3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

テレビでエンブレムの人気投票をやっていた

2015-09-04 11:01:09 | 現代社会論
朝、TVでめったに見ないのだが、偶然、エンブレムの話題をやっていて、投票というのをやっていた。
おかしくておかしくて・・・。

日テレだったのだろうか?
すっきり?という番組だったか。それさえわからないのだが、興味がないので番組名はどうでもよろしい。

新しいエンブレム、招致用のエンブレム、東京オリンピックの時のエンブレム、佐野のエンブレムで
さあ、選んでくださいというから、とりあえず、招致用に一票。

投票の間、出演者は、やはり、新しいエンブレムですよね、とか、なんといっても1964年の東京五輪のエンブレムですよね、あれをこえるものはないですよね、とか、世論を誘導するような発言を繰り返していたが、
結果は、招致用のエンブレムの圧勝だった。
笑える。

だれもが、そう思っているのである。
みればみるほど、桜マークは美しいのである。

すきすぎて、国旗にしてほしいくらいなのである。ふるさとと合わせて国旗・国歌にしてほしいのである。

それにしても、スポンサーからの要請なのだろうか。
ゲストも司会もみな、世論を誘導しようとしていることが明らかで、不快だった。
この番組は、電通と博報堂のどちらかがスポンサーなのだろうか。
それとも、国策?ゲストの発言もシナリオがあるのだろうなあ。
シンクロの女性の発言など、シナリオがあるとしかいいようがないような内容だった。
自分の意見をもてよ、と言いたくなる。
自分の意見をいったらもう出演させてもらえないんだろうけどね。

64年に回帰して日の丸のエンブレムにしようという圧力があるのだろうか。

日の丸はもう古い。
64年の東京五輪の日の丸から得られる印象は、日の丸を背負って、円谷が自死したことなど、暗い思い出が多い。

もう我々は日の丸を背負う必要はないのである。
金メダルを競い合う必要などもうないのである。そんなのダサいよね。
天性の運動機能、たゆまぬ努力を賛美したいのであるから。
だれも日本を背負ってもらっているとはおもっていないんじゃないかな。

スポーツが好きで集まればよいのである。
パラリンピックだってそうなのである。

高度経済成長の時期とは我々の意識は大きく変わっているのである。

エンブレムでオリンピックにケチがついたというけれど、これで国民の手に戻ってきたように思える。
わけのわからないスポンサーの言いなりの審査で決まった盗作疑惑のあるエンブレムなどにならなくてよかったのである。
遠かった2020の東京五輪が近くなったような気がするのである。

どうせ、つまらん五輪になるだろうと思っていたのだ。金にまみれた電通と博報堂とゼネコンが一人勝ちのようなオリンピックで、開会式はAKB、という最悪のシナリオを想定していて、本当に頭にきちゃう、とおもっていのだが、国立競技場といいエンブレムの撤回といい、いい感じな展開である。

どうせやるならとことん意見してみよう。
我々の手元に五輪を!
私たちの五輪なのである。
こじんまりとしていてもいいじゃないか。おもてなしの心にあふれる五輪、まだまだ国民の意見を反映させてみよう。我々がやれることはまだいくらでもあるのである。

コメント
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