明るい話題となった。
このまま少なくとも東アジアの安定がはかられれば平和の道筋が見えてくるのだが。
今は米朝会談の結果を待つしかない。

これからの30年、われわれはどのような社会を目指すべきなのか。

国内的には少子高齢社会がこれだけ進行し、地方の都市は消滅する可能性に直面している。

地方都市が消滅し、子どもが極端に少なく、認知症などで介護が必要な高齢者で地方も都市もあふれる社会が予想されている。
さらに、苛烈な競争社会は、過労死のみならずメンタルの問題を抱える労働者を増加させていることも確かだ。

経済的にいくら豊かでも、仮に株で大もうけをしても、そんな豊かさが一体何になるんだと思うのである。

われわれの社会は、大きく転換することを迫られているのではないだろうか。

儲けより、安定した生活のほうが大切である。

子どもが平等に質の高い教育を受けられる、戦争に巻き込まれることがない、価値のある仕事につくことができる社会、年金医療介護などが充実していて、老後の心配がない社会、男女をはじめとしてすべての人が差別や偏見にさいなまれることのない社会、快適で清潔な住宅が保障される社会ということが最低限保障されれば、アルマーニなど着られなくても痛くもかゆくもないのである。だれかが高価な家に住み、その一方で誰かがホームレスになるような社会より、ほとんどの人が、そこそこの家に住める社会のほうが良いに決まっている。
自分だけ大きな邸宅に住んで、友人がホームレス状態を放置するなんてできない。

そのための社会システムを構築すべきなのではないだろうか。
お友達を優遇してしまう偏った政治は終わりだ。

平等性の高い社会の到来が待たれるのである。
そのための政権が必要だと思うのである。
セクハラに甘い、自国のことのみ考えるような格差社会を解消しようともしない政権は終わりにすべきときなのではないだろうか。
コペルニクス的転換が求められているのである。
これから30年の日本のあり方はこれまでと同じではいけないのである。一念発起、そうとうな展開を覚悟し、取り掛からねばならない。これまでのしがらみなど捨てて、自分の頭でとことん考えなければならい。


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