日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

コロナ禍でも「豊か」であるのでしょう。

2021-01-12 08:14:08 | 私の雑感あれこれ
昨日は、テレビニュースは何度も晴れ着姿の映像を流していた。
コロナ禍で例年と違うけれど、せめて、、、とか、工夫の説明がついていたけれど、とにかく豊としか言いようがない。
この日に限っての、この国の振り袖姿の女性の出現。
豪華だと思う。

で、マイクを向けられると、これからは大人として、、、とか、立派な言葉が並ぶ。
でも、この衣装、自分で着ることもできず、多分後片付けの仕方も知らず、費用は親が負担しているだろうに、と思う、ワタシ天邪鬼です。苦笑

確かに、若い女性のピチピチとした肌は美しいし、振り袖姿は見事です。記念写真は大事な思い出にもなると思います。
そして、この一度だけのために、何十万円というお金をかけられるこの国の生活水準は、豊かなんだな~と実感します。

それは、いいのです。

でも、「成人式=女性は振り袖」ではない面の取材は見受けませんでした。
世の中
の変化なのでしょうね。

半世紀前は(また昔のことを引っ張り出してと言われるかもしれませんが)、4年制大学へ進学している(させてもらっている)ということで、地元で振り袖姿で成人式を迎えているであろう友達と違う自分に、ちょっとの誇らしさもあって、羨ましいという感じは抱きませんでした。地方の平均的家庭では18歳から働き始めて、貯金して成人式に備える、というモードだったかもしれません。これはこれで目標となるし、無駄使いを防ぐにつながっているのかもしれません。

今は、4年制大学への進学は当然だし、ほとんどの人がそうするのだから(高卒が少数派かな?)、親が振り袖姿を見たがっているし、という流れなのでしょうか。
40代、50代の親世代自体が豊かな時代を過ごしてきたのだから、ますます「成人式=女性は振り袖」のイメージが確信を濃くしていくのでしょう。
そして、取材しているマスコミの人たちにも、それが当然で、不思議のカケラも感じない(多分この手の取材記者は若手でしょうから当然です)。ああ、私は、今の風潮の門外漢になったのだと思ったりします。

「みんながそうするから、、、」と無理している人がいませんように、と願うばかりです。

そして、振り袖を着るより、もっとやりたいことに邁進している20歳もいると、思うのですが、、、。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする