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非常青春期

2005-08-12 | 香港部屋


どうして、香港映画って「青春映画」って苦手なんだろう…
例えば、ここに「黒社会」や「古惑仔」など「犯罪」が絡むと
素晴らしい「青春映画」になるのだけど、等身大の普通の
若者を何の事件もなく描くということはなんだか、下手よね。
この作品もまさにソレ。
長洲を舞台にした男女5人のお話ですが、
どの子も魅力ないし、どの子にもいわゆる「見せ場」を
用意していないし、かといって淡々と日常を描いていく
わけでもなく、とってつけたかのような事件(でも大したことじゃない)
でちょっと盛り上げてみるものの、結局それで?というオチに。
香港映画にありがちな各々のキャラクターを掘り下げたりしないのが敗因かと。
仕事もしていない、何もしたいことがない、家族とも折り合いが悪い
という設定は良いとして、でもそれだけ。
葛藤とか欲望とかそのキャラクターの内面が全く語られて
いないので、「何がしたいのか」「どうしたいのか」が見えない。
5人で騒いだりするシーンも「ハイ、ここで騒いで!」とか
言っている監督の絵が浮かんでしまう。
それぐらい、「作っている」感じがして「リアル」感がない。
今時、そういう騒ぎ方ってしないでしょ?
「青春」=「騒ぐ」=「こういう表現」というイメージでしか捉えていないように
受け取れる。その手のシーンが凄く多い。
いわゆる「等身大」の若者の表現が出来ていないと思う。

特に台湾の映画/ドラマを見ていると
香港産の「青春映画」との温度差を感じてしまう。
まあ、台湾映画/ドラマも出来・不出来があるものの、
そこには「等身大」で「リアル」な若者が居るわけで。
決して「物を投げてギャ~ギャ~楽しそうに騒ぐ」だけが
「青春」の表現では無いと思う。
例えば、好きな相手と対峙したときの「目線」一つだったり、
手をつなぎたいのに互いに遠慮してしまう「指」の表現だったりとか、
ヘンにシラケてしまっている空気とか、
思わず「間」が出来てしまう瞬間とか、そういう緻密な
表現が大切だったりすると思うんだけどな~

香港映画の中でも葉錦鴻はその手の表現が上手。
初期の頃の地味な内容であればあるほど、良さが出るような感じ。

じゃあ、何でこの作品を見たかというとただ単に黄浩然が見たかったから!
それだけ、ただのファンだもん!
でもちょっと無理している気がしたな~「いかつい刑事」役があまりに
身についちゃっているのではしゃいで、ニコニコしている黄浩然は
正直違和感あり…でも立っているだけで素敵なんだけど~♪


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